二,歴史を写したビデオ
番組のチーフディレクターであった三津木俊作は岳戸由宇ともども「お札さま事件」の責任を取らされ番組を降板、東亜テレビからも退職させられた。
チーフに昇格したスタジオディレクターの下、最後の収録は寂しい雰囲気の中行われた。
番組の構成は過去反響の多かったネタの再放送が大半で、それではあんまりなので人気の高い紅倉に最後に大ネタの鑑定を行ってもらって締める、というものだった。
紅倉に最後に与えられた大ネタ、
それはこれまでの一般投稿写真やビデオとは大いに趣の違う物だった。
今からちょうど二十年前、ソ連体制崩壊に伴い連鎖的に起こった東欧の反共産主義革命の中で、ある独裁者が射殺された。
その某国は豊富な地下資源を武器に近隣のソ連とも中国とも距離を保ち一国独自の共産主義体制を堅持し、時のニコライ(仮)大統領が「帝国」と称される強固な独裁体制を敷いていた。
他の共産主義国家が続々民主化されていく中、ニコライ大統領は独裁する共産主義体制を最後まで手放そうとせず、徹底した情報管理で国民を外界から遮断し、帝国を維持しようとした。
しかし自由を渇望する民衆は民主主義運動を展開し、これを大統領は徹底的に弾圧した。民主主義運動家を手当たり次第に投獄し、処刑し、それでも言うことを聞かず膨れ上がる民主主義運動集会の民衆に対し、軍に発砲命令を下した。これを拒否した国防大臣が翌日「自殺」すると、独裁者たる大統領への民衆の怒りは爆発し、大統領の恐怖政治に反発する軍も民衆側に付き、政府施設を占拠、力を得た革命勢力は一気に大統領府に迫り、大統領夫妻はヘリコプターで脱出した。この脱出劇の模様は国営放送を手中にした革命勢力と取材の外国マスコミによって世界中のテレビで流され、人々に現在進行形の歴史を強く印象づけた。
独裁政権は崩壊し、投獄されていた政治犯たちが一斉に解放され、民主化運動の勝利が喜ばれたが、その夜から革命軍と大統領シンパの治安警察の戦闘が始まり、治安警察隊は秘密の地下道を通ってのゲリラ攻撃を展開し、市街地を中心に電撃的に激しい戦闘が繰り広げられた。
逃亡を続けていた大統領夫妻は革命政府により逮捕、拘束された。
施設に監禁された大統領は本来であるならば大法廷で裁かれ、その罪を明らかにされて断罪されるべき所であったが、予想以上に激しい大統領派の軍事的抵抗に事を急ぐ必要に迫られ、非公開の軍事法廷で「不正蓄財と国民に対する虐殺行為」により死刑を言い渡され、即刻妻と共に銃殺された。
大統領夫妻の処刑により大統領派の抵抗も勢いを失っていき、五日間に渡り千人の犠牲者を出した激しい戦闘は収束していった。
さて、
紅倉の仕事である。
正義の名の下に裁判で大々的に裁かれるはずであった大統領がほんの数分?の秘密裁判であっと言う間に射殺されてしまったのは、大統領シンパの秘密警察が大統領を奪いに襲ってきて情勢が更に混乱するのを怖れ、また当時ゴルバチョフ最高会議議長の下民主化(ペレストロイカ)が進められていたとはいえいまだ解体はされていないソ連邦の軍事介入も恐れられ、国内の混乱を早急に納める必要があったからだが。
革命政府は銃殺された直後の大統領の写真を国内外に発表し、抵抗を続ける秘密警察軍にも大統領の死を知らしめた。
それで戦闘が収まったのだからよいのだが、当時から「大統領影武者説」は根強く噂されていた。
逮捕された大統領夫妻が影武者ペアであった、
または、
公開された大統領の死体写真は、生気も抜け銃撃の衝撃で歪み、生前の我の強い面影とは印象が全く異なってしまっていて、
写真は偽物なのではないか?
