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追放された遠征書記官は、勇者パーティの敗因を知りすぎている  作者: 黒猫
第一章 失敗を拾う者たち

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第二話① 敗因を武器にする女

 レインの部屋は、来客を迎えるようにはできていなかった。


 寝台が一つ、机が一つ、壁際に積まれた紙束と丸めた地図。遠征用の外套を掛けるための釘が一本。勇者パーティ付きだった頃は、ここへ戻るのは記録を整理して仮眠を取るためだけだった。誰かを座らせて話すような場所ではない。


「狭い部屋で悪いですね」

「気にしないわ。落ち着く部屋の方が好きよ」


 ミラはそう言って、躊躇なく机の前の椅子に腰を下ろした。腰の細剣が木の背に軽く当たり、乾いた音を立てる。


 レインは扉を閉め、鞄を机の上へ置いた。


「それで。話っていうのは」

「その前に、一つ確認させて」


 ミラは部屋を見回したあと、真っ直ぐレインを見た。


「私が今から聞くのは、勇者パーティの機密じゃない。あなた自身が見て、考えて、残したことだけ。それで合ってる?」

「……ええ」

「なら聞かせて。黒冠迷宮の第三分岐で、どうしてあなたは撤退すべきだと思ったのか」


 レインはすぐには答えなかった。


 机の上の鞄。その中には敗因録がある。三日間、誰にも要らないと言われ続けたそれを、今度は初対面の女が「聞かせて」と言う。


 試すような口調ではなかった。

 だが、軽い興味でもない。


「先に、僕も一つ聞いていいですか」

「どうぞ」

「あなたは、どうしてそこに目をつけたんです」


 ミラは頷いた。問われるのを待っていたような顔だった。


「勇者パーティが七回目の遠征から戻ってきた日、南門の検分所が妙に騒がしかったの。私は別件でそこにいたんだけど、隊の連中が揉めてる声だけは聞こえた」

「揉めていた……」

「ええ。誰かが“第三分岐で引くべきだった”って言ってた。前衛の言葉じゃない、ってすぐ分かったわ。前に立つ人間は、ああいう時、自分の判断をそんな言い方では切らないもの」


 ミラは肘を机につかず、背筋を伸ばしたまま続ける。


「それで、勇者パーティの構成を当たった。闘術、聖術、魔術――そこまでは有名だったけど、遠征記録と補給を兼ねてる人間がいるって聞いてね。名前を追ったら、あなたに辿り着いた」

「……たったそれだけで?」

「たったそれだけで十分よ。死ぬか生きるかの判断をする人間が、表に出ない役割にいることは珍しくないもの」


 レインは黙っていた。


 彼女の話は、驚くほど筋が通っていた。

 噂に踊らされた人間の足取りではない。必要な情報だけを拾って、ここまで辿り着いた人間のものだ。


「今度は僕が答える番ですね」


 レインは鞄から敗因録を取り出した。革表紙が机の上に置かれると、部屋の空気が少しだけ変わる。


 ミラの視線がそこへ落ちる。だが彼女は、すぐに手を伸ばしたりはしなかった。


「第三分岐で撤退すべきだと思った理由は三つあります」

「三つ」

「一つ目、反響です。あそこの通路は、普通なら足音が少し遅れて返る。でも七回目は違った。前方の反響が薄く、横への逃げ道だけ妙に残っていた」

「空間が歪んでた?」

「ええ。少なくとも、いつもの構造ではなかった」


 レインはページを開き、簡単な地図を指でなぞった。


「二つ目、補給の減り方。水袋の消費と灯石の交換時期が、予定より半刻ぶん早かった。隊列の歩幅が乱れていた証拠です。焦って前へ出た人間がいる」

「勇者?」

「おそらく。あるいは、それに引っ張られた前衛全体です」


 ミラはそこで初めて、小さく息を吐いた。

 感心した、というより、納得した時の息だった。


「三つ目は?」

「会話です」


 レインは短く答えた。


「会話?」

「勝てると思っている隊ほど、迷宮の中で会話が減るんです。役割分担ができているから、という意味ではない。確認しなくても通じると思い始める。七回目の勇者パーティは、まさにそれだった」


 机の上の敗因録には、細かい文字が並んでいる。

 誰が何を言ったか。誰が黙ったか。何歩ぶん沈黙が続いたか。紙の上には、英雄譚に残らない種類の情報が詰まっていた。


「第三分岐に入る前、隊内のやり取りが目に見えて減っていた。だから僕は引くべきだと言ったんです。あそこから先は、判断が一つずれるだけで全員が死ぬ」

「……なるほどね」


 ミラは頷き、ようやく少しだけ椅子にもたれた。


「やっぱり来て正解だった」

「まだ、僕の話を信じただけでしょう」

「違うわ」


 彼女は即座に否定した。


「信じたんじゃない。辻褄が合ったの。私も似た失敗を見たことがあるから」


 その声だけが、ほんの少し低くなる。


「昔いた隊でね。最初の遠征でうまくいった抜け道に、二回目もそのまま入ったの。構造は同じに見えた。でも迷宮は、二回目だけ道幅を狭めてた。退く順番が崩れて、一人死んだ」

「……」

「その時、私は思ったのよ。迷宮は、勝ち方を覚えた人間から先に壊すんだって」


 レインは、思わずミラを見た。


 昨夜、宿の前で彼女が言った言葉。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 あれは格好をつけた台詞ではなかったのだ。彼女自身が、そういう死に方を間近で見てきた人間の言葉だった。


「……それで、敗因を拾える人間を探していた?」

「ええ。正確には、()()()()()()()()()()()()()()()()()ね」


 レインの指先が、わずかに止まった。


 その言葉は不思議なくらい素直に胸へ入ってきた。

 敗因を見つける。記録する。分析する。次に活かす。

 やってきたことを、無理なく一つの形にまとめられた気がした。


「それ、少し見せてもらえる?」

「全部は無理です」

「全部はいらない。あなたが何を見てるのか分かるページだけでいい」


 少しだけ考えてから、レインは第三分岐の記録ではなく、別のページを開いた。


 六層祭壇の失敗記録だった。初回成功時の手順に固執したことで加護の順番が遅れ、前衛の立ち位置がずれ、撤退路を塞いだ件。細かな時系列と簡略図、そして末尾には短い結論が書かれている。


 初回成功は()()ではなく、()()の通過例でしかない。


 ミラは黙って読んだ。


 途中で眉を寄せるでもなく、失敗の羅列に顔をしかめるでもなく、ただ必要な情報として目を通していく。その読み方が、俺には少し意外だった。もっと感情的に反応するものかと思っていたのだ。


「……これを書いた時、隊はどう反応したの」

「反応以前に、見せていません」

「見せてない?」

「断片的には口頭で伝えました。でも、こういう形では」


 ミラはゆっくり視線を上げた。


「それ、正しかったと思う?」

「どっちがです」

「見せなかったこと」


 レインはすぐには答えられなかった。


 正しかったのか。

 違ったのか。


 敗因録はずっと、彼一人の私記だった。隊の外へ出せば波風が立つ。隊の中へそのまま出しても、誰かを責める形になりかねない。それが分かっていたから、必要な部分だけを噛み砕いて伝える方を選んできた。


「……分かりません」

「そう」


 ミラは短く言い、そして小さく笑った。


「でも、今なら外に出せる」

「え?」

「あなたはもう、勇者パーティの中の人間じゃない」


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