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アートレスキン  作者: へるん
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1-1 夕焼けでの邂逅

けたたましい音を響かせている元凶をパーで殴る。

その衝撃で元凶は手の届かないところまで転がり落ち、さらには勢いがついたまま手のひらを何か固いものに強打する。


「…っつう」


(あーもう、うるさいなぁ!)


自棄になってわざと大げさな動作で掛け布団をめくり上げ、まだ真新しいのに掠れた音で鳴り続ける目覚ましを拾いスイッチを切る。

枕の横に雑にそれを放ると、鋭い眼光をたたえた瞳はベットの上に向けられる。


「おはよう、みんな」


あまり動かない頬の筋肉を最大限に動かし、朝から特大の笑顔を振りまくことに成功すると、返事が返ってこないのも構わずに洗面台に向かう。

キョウタはあいさつが帰ってこないことについて特に気にしない。

それがいつものことであり、特別なことでもないからだ。そもそも今まで一度も返事が返ってきたこともないのに、今更何を、とキョウタは思う。


「そういえばさ、僕今日から、まぁ正確にいえば昨日からだけど、一人暮らしするんだよなぁ。なんか不安」


1R。家賃3万で駅から徒歩10分。

床だけ綺麗な白いフローリングで、他は少し薄汚れた壁と天井。

狭いからベットと冷蔵庫を置いただけで威圧すら感じている。家具は安価なものを買っていたら自然と白で統一された。カーテンだけは自分の好きな黄緑色。まぁ悪くないと思う。


包丁を使うときは猫の手です!

小学校のときの家庭科の授業が役に立つ時がきた。といっても手元にあるトマトはぐじゅぐじゅにつぶれていて、猫の手だけでは綺麗にカットできないようである。


(…おかしいな。なんでこの包丁こんなに切れないんだろ)


初めて使った割に切れない包丁である。やっぱり安物はダメなのか、とため息をつく。

学校の帰りに新しいものを探しに行く必要があるようだ。
















「お前、バカだよなぁ。それは包丁が切れないんじゃなくてさ、お前の使い方が悪いだけだろ。包丁は押すんじゃなくて引・く・の」

「あー、それで切れなかったんだね。…て、月照だって料理できないくせに何言ってるんだよ、この」

「ははっ、ばれた? 母さんの受け売りなんだよねぇ」


無事入学式を終えた後、教室前で3年ぶりに再開したのは小学生のときに仲が良かった藍浦(あいうら)月照(つきてる)であった。

背丈はあまり変わらないが、すらっとした体系の頂点にあるのは整った甘いマスク。小学生のとき黒かった髪は薄い茶髪に染められ、左耳には銀色に輝くリングピアスをつけている。前から軟派な雰囲気があったのにそれに増してチャラくなったと、再開時は胡散臭げな視線を寄越したものだった。

現在は学校からの帰り道で、こちらに越してきたキョウタの生活品を買う用事に付き合ってくれている。


「にしてもほんとにこっちに越してくるとはね。誘っといてなんだけど、正直びっくりしたぜ」


にひっと白い歯を見せて笑う姿は無邪気なもので、これからの学校生活に思いを馳せる少年の姿そのものである。

姿は多少かわっているが、性根は全く変わってない。そんな親友の姿を垣間見ることができたキョウタは、見知らぬ土地で少しばかり安息の地を見つけられた気がした。


「まぁね。地元に僕が行きたい高校はなかったし、親も公立だったらいいって言ってくれたんだ」

「いやぁ、そーゆーことじゃなくてさ」

「ん?」

「お前が一人暮らしするのがなんだか信じられなくてなー。だってまだ俺たち高校生だぜ? 親元離れて生活できるなんて、うらやましいぜ。あ、そうだ。エロい本見るときはお前んち行くからな」

「来るのはいいけど、僕は見ないからね」

「なんだよ、ほんとは見たいくせにぃ」

「ばっ、ち、違うってば!」

「照れちゃってまぁ、ウブですなぁ」


そんなんじゃない。

なんて言っても信じてもらえないだろう。


(ま、まぁ…見たくないと言ったらウソになるけど…)