との憶測もされた。
当時革命政府はその疑惑を強く否定し、実際その後大統領も現れていないから、たしかに写真も死体も本物で、大統領は死んだのだろう。
しかしその後国際経済の荒波に揉まれる同国の経済は悪化し、失業者も増え、少なくとも最低限の生活を保障されていた大統領の共産主義時代を懐かしむ声は一般国民の中にも多い。あの激しい戦闘を伴った革命運動も、実は民衆の不満を利用した体制内の権力闘争だったのではないか?とのうがった見方をする者もいて、事実戦闘の死傷者に対する責任の在処を巡る調査も進まないままうやむやとなり、時の政権下で権勢を誇っていた政治家が新政府に残留しているなど、現在に遺恨を残し、革命の後始末には失敗したと見られても仕方ないだろう。
さてまた紅倉の受け持ち分野から逸れてしまったが、
革命から二十年、大統領の死に関する新資料が公開され、それがまた新たな疑惑を呼ぶこととなってしまっているのだ。
これも当時から噂されていたことであるが、
大統領の銃殺の一部始終を撮したビデオがあるというのだ。
この噂について何故それを公開しないのか? 公開して根強くくすぶる大統領生存説をきれいに打ち消してやればよいではないか?、との声が一般市民から新政府に寄せられた。
新政府はビデオの存在を認めず、もしあったにしても故人の最低限の尊厳を守るため公開はされない、といずれにせよ公にするつもりはないようだった。
それが、やはり「ある」という事実が明かされ、二十年後の今日、ようやくそれが公開されたのだ。
そこには確かに寒々とした景色の中に立ち、数発の銃弾を体に受けてひっくり返り、動かなくなった大統領の姿が映されていた。
カメラは倒れた大統領に歩み寄り、銃撃の跡と顔を確かめるように正面から覗き込む形で胸から上を撮した。この構図は公開されていた死体写真といっしょである。
問題はここで起こった。
銃撃を受け、筋肉を弛緩させて顔の相好を崩し、わずかに口から血を流した大統領が、
カッと目を開き、
もともと白い肌に更に血の気を失って蒼白となった顔を持ち上げ、
わっと口を開けてものすごい表情となり、
次の瞬間には白く薄れて、元の死体の顔になって地面に横たわっている。
カメラはしばらく大統領を撮し続けるが、死体となった大統領はもちろん動かず、そのままおもむろにビデオは終わる。
さて、これはいったいなんなのか?、と見る者は首を傾げるし、これを見た当時の政府要人たちもぎょっとし、ううむとうなり、公開を見送らざるを得なかったのだろう。
今回公開に当たり、この現象は
「カメラの故障により」
と説明された。
カメラの故障により一部乱れがあり、ゴーストが発生している、と。
ゴースト、とはまさにゴーストであるが、テレビのゴースト障害のことを言っているのだろう。アナログテレビでビルなどに電波が当たって跳ね返り、それを捕らえて映像がぶれてしまう現象である。撮影したビデオカメラにそれはないだろうが、常識的に考えれば、悪趣味な合成映像であるか、もしくは、前に撮影済みの映像が重ね取りした際に磁気ヘッドの不具合で消去しきれず表に残ってしまった、というところだろう。
しかしそう思って見てもいかにも不自然な映像であり、やはり一般的には、
大統領の無念の魂が写ってしまった、
いわゆる「心霊ビデオ」と見るのがもっとも自然だろう。
それにしてもこれだけ歴史的瞬間を撮した映像に、これだけはっきりした心霊現象が写ってしまった例は他にないのではないだろうか?
さてようやくであるが、紅倉美姫にこの歴史的心霊ビデオの真贋を鑑定してもらおうというのである。
スタジオで紅倉に見てもらうのはかの国の国営放送のニュース番組を録画した物である。
モニターでニュース番組のビデオを見た紅倉は、
「ふうん」
と、いつものように顎に指を当てるお得意のポーズを取って鼻にかかった声を出した。ぴくりと眉をつり上げまぶたを震わせると、眠そうにまぶたを重くしてモニターを見つめ、ビデオが終わると、
「ふう」
と疲れたようにため息をついた。
と思うとカメラを見て目を輝かせ、にっこり笑った。
「これは心霊的にも世紀の決定的瞬間が写ったビデオですね。
ここには人が死の瞬間にどうなるか?という答えが写っています。
まさに決定的瞬間なんですが、分からないでしょうから詳しく解説しましょうね」