10.クリスマスツリーとアップルティー
10.クリスマスツリーとアップルティー
健司は松波の仕事で、傘下の土建会社で働く作業員を一人殺害していた。 借金を回収するために生命保険に入れ、事故を装い、工事現場内で始末した。 表向きは事故として処理されたが、事故直前に生命保険に入ったこと、受取人が松波になっていたことで警察は借金がらみの保険金殺人事件の線で密かに捜査を継続していた。 当時、被害者と同じ現場で働いていた健司は実行犯の疑いがかけられていた。
松波の恨みを買っている元国交省の役人は、警察の管理が行き届く一戸建ての屋敷に移されていた。 外へ出る際は常に数人のSPが警護にあたっていた。 年末年始も外出を控えるように言い渡されていたため、家族をこの屋敷に呼んで過ごすことにしていた。
健司はビルメンテナンス会社に臨時の清掃作業員として潜り込んでいた。 12月に入ると、年末年始休暇に備えてのメンテナンスや清掃の依頼が殺到し、それこそ猫の手も借りたいほど忙しくなる。 臨時作業員の採用も、身元確認が甘くなる。 健司が臨時作業員として採用されるのにも、これといった障害は全くなかった。
元国交省の役人の屋敷も年末年始休暇前に設備のメンテナンスとハウスクリーニングを行うことになり、健司が入った会社が仕事を請け負った。
作業員の出入りは警察のチェックが厳しい。 健司は前日からここへ向かう清掃班のワンボックスカーに潜んでいた。 翌日、清掃班が屋敷に到着したのち、密かに抜け出し屋敷の中に隠れた。
健司が東京を離れたことで、俊彦はマリの護衛を解除してもいいと若田部に伝えた。 若田部は頷いて俊彦に従ったが、密かに監視を続けるよう向井に指示した。
マリは以前のように俊彦の部屋から店まで自転車で通っている。 風が肌を刺すほど寒さが増してきたが、マリはその冷たい風を感じながら自転車を走らせるのがけっこう気に入っていた。 俊彦が店に来た時は、俊彦がマリを後ろに乗せて二人乗りして帰った。
「私たち恋人同士に見えるかしら?」俊彦にしがみつきながらマリが聞く。
「恋人同士というには俺が歳をとり過ぎている」俊彦はそう言い、ペダルを踏む足に力を込めた。 ここら緩やかな上り坂になる。
「あら、それじゃあ、仲のいい親子かしら?」
「親子がこんな夜中に二人乗りか?」
「じゃあ、不動産屋の社長と愛人のホステスっていうのはどう?」
「そいつはいい線いってるなあ」俊彦がそう言うと、二人は笑いだした。 二人の笑い声が道路沿いのイチョウ並木に絡みついては消えていった。
健司は屋敷に潜り込むと、寝室のクローゼットの中に隠れた。 清掃班が作業を終え、帰っていくと、屋敷の中には静寂が訪れた。 そうして、獲物が帰ってくるのを静かに待った。
俊彦の部屋のリビングにはクリスマスツリーが飾られた。 マリが部屋の掃除をしているときに、物入れに埋もれていたものを引っ張り出して飾り付けをした。
「もうすぐクリスマスね…」ツリーにぶら下がっているリンゴの飾りを揺らしながらマリがふとつぶやいた。 キッチンからはほんのりとリンゴの香りが漂ってきた。
「たまには、こういうのもいいかな」俊彦はティーポットとカップを2つ運んでくると、アップルティーを入れてマリに勧めた。
「いい香り…。 アップルティーですね」そう言って一口飲んだ。「おいしい!」
「クリスマスには二人でパーティーでもしようか?」俊彦が提案した。
「本当に? うれしい!」マリはこれ以上ないくらいの笑みを浮かべて俊彦を見た。 しかし、すぐに物憂げな表情に変わった。「イヴの日はお店があるわ」
「店が終わる頃、迎えに行くよ。 次の日は休みだから朝までパーティーだ。 どう?」
「うん! トシさんが良ければ」そう言ってマリは俊彦に抱きついた。
健司は暗闇の中、ひたすら獲物を待っていた。 居間から聞こえてくる時計の時報音が三度鳴った。 深夜3時。 扉の向こう側に明かりが付いた。 獲物が戻ってきた。
健司は扉の隙間から様子をうかがう。 獲物はかなり酔っていると見え、上着を床に放り投げると、ネクタイも外さずにそのままベッドに倒れ込んだ。 そしてすぐに、いびきをかき始めた。 獲物が寝たのを確認すると、健司はクローゼットから出て、付けっ放しにされていた部屋の明かりを消した。




