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第二十六話 白紙の世界

 神殿に、色彩が戻った。

 ジーロスが仲間たちの魂の色を束ねて放った究極の芸術魔法『光の協奏曲(アンサンブル)』は、クロマが作り出したモノクロームの世界を、生命力に満ちた極彩色の奔流で塗り替えていく。

 アイリスは、その圧倒的な光景を前に、勝利を確信した。

 『神』の助けを借りず、自らの意志と仲間との絆だけで、ついに、この強大な敵を打ち破ったのだ、と。

 だが、その純粋な勝利への確信こそが、彼らの最後の油断となった。


「…美しい…」

 色彩の奔流の中心で、クロマは静かに呟いた。

 その顔には、もはや驚愕も恐怖もなかった。

 ただ、自らの敗北を、そして目の前に広がる、自らの美学とは対極にあるあまりに美しい混沌の輝きを、うっとりと見つめる一人の芸術家の顔があった。

「…そうか。…そうだったのですね。…色彩とは、感情。…混沌とは、生命。…私は、それを否定することでしか、美を表現できなかった…。なんと、愚かで、なんと、哀しい芸術だったことか…」

 彼は、自らの過ちに気づいた。

 だが、その気づきは、彼を改心へと導きはしなかった。

 芸術家としての、最後の、そして最も純粋な狂気へと、彼を駆り立てた。

(…ならば、この美しい混沌も、私の醜い孤独も、全てを等しく、無に還せばいい。光も、影も、色さえも存在しない、真の平等な世界へ。それこそが、究極の美の完成形…!)

 彼は、ゆっくりと、その両手を、背後にある全ての元凶――『原色の石盤』へとかざした。

「―――ありがとう、聖女アイリス。そして、混沌の芸術家たちよ」

 彼の声は静かだったが、その声には世界の終わりを告げる鐘の音のような、荘厳な響きが宿っていた。

「あなた方のおかげで、私は、ついに最後の芸術の扉を開くことができそうです」

「なっ…!? あなた、何を…!」

 アイリスが叫んだ。

 だが、もう遅かった。

「―――お見せしましょう。私の、最初で最後の、最高傑作を」

 クロマの全身から、これまでのどの魔力とも違う、絶対的な「無」の波動が解き放たれた。

 彼は、自らの命そのものを触媒として、『原色の石盤』の真の力を暴走させたのだ。


 その瞬間。

 世界から「色」が消えた。

 先ほどのように、灰色に塗り替えられたのではない。

 まるで、神が、世界の彩度設定をゼロにしたかのように、一瞬で、全ての色彩情報がこの世界から消失した。

 だが、それは、まだ序章に過ぎなかった。

 次に、世界から「影」が、消えた。

 仲間たちの足元にあったはずの影が、床に溶け込むように消え失せる。

 物の、立体感、奥行き、その全てが、曖昧になっていく。

 そして、最後に。

 世界から「光」が消えた。

 ジーロスが放った希望の光も、神殿を照らしていた水晶の輝きも、全てがまるで存在しなかったかのように、ぷつり、とその光を失った。

 だが、世界は闇に包まれたのではなかった。

 後に残されたのは。

 ただひたすらに、どこまでも、どこまでも続く、純粋な「白」。

 白紙の世界。

 そこには、輪郭も、奥行きも、境界線さえも、存在しない。

 上も、下も、右も、左も、全てが等しく、ただ白いだけの、絶対的な虚無。

「な、なんだ、これは…!?」

 ギルの焦った声が響く。

 だが、その声が、どこから聞こえてくるのかさえ、分からない。

 仲間たちの姿が見えない。

 自分の手さえも見えない。

 ただ、そこに「在る」という、感覚だけがある。

「ひ、ひひ…! 目が、目が、おかしくなっちまった…!」

 テオの悲鳴。

「ノン! 美しいも、醜いも、ない…! 何も、ないではないか…!」

 ジーロスの絶叫。

「…こわい、です…。どこにも、お花が、ありません…」

 シルフィのか細い泣き声。

 彼らの、魂の輝きであったはずの、個性も、力も、この全ての情報が消失した世界では、何の意味もなさなかった。

 彼らは視覚情報を完全に失った。

 攻撃も、防御も、できない。

 ただ、この白紙の世界に、自らの存在そのものが溶けて消えてしまいそうな、根源的な恐怖だけが、彼らの心を支配していた。


 アイリスは、その、絶対的な虚無の中心で、ただ立ち尽くしていた。

 リーダーとして仲間を導かなければ。

 だが、どうやって?

 道が、ない。

 敵が、見えない。

 仲間さえも、どこにいるのか、分からない。

 自らの判断で、仲間を率い、ここまで来た。

 だが、この概念的な攻撃の前では、彼女の、意志も、決意も、何の意味もなさなかった。

 初めて、彼女は、心の底から絶望した。

 打つ手が、ない。

 もう、何も、できない。

 彼女の、強いはずの心が、ぽきりと、乾いた音を立てて折れた。

 その、絶望の淵で。

 彼女の唇から、無意識に、一つの名前が、こぼれ落ちた。

 それは、彼女が、もう頼らないと決めたはずの、不遜で、怠惰で、しかし誰よりも頼りになった、あの絶対者の名前だった。


「―――神様…ッ!」

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