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第九話 挑戦状と歪んだ理想

 静寂。

 光輝魔術師ジーロスの神髄とも言える光の奔流が、絶対的な「闇」に飲み込まれて消えた後、作戦会議室を支配したのは、気まずいほどの静寂だった。

 部屋の半分は、ジーロスの魔力の残滓がキラキラと輝き、もう半分は、クロマの魔力によって色彩を失い冷たいモノクロームの世界へと変貌していた。

 その、光と影の境界線上に、二人の芸術家は、静かに対峙していた。


「…ノン…」

 ジーロスは、呆然と立ち尽くしていた。

 自らの魂の輝きとも言える光の魔法が、いともたやすく無効化された。

 その事実が、彼の、天よりも高い芸術家としてのプライドを根底から揺さぶっていた。

 怒り。

 屈辱。

 そして、その心の奥底で、彼は、一つの禁断の感情が芽生えるのを感じていた。

(…美しい…)

 そうだ。

 この、自らの全てを否定し飲み込んでいく、絶対的な虚無。

 それは、彼の理解と美学の完全に外側にありながら、しかし、どこか完璧な論理に裏打ちされている。

 それは、彼がこれまで一度も見たことのない、恐怖と紙一重の新しい「美」の形だった。

 ジーロスは、震えていた。

 怒りと、屈辱と、そして、生まれて初めて自分以外の芸術に心を揺さぶられた、歓喜に。

 彼は、見つけてしまったのだ。

 自らの人生を懸けて戦うに値する、最高の好敵手を。


 その、ジーロスの魂の揺らぎを、クロマは正確に感じ取っていた。

 彼は、手のひらに浮かべていた闇を、すうっと霧散させると、静かに、そして、どこか満足げに、口を開いた。

「…お分かりいただけましたか。あなたの『光』が、いかに不確かで脆いものであるかということを」

 その声には、勝利を誇示する響きはない。

 ただ、自らの真理を無知な者に説いて聞かせる、教師のような穏やかさがあった。

「ですが、あなたの光にも、見るべきものはありました。あれほど純粋な色彩への妄信。…ええ、ある種の芸術性は認めましょう」

「…なんだと…?」

「このまま無意味な魔力の応酬を続けても、決着はつきません。あなたの光は私の影を際立たせ、私の影はあなたの光を飲み込む。ただそれだけの不毛な繰り返しです」

 クロマは、そこで一度、言葉を切った。

 そして、ジーロスに向かって、まるで長年の好敵手に語りかけるかのように、挑戦的な、しかし、どこか期待に満ちた、提案を口にした。

「ジーロス、と言いましたね。あなたに提案があります。どちらの美が真に至高か。本当の意味で決着をつけようではありませんか」

「…決着、だと…?」

「ええ。私はこれから、私の芸術の集大成をこの世界にお披露目しようとしています。もし、あなたが、それを見てもなお自らのそのけばけばしい色彩に価値があると信じるのなら、その時は、私が潔く身を引きましょう。ですが、もしあなたが私の芸術の前に真実の美を悟ったのなら…」

 クロマの、灰色の瞳が、キラリと、光る。

「…その光の全てを、私の、モノクロームの世界に捧げていただきます」

 あまりに傲慢で、あまりに芸術家らしい、挑戦状。

 ジーロスは、その挑戦を受けないはずがなかった。

「ノン! 面白い! 受けて立ってやろうじゃないか、モノクロームの俗物め! 君の、その、陰鬱な白黒の世界が、いかに僕の光輝の前に色褪せるかを思い知らせてやる!」

 二人の、芸術家としてのプライドを懸けた決闘の契約が、ここに結ばれた。

 アイリスは、その、あまりに個人的で、あまりに迷惑な展開に、口を挟むことさえできなかった。


「私の、集大成…」

 クロマは、うっとりと目を細めた。

 そして、この世界の根幹に関わる、恐るべき自らの計画を、語り始めた。

「あなた方は、この世界の『色』がどこから来たか、ご存知ですか?」

 その、唐突な問いに、誰も答えることができない。

「遥か古代。神々がこの世界を創造した時、最初に『色』という概念を定着させた、一枚の石盤が存在します」

 彼の声は、熱を帯びていた。

「王国の、地下深くに眠る、古代の遺産…『原色の石盤』。それこそが、この世界に存在する全ての色彩の源なのです」

 その言葉に、テオの目がギラリと光った。

 古代の遺産。

 その響きは、彼の金銭欲を強く刺激した。

「私は、その石盤の元へと向かいます。そして、私の力で、石盤に刻まれた全ての醜い『色彩』というノイズを消し去るのです」

 クロマは、両手を広げ、恍惚の表情で、自らの狂気の理想を語った。

「私は、この世界を、あるべき美しいモノクロームの姿へと『浄化』するのです。表面的に色を奪うのではありません。その存在の根源から。この世界の法則(プログラム)を書き換えるのです」

 その、あまりに壮大で、あまりに独善的な計画。

 アイリスは、ようやく、この男の本当の恐ろしさを理解した。

 彼は、ただの芸術テロリストではない。

 自らの美学のために、世界そのものを作り変えようとしている、狂信者なのだ。

「そんな、馬鹿なことを…!」

 アイリスが、叫ぶ。

「世界から色がなくなったら…! 花も、空も、人々の笑顔も、全てが灰色になってしまう! それが、あなたの望む美しい世界なのですか!」

「ええ、そうですとも」

 クロマは、心底、不思議そうな顔で、答えた。

「それこそが、真実の世界の姿なのですから」

 もはや、対話は不可能だった。

 クロマは、満足げに頷くと、懐から一枚の黒い羊皮紙を取り出した。

「…ですが、私の芸術の完成をただ待っていただくのも退屈でしょう。あなた方のような熱心な観客には、最高の特等席をご用意しなければ」

 彼は、その羊皮紙を、テーブルの上に広げた。

 それは、王国の地下へと続く、古代の遺跡の地図だった。

「私のアトリエへと続く道には、ささやかな三つの試練を用意させていただきました。私の芸術を理解するための、入門編、といったところですかな」

 彼は、地図の上で、三つの印を指し示した。

「さあ、いらっしゃい。私の美学の深淵へ。あなた方が、その醜い色彩の呪縛から解き放たれることを、心から願っておりますよ」

 クロマは、それだけ言うと、来た時と同じように、すうっと影の中へとその姿を溶かしていった。

 後に残されたのは、不気味な地図と、あまりに尊大な敵のその狂気の計画にただ立ち尽くす、アイリス分隊だけだった。


「…面白い。面白いじゃねえか」

 静寂を破ったのは、ジーロスの燃えるような声だった。

「彼の挑戦、受けて立とうじゃないか! そして、彼のそのモノクロームの鼻を、完膚なきまでにへし折ってやる!」

 彼の目には、もはや迷いはない。

 ただ、好敵手への闘志だけが燃え盛っていた。

 アイリスは、その、あまりに前向きすぎる仲間と、テーブルの上に残された不吉な挑戦状を交互に見比べ、この先に待ち受けるさらなる混沌を予感し、心の底から深いため息をついた。

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