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第二十七話 『神』、降臨

「―――神様…っ!」


 白紙の世界。

 色も、影も、形さえも存在しない、絶対的な虚無。

 その、あまりに巨大な「無」の中心で、聖女アイリス・アークライトは、ついに膝をついた。

 リーダーとして、仲間を導かなければならない。

 だが、どうやって?

 道がない。

 敵が見えない。

 仲間さえも、どこにいるのか分からない。

 自らの判断で、仲間を率い、ここまで来た。

 だが、この、概念的な攻撃の前では、彼女の意志も、決意も、何の意味もなさなかった。

 初めて、彼女は、心の底から絶望した。

 打つ手が、ない。

 もう、何も、できない。

 彼女の、強いはずの心が、ぽきり、と乾いた音を立てて、折れた。

 その、絶望の淵で。

 彼女の唇から、無意識にこぼれ落ちたのは、もう頼らないと決めたはずの、不遜で、怠惰で、しかし、誰よりも頼りになった、あの絶対者の名前だった。


 その、か細い、しかし、魂からの悲痛な叫びは、王城の最も高い塔にまで、確かに届いていた。


 ◇


 王城の最も高い塔。

 ノクト・ソラリアは、自室の椅子の上で、これまでにないほどの集中力で、目の前の魔力モニターを睨みつけていた。

 モニターには、いまだ配達状況が「配達不能」のままの、『マナ・スフィアX』の無慈悲な表示が、赤く点滅している。

 彼の、完璧な引きこもりライフは、今、危機に瀕していた。

 だが、彼の思考は、もはや、その個人的な怒りだけには支配されてはいなかった。

 彼は、観ていたのだ。

 遠見の水盤を通して、アイリス分隊の、これまでの戦いの全てを。

 神の助けがない中で、自らの意志で立ち上がり、混沌とした仲間たちを束ね、三つの試練を突破した、アイリスの姿を。

 そして、ジーロスが、仲間たちの魂の色を束ねて放った、あの美しくも不完全な、しかし生命力に満ち溢れた『光の協奏曲(アンサンブル)』を。

(…フン。素人にしては上出来だ)

 ノクトは、ポテチを一枚口に運びながら、まるで出来の悪い生徒の成長を見守る教師のような心境で、その戦いぶりを「採点」していた。

(俺の指示がなくとも、あの程度まではやれるようになったか。…まあ、俺が育てた駒だ。当然だな)

 その、どこまでも上から目線の、しかし、どこか誇らしげな彼の思考。

 それが、クロマが最後の手段に出た瞬間、完全に断ち切られた。

 白紙の世界。

 彼の、神の領域にある情報処理能力をもってしても、その現象は、にわかには信じがたいものだった。

(…なるほどな。全ての情報を削除する、か。…ゲームで言えば、全てのテクスチャとポリゴンデータを強制的に消去する究極のデバフ。…悪趣味極まりない、クソゲーの典型だ)

 彼は、その現象の本質を一瞬で見抜いた。

 そして、同時に、アイリスたちが、この概念的な攻撃の前には完全に無力であることも。

 彼は、ただ、見ていた。

 自らが育てた駒が、この理不尽なゲームの前で、どう立ち向かうのかを。

 あるいは、心が折れ、助けを求めてくるのを、どこかで期待しながら。


 そして、ついに、その声が、届いた。

「―――神様…ッ!」

 その、絶望に満ちた、悲痛な叫び。

 ノクトは、ふぅ、と長いため息をついた。

 そして、手にしていたコントローラーを、そっと机の上に置いた。

「…やれやれ」

 彼の乾いた唇から、純粋な、そして、どこか楽しげな、呆れの声が漏れた。

 彼の完璧な引きこもりライフは、もはや台無しだ。

 ならば、せめて、このクソゲーの最終章を、最高の形で終わらせてやるのが、ゲーマーとしての礼儀というものだろう。

 ノクトは、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

 彼の蒼い瞳に、これまでのどんな戦いにも見せなかった、絶対的な、そして、どこまでも冷徹な、司令官の光が宿った。

 彼はついに重い腰を上げたのだ。

 ただ、自らが育てた駒の、その、か細い期待に応えるためだけに。


 ◇


 絶望の白。

 アイリスの意識が、その無限の虚無に飲み込まれようとした、まさにその時だった。

 彼女の脳内に、雷鳴のように、どこまでもクリアで、聞き慣れた、あの不遜な声が響き渡った。


『…やれやれ。俺がいないと、この程度のイベントもクリアできんのか、新人が』


 その声は、呆れながらも、どこか誇らしげだった。

 アイリスは、はっと顔を上げた。

 その、声。

 間違いない。

 自分を導いてくれた、あの絶対者の声。

(神様…!)

『だが、ここまで一人でよくやったな。後は俺に任せろ』

 その、あまりに尊大で、あまりに頼もしい言葉。

 アイリスの、折れていた心に、再び力が宿っていく。

 彼女の脳内に、ノクト()の、冷徹な、しかし、どこまでも正確な分析が、流れ込んできた。

『いいか、新人。この「白紙の世界」は、クロマという三流の芸術家が発動させた、最後の、そして、最大のハッタリだ。奴は、世界の「情報」を消した。光も、影も、色も、形も。だから、お前たちの目は何も認識できん。攻撃も防御も、その座標を失い、当たることはない。…だがな』

 ノクトは、そこで一度、言葉を切った。

 そして、この、理不尽なゲームの唯一の攻略法を、絶対的な確信をもって告げた。

『―――ならば、やるべきことは、一つだ。お前たち自身が、この世界に、新たな情報を、描き込め』

「…え…?」

(情報を…描き込め…?)

 アイリスは、その、あまりに詩的で、あまりに、突拍子もない言葉の意味を、理解できなかった。

『そのままの意味だ、新人。この白紙のキャンバスに、お前たちの、その、醜悪で、下品で、そして、どうしようもなく美しい「魂の色」をぶちまけろ、と言っているんだ』

 ノクトの声には、絶対的な自信が満ち溢れていた。

『奴が情報を消したのなら、我々は、それ以上の情報でこの世界を上書きするまでだ。…さあ、始めようか。本当の芸術とは何か。あの三流の芸術家に教えてやろうじゃないか』

 その、あまりに不遜で、あまりに力強い、神託。

 アイリスは、ゆっくりと立ち上がった。

 その、瞳には、もはや絶望の色はない。

 ただ、絶対的な司令塔への、信頼と、そして、仲間たちとの確かな絆だけが、燃え盛っていた。

 彼女は、何も見えない白紙の世界に向かって、叫んだ。

 それは、『神』の言葉を代行する、聖女の声ではなかった。

 仲間を信じ、最後の戦いへと導く、一人のリーダーの、魂の叫びだった。

「―――みんな! 聞こえますか! 私たちの本当の戦いはここからです!」

 白紙の世界に、今、最初の、そして、最も力強い「色」が、灯されようとしていた。

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