好奇心は人一倍あると自負している。ただ、その好奇心を満たすために何かするのかと聞かれたら答えはNOだ。

理由としては、ただ集中力が半端ないため、下手に手を突っ込むと戻ってこれなくなる場合があるとわかっているだけだ。


両親が仕事で転勤することになったのは今から少し前のこと。以前から父親はあちらこちら転々としていたが、母親が転勤することになったのは今回が初めてだった。

キョウタは両親について行って新しい土地で新しい学校生活を始めてもいいと考えていた。高校に進学すればどうせみんなバラバラになる。

実際両親もキョウタを一緒に連れて行くつもりだったのだから。


「…でも僕は、あのとき月照が声かけてくれて嬉しかったよ」


そう笑いかけると、月照は照れ臭そうに笑ってから、全く力のこもらない腕でキョウタの首を絞めた。







もうそろそろ日が暮れる。しかし駅前のためか人はむしろ増えてきているように思える。

街灯がつき始めたころだ。


「とりあえずはこれで大丈夫かな」

「にしても重そうだなぁ」

「そう思うんならひとつでも持ってくれればいいじゃん」

「はぁー、仕方がないなぁ。ほら貸しなさい…っておもっ! なに入ってるんだよこれ」

「え、味噌とか調味料類?」


さらには牛乳まで入っている。

大きさは中ぐらいだが、重さで言ったらダントツだろう。何が重いって味噌が異常に重い。


「まさか一番重たいのを寄越したわけではないだろうな」

「流石。よくわかってるじゃん。それに普段からその重いものぶら下げてるんだから、大丈夫でしょ」

「この子はシュレディ! 重いものなんてレディに失礼だろ! 全くデリカシーのないヤツだ」


月照のボロい斜め掛けバックの中に入っているノートパソコンのことだ。

「天は二物を与えない」の典型的な例で、きらびやかな容姿の中身は残念パソコンオタク、それも超重症。

だが本人も自覚済みであるので、もし仮にオタクと呼んでも怒らない。

小学生のときからパソコンにぞっこんで、あのボロ鞄の中には充電器やLANケーブル、はたまた液晶クリーナーなどといったレディのための道具しか入っていないのを知っている。


「そういやさ、お前小学生のころ好きな子いたろ? どこのクラスかは分からねぇけど、うちの学校に似たような子がいるんだぜ」

「え? 僕小学生のときに、好きな人なんていなかったよ」


唐突に小学生のときの話を持ち出されてしばし混乱する。


キョウタにも月照と同じように、そのころからぞっこんな子たちがいたから、好きな人はいなかったはずだ。

そもそもあの小学校にはいい思い出がない。

端的に言えば、楽しくなかったし面白くなかったんだ。毎日自分の好きなことを抑圧して生きていたあの頃のキョウタを、今のキョウタは好きになれない。

そんな時期に好きな子がいるわけがない。


「そんなの記憶にないけどなぁ」

「えぇ!? お前、あんなに好きだー好きだーあの子と一緒にお昼食べたい! とか真っ赤な顔で騒いでたくせにー。照れてんだろ」


こちらを煽ってこようとしてるのだろうが、あいにく全く覚えがない。

意地悪そうなにやけ顔が消え、困惑が浮かぶ。


「ううんー? お前、ほんとに覚えてないのかよ。薄情なヤツだなぁ。花の男子高校生なんだからもっと熱くなれよ」

「んな無茶苦茶な。そもそもそれって小学生のいつの話だよ」

「いつだったかなー、夏だったのは覚えてるんだけど」

「…ふうん」


適当に相槌を打っておく。

因みに言っておくが、記憶喪失とかそんな大それた理由があって覚えていないわけではない。本当に、好きな子がいた記憶はないんだ。

月照の話を聞くに、キョウタはその子にベタ惚れだったに違いない。もしそうだったら、忘れるわけがないだろう。

それなのに覚えていないということは、それほど記憶に残るものでもなかったのだろう。月照が大げさに言っているだけというのは大いにあり得ることだ。


「っと噂をすればだぜ。ほら、あれがさっき言ってたお前が小学校のときに好きだった子に似てるって女子」


横断歩道の向こう側に、月照の指す先にいたのは浮世離れした少女だった。

きれい。

はかない。

そんな単純な単語が頭をよぎる。


まだ春先で肌寒いというのに、その少女は肩が出てる薄手の白いワンピースを着ていた。

首にゆるく結わいた赤いリボンは少女を現実に引き留めている唯一のものであるかのように一際目立つ。

そして、特筆すべきは腰まであるストレートの髪だ。

今まで見たことのない色だった。

赤でもないし、オレンジでもない。

夕焼けの色。

ちょうど背景に夕日が浮かんでいて、少女は今にもそこに溶けてしまいそうだった。


そしてキョウタにはその少女に見覚えがあった。といっても、小学生のときに見たわけではない。


「あの子、僕と同じクラスだったよ」

「え!? なんだよ、相変わらず抜けてるんだから。あんな美少女が同じクラスにいるんなら即座におれに報告しろよ、メールで」

「授業中にメールできるわけないでしょ」

「はぁ、これだから優等生は」


呆れている月照から彼女に意識を向ける。


(! 今、目が合った…?)


一瞬だったが、彼女がこちらを見ていたような気がした。

生気がない、真っ白い顔で見つめられていたような気がして、少しだけ鳥肌が立つ。


「…い。おい? 信号青だぞ」

「う、うん」


横断歩道を渡るだけなのに、何故か心臓がバクバクと鳴りだす。

冷や汗が背中を流れ、息が荒くなる。


(…っ!)


挿絵(By みてみん)


夕焼け色に目が奪われる。大気によってなびく白い裾と赤いリボン。

彼女とすれ違ったとき、ふわりと香った無機質な匂いはいつまでも鼻に残って消えなかった。


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