『ロボット』
【ロボット】
ロボット。それは何らかの目的で作られた機械。プログラムされ、操作される。それは作業用に適した姿をしているか、何らかの物を模して作られているか。それは目的によって多種多様な形で存在するが、中には人間と見間違うほどに精巧に作られたもの存在する。汎用性を持たせるためか、あるいは神が人を創ったかのように、人間自身も何かを生み出したかったのか。理由はそれぞれあるだろう。今、私が横になっているベッドの隣に鎮座するそれも、そんな人のエゴによって生み出された、人形のうちの一体である。
「お加減はいかがですか」
それは、まるで人間のような流暢な言葉を使いこなし、私に尋ねた。表情に温和。と、言っても、私は長年それと連れ添ってきているが、その間でそれ以外の表情を見たことがない。ただの家政婦ロボットにそんな機能は必要ないからだろう。しかし、そのロボット然とした張り付いた表情がとても私の嫌悪感を助長させる。
何か嫌味を言ってやろうと思い、口を開くが、その喉から何らかの言葉を発生させることはできなかった。口には呼吸を補助するためのマスクが付けられ体中からは、いくつもの管がベッドの横にある大きな機械の箱へと繋がっている。
もう、私には命が残されていなかった。素晴らしい人生かと言われればそうでもなかったし、何かを成した一生とも言い難い。一方で悔いがあったかというとそうでもない。死ぬということに関しては、これほどまでに実感があって尚、こんなもんか、という感想しか湧いてはこなかった。
もう死神は鼻息さえもかかるほどに目の前に迫っている。それは、そんな私の状況を知ってかしらずか、ただただ、私の回答を待ちわびていた。私の口から言葉が紡がれることなんてないということだって、いい加減わかっているだろうに。次期にそれは、私の返答がないと理解して、踵を返しいつもの仕事へと戻っていくのである。
しかし、その日は違った。
それは決して部屋から立ち去ろうとはせずに、ずっと、私のことを、そのガラスの瞳で見つめ、そこに立ち尽くしていたのである。
いい加減、壊れたのだろうか。私はそう思う。当然だ。
決して、メンテナンスを怠っていたわけではない。忌々しいと思いながらも、家の仕事を全て託していた存在だ。いなくては何かと不便。だからこそ、定期的なメンテナンスは行っていた。しかしながら、私の半生を共にした相手である。姿かたちは変らずとも、当然、寿命というものは訪れるだろう。それが偶々、私のそれと重なった。ただ、それだけのこと。
しかし、そういう訳ではなかったようである。
どれほど経ったのだろうか。見た目そのままに老い果てたそれが不意に口を開く。
そして、口内に設置されているであろう、スピーカーから小さく音が漏れた。
聞き取れない。
ロボットにその言葉を適用するのは間違っているのかもしれないが、それは小さく、小さく、何かを呟いていた。
どうしている内、それは、私のベッドの横に跪き、そのか細い腕で私の腕をしっかりと握る。その腕は人工皮膚、筋肉で包まれ質感こそ、人間のものと変らない。そして、冷たかった温度も私の腕に同調して、徐々にではあるがあったまっていく。
私は動揺した。なぜ、このような行動をとるのか。家政婦ロボットが。表情一つ変えることのできない機械の人形が。
まるで、自分が哀れまれているような、そんな感覚に陥り、腕を払おうとするが、元より残り少ない天寿を全うしようとする身に、そんなことは不可能であった。
しかし、それの手はその動きを察知したのか、ゆっくりと、その手を緩める。
「申し訳ございません」
謝られた。これはいったい、何故、このような行動に出たのだろうか。これも機械の誤作動なのだろうか。
「旦那様、覚えておられますか。」
そう、逡巡した後に投げられた不意の問いかけ。
「私が始めて旦那様に拾われた日を。」
もはやそれは、誤作動なんていうレベルのものではなかった。表情こそ、動かさないものの、それははっきりと、まるで人間がそうするかのような口調、声色で思い出話を始めたのである。
「廃棄されていた私を、旦那様は家まで持ち帰り、きちんと修理してくださいました。」
遥か、昔の記憶。半世紀近くも前の出来事である。しかし、それの語りと共に、その映像は鮮明に思い出されてきた。
機械だからと言えば、当然であろう。それは私の覚えていないような細かなことまで、正確に紡ぎだす。何故、今更、そのようなことを話し出すのか。理解できないながらも、ただただ、その思い出に身を委ねてしまう。気がつけば、それまで嫌悪感すら覚えていたそれの言葉に涙し、二の句を待つようにさえなっていた。
「―――旦那様。私は貴方に感謝しています。」
突然。実に不意な形で、私は彼女の心を聞く。思ってもみない言葉だ。当然だろう。私は今まで、彼女にただただ、つらく当たっていたのだから。身の回りの世話を何でもしてくれる、何を言っても文句一つ言わず後ろを歩いてきてくれる彼女に。
そうか、だからか。だから、彼女につらく当たってきたのか。そうすることができたのか。
彼女の言葉に胸がいっぱいになる。そして、自分の愚かさにも。その私の心意に気がついたのだろう。彼女はまた、ゆっくりと私の手を握った。そして、ゆっくりと語りだす。
「旦那様は、旦那様自身が思っているほど、ひどいことはされてなかったんですよ? だって、そうでなければ、私はこんなにも長い間、旦那様のお側にいることはできませんでしたから」
私は、どうして気付いてあげられなかったのだろう。もっと、はやく気がつけば、また違う生活、あるいは気持ちで全うできたかもしれないのに。
「私は、旦那様のおそばにいれて、楽しかったですよ」
ただ、私は。
「最後に、ロボットなりの我侭で、言わせていただきます。」
その言葉だけで。
「貴方」
救われる。
「ありがとう。」