第二話② 試される記録者
その言い方は、慰めでも突き放しでもなかった。
ただ事実として、可能性を示しているだけだった。
「敗因録が誰かを責めるものじゃなくて、次の生存率を上げるものなら、見せる相手を選べばいい。そういうことでしょう?」
「……」
その発想は、俺にはなかった。
追放されてからの三日間、考えていたのは仕事のことばかりだった。日銭をどう繋ぐか。非戦闘員の自分をどこが拾うか。記録を続ける余裕があるか。だが、目の前の女は最初から別の話をしている。
この記録を、どう使うか。
「あなた、何人で潜るつもりなんです」
「四人」
「もう三人は揃っている?」
「ええ。前衛二人、後衛一人。そこに、あなたが入って四人」
ミラはそこで初めて、仲間の名前を口にした。
「ノア・リース。盾と槌を使う前衛。押し込むより、崩れない方が得意」
「盾役……」
「それからシエル・アルマ。火力より、照明や結界、簡易感知の魔術を得意にする魔術師。派手さはないけど、頭の回転は速いわ」
レインはその名前を頭の中でなぞる。
どちらも聞いたことがない。少なくとも王都で大きく名の売れた探索者ではない。
それを見て取ったのか、ミラは肩をすくめた。
「有名どころじゃないわ。でも、その方が都合がいい」
「どういう意味です」
「失敗を隠さなくて済むから」
あまりにもあっさり言われて、レインは一瞬言葉を失った。
「名が売れた隊ほど、負け方に値段がつくの。みっともない撤退、判断ミス、連携の崩れ――そういうものを見せたがらない。でも私は逆だと思ってる。浅いところで恥をかけない隊は、深いところで死ぬ」
部屋の狭さが、逆にその言葉をまっすぐ届かせた。
「ノアもシエルも、最初から話してあるの。私たちは綺麗に勝つ部隊じゃない。失敗を残して次で勝つ部隊を作るって」
「それで、僕に会うことを?」
「嫌がらなかった。正確には、シエルは面白がってたし、ノアは半信半疑。でも二人とも、会う価値はあるって言ったわ」
レインは敗因録を閉じた。
革表紙に手を置く。三日間、その重みはほとんど荷物でしかなかった。だが今は、少しだけ意味の違う重さに思える。
「僕は戦えませんよ」
「知ってる」
「荷物になる可能性も高い」
「それも分かってる」
「それでも?」
ミラは、まるで当然のことのように答えた。
「迷宮で役に立つものが、前で戦う力や魔術や聖術だけなら、とっくにもっと楽になってるわ」
――――――――――――――――――
ノアとシエルに会ったのは、翌朝だった。
場所は南区の外れにある、小さな食堂兼酒場の二階。朝のうちは酒よりも薄い粥と黒パンを出す店で、探索者たちが潜る前に軽く腹を満たすためによく使うらしい。
ミラに案内されて入った二階席には、すでに二人の男女がいた。
一人は大柄な男だった。年は二十代後半ほど。背の高い椅子にも窮屈そうに座っている。足元には使い込まれた大盾と片手槌。髪は短く刈り込まれ、無駄口を叩かなそうな顔をしていた。
もう一人は細身の女だった。淡い灰色のローブの上に外套を重ね、机の上には小さな灯石と細い筆記具が並んでいる。魔術師らしいが、ただの後衛というより、何かを観察する癖のある目をしていた。
「紹介するわ」
ミラが先に口を開く。
「ノア・リース。こっちはシエル・アルマ。そしてこの人が、昨日言ってたレイン・エルマー」
「……どうも」
「初めまして」
ノアは立ち上がりこそしなかったが、椅子に座ったまま軽く頭を下げた。
「ミラから話は聞いた。記録係、でいいのか?」
「一応は」
「一応、ね」
シエルが面白そうに言う。
「勇者パーティ付きだったのに、今は職探し中。しかも三日連続で断られてる。だいぶ珍しい経歴」
「シエル」
「事実でしょ」
咎めるミラにも、シエルは悪びれない。だが敵意もなかった。ただ、相手の輪郭を確かめているだけだ。
レインは空いていた席に座った。
「事実です。否定はしません」
「じゃあ一つ聞いていい?」
シエルは机に肘をつかず、灯石を指先で転がしながら言った。
