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第二十四話 光の魔術師の答え

 モノクロームの世界に、ただ一人、アイリスは立っていた。

 『原色の石盤』の力を解放したクロマが作り出した、絶対的な「無彩」の世界。

 そこでは、全ての色彩が、全ての感情が、その存在意義を失い、ただの、濃淡の違う灰色へと均一化されていく。

 彼女の背後では、仲間たちが、その魂の輝きを失い、膝をついていた。


「…力が…力が、入らんであります…」

 激情のギル。

 彼の、魂の炎であったはずの赤い闘気のオーラは、もはや、くすぶる炭のように弱々しく揺らめいているだけだった。

 姉御を守りたい、という、彼の純粋でどこまでも熱い「情熱」。

 その「赤色」が、この灰色の世界ではその輝きを維持できないのだ。


「…ひひひ…。金も、宝石も、ただの石ころにしか見えやがらねえ…。なんの価値もねえ…」

 不徳の神官、テオ。

 彼の、全てを値踏みし、全てを欲望の対象としてきたその瞳から、禍々しいまでの黄金色の輝きが消え失せていた。

 彼を突き動かしてきた底なしの「強欲」。

 その「金色」が、この世界では、ただの鉛の色に成り下がっていた。


「…お花畑が…どこにも、ありません…。虹色も、キラキラも、どこにも…。なんだか、とっても、寂しいです…」

 天然エルフ、シルフィ。

 彼女の、純粋な好奇心と、本能が、この、あまりに単調であまりに変化のない世界を拒絶していた。

 彼女の魂の色である、生命力に満ちた「(みどり)色」が、まるで枯れ葉のようにその彩度を失っていく。


 仲間たちの魂の色が、次々と、その輝きを失っていく。

 情熱も、欲望も、本能も、この、絶対的な「無彩」の世界では、全てが無価値だった。

 アイリスは歯を食いしばった。

 彼女は、剣を構え直す。

 その剣の切っ先から、淡い、しかし、温かい、聖女の光が放たれていた。

 『希望』の色。

 どこまでも透き通った青。

 この絶望的な世界で、唯一残された、最後の色。

 だが、その光もまた、クロマが作り出した絶対的な灰色の奔流の前に、まるで風の前の蝋燭の炎のように、か細く揺らめいていた。


「…美しい…」

 クロマは、その光景に、うっとりと目を細めた。

「…これです。これこそが、私が求めていた真実の世界の姿…。嘘偽りのない、ただ、光と影だけで構成された、完璧な世界…」

 彼は、ゆっくりと、アイリスへと歩み寄ってくる。

「さあ、聖女アイリス。あなたの、その最後のささやかな『希望』という名の色も、この美しい灰色の世界に溶かして差し上げましょう」

 絶望的な、状況。

 アイリスは、自らの心の中の最後の『希望』の光を、かき集めた。

 そして、そのか細い光を剣に込めて、クロマへと斬りかかっていった。

 モノクロームの世界に、ただ一つだけ残された、小さな色の輝き。

 その儚い光が、今、絶対的な「無」に飲み込まれようとしていた。


 その絶望の淵で。

 一人の男だけが、まだ諦めてはいなかった。

 光輝魔術師ジーロス。

 彼は、膝をつき、自らの芸術の完全な敗北を目の当たりにしていた。

 自らが、生命の輝きだと信じていた、純白の光の魔法。

 それが、ただの醜悪な泥の塊と化して消え去った、あの屈辱。

 彼の、芸術家としてのプライドは、木っ端微塵に砕け散ったはずだった。

 だが。

 彼の心の中には、怒りでも、絶望でもない、一つの静かな「問い」が生まれていた。

(…なぜだ…? なぜ、僕の芸術は敗れた…? 僕の光は、確かに美しかったはずだ。完璧な調和と論理に基づいていたはずだ。…だが、クロマの、あの絶対的な『無』は、僕の美学をいともたやすく飲み込んだ…)

 彼は、自らの芸術の根源を、見つめ直していた。

 そして、彼は見た。

 この灰色の世界で、ただ一人戦い続けるアイリスの、その、か細い、しかし、決して消えることのない『希望』の光を。

 彼は、見た。

 その光を守ろうと、最後の力を振り絞り立ち上がろうとする、仲間たちの、その、無様で、しかし、どこまでも人間臭い魂の輝きを。

 ギルの、消えかけの、しかし、未だ熱を失わない「情熱」の赤を。

 テオの、色褪せた、しかし、未だ輝きを諦めない「欲望」の金を。

 シルフィの、萎れた、しかし、未だ生命力を秘めた「天然」の緑を。

 バラバラで、統一感がなく、そして、決して「美しい」とは言えない、それらの混沌とした魂の色。

 その、一つ一つが、アイリスの、か細い希望の光を支えている。

 その光景を見た瞬間、ジーロスの脳内で何かが弾けた。

(…そうか…)

 彼は、ついに、答えに、たどり着いた。

(…僕が間違っていたのだ…!)

 彼の芸術は完璧すぎた。

 調和がとれすぎていた。

 故に脆かった。

 真の美とは、完璧な調和の中に宿るのではない。

 混沌だ。

 予測不能な偶然。

 時に、醜悪でさえある、剥き出しの感情の奔流。

 それら全てを飲み込んで、なお、輝くものこそが、真の芸術なのだと。

 彼は、三つの試練で、その真理に気づきかけていた。

 そして、今、この最後の戦場で、彼は、その真理を完全に理解したのだ。

「…ノン…!」

 ジーロスの口から、か細い、しかし、絶対的な、歓喜の声が漏れた。

「ノン! ノン! ノン! 断じて、ノンだ、クロマ!」

 彼は、ゆっくりと立ち上がった。

 その瞳には、もはや敗北の色はない。

 新たな、そして、より高次元の、芸術の神髄を掴んだ求道者の、狂気にも似た輝きが宿っていた。

「君は美しい。…だが、君の美は、あまりに孤独だ! 君はただ、全ての色を否定し、拒絶しているだけだ! 真の美とは、そんなちっぽけなものではないのだよ!」

 ジーロスの、その魂からの叫びに、クロマが初めて、その能面のような顔に困惑の色を浮かべた。

「…何を、言って…」

「君に教えてあげよう、クロマ。そして、見るがいい、我が愛すべき混沌の仲間たちよ!」

 ジーロスは、両手を、天に掲げた。

「これより、この僕が、この世界の全ての『色』を束ねてみせる! 僕の、芸術の、全てを懸けて!」

 彼は、絶望に沈む仲間たちに叫んだ。

 その声は、もはや傲慢なナルシストのものではない。

 仲間を、自らの芸術を完成させるための最高の『色彩』として信じ、その力を求める、一人の芸術家の、魂の叫びだった。


「―――今こそ、君たちの『色』を、この僕に見せてくれ!」

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