第一話③ 随分探したわ
日が沈みきる前に宿へ戻る。
階段を上がり、自室の扉を開けようとしたところで、後ろから女将に呼び止められた。
「レイン、お客だよ」
「……僕に?」
「昼過ぎから来てたんだけどね。あんた、なかなか戻らないから、宿の前で待ってる」
そんな相手に心当たりはなかった。
探索庁の人間なら、もっと高圧的に来るだろう。斡旋所の紹介にしては早すぎる。まさかアレスたちが気を変えたとも思えない。
訝しみながら外へ出る。
夕闇の石畳に、外套姿の女が立っていた。
長身。肩までの髪。腰には実戦用の細剣。
街灯の下で腕を組み、こちらを見ている。立ち姿だけで分かる。場数を踏んだ人間の重心だ。
女はレインの顔を確認すると、小さく息をついた。
「……随分探したわ」
その一言に、レインは足を止めた。
「誰です?」
「ミラ・ベルク」
女は短く名乗った。
「あなたがレイン・エルマーで間違いないわね」
「そうですが」
「勇者パーティ付きの遠征書記官だった人」
追放されたことまでは言わない。
そこに、逆に妙な現実味があった。
彼女は噂話を拾ってきたわけじゃない。ただ必要な人物を調べて、ここまで辿り着いたのだ。
ミラは宿の壁から背を離し、一歩近づいた。
「話がしたいの。できれば、記録の読める場所で」
「……記録?」
その言葉にだけ、レインの声がわずかに変わる。
ミラはそれを見逃さなかった。
「三日前、黒冠迷宮の第三分岐で撤退判断を進言したの、あなたでしょう」
「なぜそれを」
「その判断だけ、妙に正確すぎるのよ。戦った連中より、後ろにいた人間の視点だと思った」
レインは黙った。
ミラは続ける。
「私、新しく迷宮に潜る仲間を探してる。剣を振るえる人間はいる。でも、失敗を拾える人間がいない」
「……失敗を、拾う?」
「ええ」
彼女の目は真っ直ぐだった。
強さを誇示する目ではない。必要なものを選び取る目だ。
「勝ち方しか見ない隊は、いずれ同じところで死ぬ。私はそれが嫌なの」
「……」
「あなた、持ってるんでしょう? 成功談じゃなくて、見たくない記録の方を」
レインの手が、無意識に鞄へ触れる。
三日間、誰もそこに価値を見なかった。
戦えない。だから要らない。
そう言われ続けたあとで、初めて違う角度から言葉を向けられる。
胸の奥で、何かがわずかに軋んだ。
「なぜ僕を?」
「必要だからよ」
ミラは即答した。
「それに、王都中を回って分かった。あなた、自分を売り込むのが下手すぎるわ」
「……見てたんですか」
「少しだけ。斡旋所にも聞いた。三日も前から探してたのに、入れ違いばっかり」
そこで彼女は、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「だから言ったでしょ。随分探したって」
レインは、ようやく少しだけ息を吐いた。
三日分の疲労が、今になって一気に押し寄せてくる。
だがそれと同時に、完全には消えていなかった熱も胸の底に戻ってきた。
「……話だけなら」
「十分よ」
ミラは頷く。
「ただし、先に言っておく。私は戦えないから要らないなんて言わない」
「どうして」
「迷宮で本当に足りてないのは、剣そのものじゃない時があるから」
夜風が、二人の間を抜けた。
レインは宿の扉を振り返り、それからミラを見た。
追放された夜は、もう終わっている。
だが、終わったままではいなかった。
「分かりました。部屋へどうぞ」
「お邪魔するわ」
ミラが歩き出す。
その背を見ながら、レインは鞄の中の敗因録の重みを確かめた。
捨てなくてよかった、と初めて思えた。
この出会いが救いかどうかは、まだ分からない。
けれど少なくとも――
敗北を記した紙束を、初めて武器として見た人間がいた。




