第四話③ まだ名前のない四人
ギルドを出たあと、南区の安い食堂に入った。
夕食時を少し過ぎていたせいか、店内はほどよく空いている。煮込みの匂いと焼きたての黒パンの香りが混ざり、ようやく腹の底から緊張がほどけていく気がした。
「で、分配どうする?」
ミラが木杯を置きながら言う。
「最初に言った通り、山分けでいい?」
「僕はそれで」
「俺も異論なし」
「私も」
決まりね、とミラが報酬袋を開く。
硬貨の触れ合う音が妙に現実的だった。
三日前まで、俺はどこにも雇われなかった。戦えない、守る余裕がない、荷物になる。そう言われ続けていたのに、今は同じ卓で報酬を分けている。
しかも、誰もそれを特別なこととして扱っていない。
俺が次も同行する前提で、話が自然に進んでいる。
そのことが、まだ少しだけ不思議だった。
「レイン」
シエルがスープを混ぜながら言う。
「肩、見せて」
「あ、はい」
外套をずらすと、噛み痕はすでに浅い赤みに変わっていた。坑道の中でかけられた応急の聖術が効いている。
「やっぱり浅いね。化膿もしにくそう」
「シエルさん、聖術うまいですね」
「褒めても何も出ないよ」
「でも、本当に助かりました」
「走りながらの応急だけどね。落ち着いてる時ならもう少し綺麗に消せるんだけど。」
そう言って彼女は短い聖句を紡ぎ、傷口へ柔らかい光を落とした。静かな温度が皮膚の奥へ染みていく。
その様子を見ながら、ミラがふと真面目な顔になる。
「じゃあ、今日の反省をやりましょうか」
「食べながらで?」
シエルが少し嫌そうに言う。
「ご飯も反省会も、熱いうちがいいの」
「ミラらしいな」
ノアが苦笑する。
ミラは俺を見た。
「言って。今日、私たちのどこが危なかった?」
「僕がですか」
「あなたが、よ」
責める響きはなかった。
必要だから聞く、というだけだ。
俺は少し考えてから答えた。
「ミラさんは、最初の偵察個体が引いた時、半歩だけ追う気配がありました」
「……見てたのね」
「はい。あそこで踏み込んでいたら、群れに俺たちの実力を知られていたと思います」
「自覚はあるわ」
ミラはあっさり認めた。
「引いた敵を見ると、つい押したくなる」
「でも今日は止まりました」
「あなたが散らさないでくださいって言ったから」
次にノアを見る。
「ノアさんは支柱への補強が速かったです。あれがなければ第三折れ角を抜ける前に通路が狭まっていた」
「褒められたか?」
「半分は。ただ、鼠を一匹叩いたあと、もう半拍だけ残りかけました」
「……やっぱりか」
「当たると、もう一発って考えやすいんです」
「分かる」
ノアは短く笑った。
シエルは自分から手を挙げた。
「私は?」
「灯りの位置です」
「そこ?」
「最初、少し高かった。坑道が狭い場所で灯りが高いと、壁沿いの影が濃くなります」
「うわ」
「ただ、投擲灯を見てすぐ明るさを落としたのは正解でした。あれで群れの流れが読めた」
「……次から高さも気をつける」
シエルは真面目な顔で呟く。
「じゃあ最後に、レインは?」
ミラが聞く。
俺は少しだけ黙った。
でも、ここで黙るのは違う気がした。
「僕は、最初の支柱音で引いてもよかった」
「二度目じゃなく?」
ノアが問う。
「はい。確証を取りたくて、一拍待った部分があります」
「危ない?」
シエルが首を傾げる。
「危ないです。判断を通すための確証は必要です。でも、待ちすぎれば間に合わない。今日はたまたま間に合っただけかもしれない」
食卓が一瞬、静かになる。
それを破ったのはミラだった。
「いいわね」
「……はい?」
「そういうの。自分のミスも同じ卓に乗せるの」
彼女は木杯を回しながら続ける。
「前の隊は、それができなかった」
「ミラさん……」
「だから次は最初からそうするって決めてたの。誰か一人だけが正しくて、誰か一人だけが間違う形にしない」
ノアも頷く。
「失敗を言った方が損する隊は、長持ちしない」
「それ、いいね」
シエルが笑う。
「じゃあ毎回やろう。潜ったあと、何が危なかったか出し合うの」
「記録も取ります」
俺が言うと、三人が揃ってこっちを見た。
「必要なら見せます。ただ、まとめる形は僕に任せてください。感情じゃなく、次に使える形にしたい」
「そこはむしろお願いしたいわ」
ミラが即答する。
「今日のギルドみたいに、共有できる内容は共有したいし」
「俺も賛成だ」
「私も。文章にすると、見落としが分かるし」
そこでミラが、思い出したように言った。
「そういえば、次も四人で継続して潜るなら、ギルド登録上はパーティ名があった方が楽だって」
「もうその話になるんですか」
俺が言うと、シエルがくすっと笑う。
「でも次も一緒なんでしょ?」
「……ええ」
「だったら、考え始めるくらいはいいんじゃない?」
ノアも言った。
名前。
その響きに、俺は少しだけ黙った。
勇者遠征隊にいた頃、隊の名はいつも先にあった。権威も武勲も、名前の方へ積み上がっていった。
でも今ここにいる四人は、まだ何者でもない。
それでも――いや、何者でもないからこそ、これから決められる。
「すぐじゃなくてもいいと思います」
俺は言った。
「ただ、名前をつけるなら……勝ち方だけじゃなくて、帰り方も忘れない名前がいい」
一瞬、卓が静まる。
それからミラが、ほんの少しだけ笑った。
「いいじゃない」
「候補、いくつか考えとこうか」
「食後にか?」
俺の言葉にノアが少し笑ったように言う。
「名前の前にパン食べたい」
シエルが即答して、卓の空気が少しだけ和んだ。
食堂の灯りは温かく、外の夜気はもう深い。
大きな勝利をしたわけじゃない。華々しい武勲でもない。けれど、危険を避けて帰ってきて、その危うさを同じ卓に載せて、次に使える形へ変えようとしている。
それだけで十分だった。
まだ名前のない四人。
でも、俺にはもう分かっていた。
この四人なら、失敗を活かせる隊になれる。




