第一話② 戦えない男の三日間
その夜、レインは王都南区の安宿へ戻った。
勇者パーティ付きだった頃から使っていた部屋だ。広くはないが、机と寝台があり、壁際には地図を広げられるだけの余白がある。上等とは言えないが、一人で記録を整理するには十分だった。
鞄を下ろすと、妙に部屋が広く感じた。
遠征から戻るたび、ここには次の準備があった。補給品の確認、地図の修正、遠征中に取れなかった仮眠。だが今夜は違う。
次の遠征は、ない。
いや――正確には、まだない。
レインは寝台に腰を下ろし、膝の上に敗因録を置いた。
「仕事を探さないと」
口にしてみると、やけに空々しい。
書記官。補給補佐。記録係。
名称はそれなりにある。だが、迷宮で求められるのは結局のところ、闘術で前に立てるか、魔術や聖術が使えるか、その二つだ。
俺はそのどちらでもない。
分かっていたことだった。
分かっていたはずなのに、勇者パーティにいた時間が長すぎて、少しだけ忘れていたのかもしれない。
レインは敗因録を開いた。
紙の上には、他人の失敗ばかりが積み重なっている。
そして、最後のページには、まだ何も書かれていなかった。
「……ここに書くなら、今度は俺の番か」
彼はインクをつけ、短く一行だけ記した。
追放初日。記録者は、戦えないという理由で居場所を失った。
――――――――――――――――――
翌朝、レインは人材斡旋所へ向かった。
探索庁の正式機関ではないが、王都で迷宮に潜る者たちの多くは、そこで臨時の仲間や荷運びを探す。掲示板には依頼と募集がぎっしり貼られ、朝から多くの冒険者たちでごった返していた。
レインは受付で、できるだけ簡潔に言った。
「遠征記録と補給管理ができます。地図の整理、荷の配分、消耗計算、簡易の経路記録も」
「戦えますか?」
返答は、驚くほど早かった。
「……いえ」
「前衛は?」
「無理です」
「後衛魔術は?」
「使えません」
「聖術は?」
「そちらも無理です」
「護身術程度は?」
「最低限だけです」
受付係の女は、慣れた顔で羊皮紙を閉じた。
「でしたら難しいですね」
「記録係としてなら」
「迷宮で文字を書く余裕があるのは、大きな余裕がある隊だけです。そういう隊は、たいてい身内で人員が足りています」
そこで終わりだった。
レインは食い下がろうとして、やめた。
受付係は悪くない。ただ事実を述べているだけだ。
斡旋所を出たあと、小規模な探索隊に二つ、酒場で声をかけた。
一つ目は、若い槍使いが鼻で笑った。
「記録? いらねえよ。迷宮は書き物する場所じゃない」
「そうじゃなく、補給と判断の整理が」
「だったら荷物持ちだろ。でも戦えない荷物持ちは、いざって時に荷物になる」
二つ目は、もう少し丁寧だった。
「悪いが、うちは四人で連携が固まってるんだ。非戦闘員を一人入れる余裕はない」
「報酬は少なくて構いません」
「報酬の問題じゃない。守りきれる保証がない」
夕方には、足が重くなっていた。
理屈は分かる。
分かるからこそ、反論しづらい。
宿に戻ると、女将が湯気の立つ薄いスープを置いてくれた。
「今日はどうだったい」
「三件断られました」
「まあ、初日だろ」
慰めにもならない言葉だったが、悪意がないぶんだけ少し救われた。
レインは曖昧に頷き、部屋へ戻った。
そしてその夜、敗因録にもう一行足した。
二件目。非戦闘員は、守る価値より守る負担で判断される。
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二日目も、結果は同じだった。
斡旋所では、昨日とは別の受付係にこう言われた。
「書記官、ですか。珍しい経歴ですね」
「需要はありませんか」
「ないわけではありません。ただ、それは迷宮の外の仕事です。商会の記録役とか、貴族の会計補助とか」
「迷宮に同行する記録役は?」
「高位の隊なら専属がいます。でも、そういう隊は突然募集しません」
酒場では、中堅どころらしい斧使いの男に、露骨に値踏みされた。
「元勇者パーティ付き?」
「……そうです」
「じゃあなおさら無理だな」
「なぜ」
「勇者のところにいた奴なんて、扱いが面倒そうだ」
別の卓では、もっと端的だった。
「戦えない?」
「ええ」
「じゃあ駄目だ」
それだけだった。
宿へ帰る道すがら、レインは何度も言い返したい衝動に駆られた。
自分が補給線をどれだけ救ったか。撤退判断で何人の命を拾ったか。戦えなくても、迷宮で生き残るために必要な仕事はあるのだと。
だが、言葉にしたところで、剣の一撃ほどには伝わらない。
見えない働きは、いつだって軽く扱われる。
その夜、敗因録に書き足す。
三件目。功績は、目に見えない形では信用されにくい。
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三日目の朝、財布の中身を数えた。
銀貨は減っていた。勇者パーティからの規定報酬は入っているが、この先、収入がなければいずれ尽きる。宿代と食費、それにインクと紙。記録を続けるだけでも金はかかる。
この日は南門近くの掲示板まで足を延ばした。
王都の中心で断られるなら、外縁の荒事専門の隊より、補給事情に困っている半端な隊の方が拾ってくれるかもしれない。そう考えたのだ。
だが、甘かった。
「地図読めます、補給管理できます、撤退判断も——」
「で、戦えるのか?」
同じ問い。
同じ沈黙。
同じ結論。
昼過ぎには、もはや説明すら短くなっていた。
「……記録と補給です」
「非戦闘員?」
「はい」
「なら無理だ」
夕刻、王都西区の石段に腰を下ろしたとき、俺は初めて、自分が本当に居場所を失ったのだと認めた。
勇者パーティにいたから使えていた機能は多い。
名前も信用も、隊の看板があって初めて通る。
個人に戻った瞬間、残るのは「戦えない男」という事実だけだった。
膝の上の鞄を見つめる。
中には敗因録がある。
俺が価値を信じているもの。
だが他人から見れば、剣にも盾にもならない紙束だ。
「……売るか」