「戦えない人を隊に入れるなら、その人を守る理由が必要になる。あなたは自分が守るに値するって、どう説明するの?」
ずいぶんと真っ直ぐな問いだった。
だが、この場ではむしろ誠実ですらある。
レインは少しだけ考え、それから答えた。
「守られるために入るつもりはありません」
「ふうん」
「僕の仕事は、隊の死を減らすことです。誰が先に崩れるか、どこで判断がずれるか、何を見落としたかを見て、危険になる前に止める。それでも防ぎきれなかった時は、何が敗因だったのかを残して、次で同じ失敗を繰り返さないようにする」
「それって、失敗してからじゃないと役に立たなくない?」
「違う」
今度は即答だった。
「僕が見ているのは、失敗そのものじゃありません。失敗になる前の崩れ方です。隊列が半歩ずれる、会話が減る、消耗が偏る、退くべき場面で欲が残る――そういう小さな兆候が積み重なって、最後に事故になる。だから、その場で止める意味がある」
「……」
「それに、止めきれなかった時も、その失敗がどう起きたかは、その瞬間にしか拾えない形があります。撤退した足取り、沈黙の長さ、物資の減り方。深く潜るほど、それは誰かの記憶からこぼれる。だから外から読むだけじゃ足りないんです」
シエルは灯石を止めた。
ノアもまた、黙ってこちらを見ている。
「つまりお前は、崩れる前に気づいて止める役で、崩れたなら崩れ方を残す役か」
「そうです」
「縁起でもないな」
「ええ。ですが、必要です」
しばしの沈黙のあと、ノアが低く言った。
「嫌いじゃない」
俺は少し意外に思って顔を上げた。
ノアは大きな手で木の椀を持ち上げ、残っていた粥を一口で飲み込むと、静かに続けた。
「守る理由を、守られる側の言葉で言わなかった。そこはいい」
「ノア、それ褒めてる?」
「半分くらいはな」
シエルはそこで、今度は本当に少し笑った。
「じゃあ私からも一つ。これ、見て」
彼女は机の端から一枚の紙を滑らせた。
簡単な手描きの地図だった。昨日か一昨日のものらしく、まだ筆跡に迷いが少ない。王都近郊の浅層迷宮、その二層目までの簡略図。だが右下の分岐だけ、不自然に二重線になっている。
「これ、私たちが三日前に潜った時の記録。二層の西側で、通路の感覚が妙だったの。私は魔力の流れがずれたと思ったし、ミラは空気が逆流してるって言った。ノアは嫌な静かさって言って引き返した」
「……それで?」
「何が起きてたと思う?」
試験だ、と俺は理解した。
地図を受け取り、机に広げる。
筆圧、線の乱れ、注記の位置、歩数の記録。粗いが、読む材料は十分あった。
「ここで引いたんですね」
レインは二重線の少し手前を指した。
「正解」
「なら、その先は道じゃない。少なくとも、通路として認識させるための通路じゃないです」
「どういうこと?」
シエルの声色が少し変わる。
「二重線の間隔が途中から狭くなっているのに、歩数の増え方が変わっていない。つまり、体感上は真っ直ぐ進んでいるのに、記録上は横に流されてる。加えて、静かすぎるというノアさんの感覚と、空気の逆流。それならおそらく、あそこは音と風を使って方向感覚をずらす区画です」
レインは紙の余白に短く線を書き足した。
「そのまま進めば、帰りに灯りと音の基準を失います。深追いしていたら、撤退時に隊列が崩れたはずです」
「……当たり」
シエルは目を丸くした。
「実際、引き返したあとで入口側の灯石が一つだけ急に暗くなったの。結界も反応が遅れた」
「なら、そこは行きより帰りで殺す型ですね」
「うわ、嫌な言い方」
「迷宮はたいていそうです」
ミラが横で満足そうに腕を組む。
「だから言ったでしょう。連れてくる価値はあるって」
「確かにあるわね」
シエルは素直に認めた。
「少なくとも、うっかり死ぬ理由を先に言葉にできる人ではある」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「いいと思うよ。うち、そういうの足りてなかったし」
ようやく空気が少し緩んだ。




