第四話② 残していい失敗
通されたのは、ギルド奥の小さな記録室だった。
探索庁の遠征記録室ほど整然とはしていない。棚には古い依頼台帳と地図の束、壁には王都近郊迷宮の略図、中央には傷のついた大きな木机。雑多だが、紙と記録が生きている場所だった。
「座ってくれ」
年配の職員が椅子を示す。
「私はギルド記録係のハロルドだ。旧灰鐘坑道の件は、ここのところ気になっていた」
「途中撤退が続いていたから、ですか」
「そうだ。死人も重傷者も出ていない。だから優先度は上がらん。だが、同じ依頼で同じような失敗が続けば、いずれ大きな事故になる」
その言い方に、俺は少しだけ目を上げた。
少なくともこの人は、失敗を考えなくていいものとは見ていない。
ハロルドは俺の報告を机に広げた。
「順に聞こう。どこで違和感が出て、どう判断した?」
「最初に気になったのは第二分岐です」
俺は地図へ指を置いた。
「右側だけ反響が薄く、風の抜けがあった。進ませる構造だと判断して、本線を左寄りに取りました」
「進ませる構造、か」
「はい。楽に進める道ほど、帰りで基準を狂わせることがあります」
ハロルドが頷く横で、シエルが口を挟む。
「実際、右は嫌だった。魔力の流れも少し変だったし」
「私は空気が抜けすぎてると思った」
ミラも続ける。
「でも、そこまで明確に帰路が危ないまでは読めなかった」
俺はさらに先の地点を指した。
「次がここです。糞の散り方が片側に偏っていた。単に通っている量じゃない。群れが獲物を壁沿いへ寄せる動きをしている時の残り方でした」
「なるほど」
ハロルドが書きつける。
「それで偵察個体か」
「はい。先に数匹だけ出てきて、すぐ引いた。あれで隊列と灯りの位置を見たんだと思います」
ノアが腕を組んだまま低く言った。
「その時点で引く選択もあった」
「ありました」
俺は頷く。
「でも採取地点までは行けると判断した。ただし長居はできない、と」
「欲をかくと死ぬ場所だったわけね」
ミラが短く言う。
俺は採取地点の印を押さえた。
「問題はここです。群れの気配が一度遠のく。静かになりすぎた。しかも、支柱が二度鳴った」
「崩落の予兆か」
「ええ。あの場で採取を欲張れば、帰路の細い通路で追い立てと崩れが重なっていたはずです」
ハロルドは顔を上げた。
「実際、君たちは採取を切り上げて戻った」
「はい」
「その判断を下したのは?」
「僕です」
「迷いは?」
「ありました」
その場にいた全員の視線が、いっせいに俺へ向いた。
「支柱の一度目の音で引いてもよかった。でも確証を取りたくて、二度目まで待った部分があります」
「レイン」
ミラが少しだけ眉を寄せる。
「今日は間に合いました」
俺は続けた。
「でも、たぶんぎりぎりでした」
記録室が一瞬だけ静かになる。
自分の判断の甘さまで、同じ机の上に載せる。
前の隊では、それをやる空気がなかった。失敗はいつも、表へ出る前に薄められて、都合の悪い部分から消えていった。
だが今は違う。
「いい」
ハロルドが言った。
「そういうところまで含めて残した方が、次に使える」
「……はい」
「崩れかけた時、何が効いた?」
「灯石です」
俺は帰路の折れ角を指す。
「投擲用に壁際へ転がしました。群れは光そのものを嫌ったんじゃなく、動く灯りに進路をずらした。その一瞬で追い立ての線が切れた」
「投擲灯、か」
「ただし狭い通路限定です。開けた場所では逆に散らされます」
「なるほど」
ハロルドは最後の行まで書き終えると、羊皮紙を整えた。
「ようやく分かった」
「何がです?」
「途中撤退が続いていた理由だ」
その一言は、思った以上に深く落ちてきた。
強敵に負けたからじゃない。
ただ運が悪かったからでもない。
危険の形が曖昧なまま、失敗だけが積み重なっていた。
だから記録が要る。
だから言葉にする意味がある。
「この内容、注意書きとして共有したい」
ハロルドが言う。
「旧灰鐘坑道の依頼に、支柱劣化と群れの追い立て傾向、それに推奨装備を追記する。構わないか」
俺は答える前に、ほんの一瞬だけ迷った。
失敗が外に出る。
誰かの危うさが、次の誰かの生存率になる。
本来なら、それこそ俺が望んできた形のはずだった。
でも、勇者遠征隊で見てきたのは逆だ。失敗は隠され、責任だけが立場の弱い場所に落ちる。
だから、記録を開くことにまだ少しだけ身構えてしまう。
その迷いを見抜いたのか、ミラが先に口を開いた。
「出してください」
「ミラさん」
「失敗を隠したままにする方が、私は嫌」
シエルも頷く。
「私も。今日の崩れ方、残した方がいい」
「俺も反対しない」
ノアが続けた。
「どう危なかったか分からんまま、また誰かが入る方がまずい」
三人の声を聞いて、ようやく息が抜けた。
「……お願いします」
「分かった」
ハロルドは短く答える。
「いい報告だ。いや、いいという言い方は妙かもしれんが」
「構いません」
俺は首を振った。
「生きて帰って、次に残せるなら、それで十分です」
記録室を出ると、受付嬢が報酬袋を用意して待っていた。
「確認が取れました。依頼達成です」
「ありがとうございます」
「それと……」
彼女は少し声を落とす。
「さっきの報告、助かります。あの依頼、また誰かが受けるので」
俺は手渡された袋の重みを確かめた。
金額は大きくない。けれど、今日はそれ以上のものを受け取った気がした。
失敗が、ただ終わっただけじゃない。
そう思える報告は、初めてだった。




