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第二十一話 対決前夜

 クロマが仕掛けた最後の罠は、破られた。

 神の助けを借りることなく、ただ、一人のリーダーとしての強い意志によって。

 アイリスは、仲間たちに手を差し伸べ、呆然と立ち尽くす彼らを現実へと引き戻した。

 その顔には、もはや、迷いも、不安もなかった。

 後に残されたのは、静かで灰色の一本道。

 そして、その道の遥か彼方には、全ての元凶が待つ『原色の神殿』へと続く最後の扉が、まるで深淵の口のように静かに開かれていた。


「…ひひひ。どうやら、本当に最後のようだな」

 テオが、ごくりと喉を鳴らす。

 彼の顔には、いつものような、金儲けの算段をしている時の下品な笑みはない。

 ただ、これから始まる人生最大の大博打を前にしたギャンブラーの、純粋な興奮だけが浮かんでいた。

「姉御! 最後は、このギルが、あの不埒な芸術家を情熱の炎で燃やし尽くしてくれるであります!」

 ギルもまた、その巨大な拳を握りしめ、闘志をみなぎらせていた。

 シルフィは、先ほどの幻術のせいか、少しだけ眠そうにあくびをしながらも、その小さな手は弓を固く握りしめている。

 仲間たちの、その、決意に満ちた表情。

 アイリスは、その一人一人を、誇らしげに見渡した。

 そして、最後の作戦会議を開くべく口を開こうとした、まさにその時だった。


「―――待ってくれたまえ」


 その、静かだが有無を言わせぬ響きを帯びた声に、誰もがはっと振り返った。

 声の主は、光輝魔術師ジーロス。

 彼は、仲間たちから少しだけ離れた場所で、腕を組み、静かに何かを深く考え込んでいた。

 その顔には、いつものような、芝居がかった傲慢さも、ナルシシズムに満ちた自信もなかった。

 ただ、自らの芸術家としての魂の根源を見つめ直すかのような、真摯な苦悩の色だけが浮かんでいた。

「ジーロス…?」

 アイリスが、訝しげに声をかける。

 ジーロスは、ゆっくりと顔を上げた。

 そして、まるで、生まれて初めて何かを告白するかのように、おずおずと、しかし確かな意志をもって、仲間たちに向かってこう切り出した。

「…僕は、間違っていたのかもしれない」

 その、あまりにジーロスらしくない衝撃的な一言。

 ギルも、テオも、シルフィでさえも、ぽかんとして、彼を見つめている。

「僕は、これまで信じてきた。真の美とは、完璧な調和と、計算され尽くした論理の中にこそ宿るのだ、と。…だが、違ったのだ。この忌々しい、しかし、どこか心惹かれる、クロマの迷宮で。僕は気づかされてしまったのだよ」

 彼は、これまでの戦いを思い出していた。

 モノクロームの迷宮で、自らの芸術論が、シルフィのただの「涼しい風が吹く」という本能的な感想の前に、完膚なきまでに敗れ去った、あの屈辱。

 動く水墨画の部屋で、自らの鑑定眼がクロマの僅かな「失敗」を見抜いた、あの歓喜。

 そして、先ほどの沈黙の彫刻庭園で、ギルの「情熱」とテオの「欲望」という、あまりに美しくない、しかし、あまりに力強い混沌の輝きを目の当たりにした、あの衝撃。

「…僕の芸術には、何かが足りなかった」

 ジーロスは、静かに告白した。

「完璧な、調和。完璧な、美しさ。…だが、そこには『生命』がなかったのだ。…予測不能な、混沌。計算を超えた、偶然。そして、時に、醜悪でさえある、剥き出しの感情の奔流。…それら全てを飲み込んで、なお、輝くものこそが、真の芸術なのだと…」

 彼は、ゆっくりと仲間たちを見渡した。

 その目はもはや、彼らを、自らの芸術を引き立てるための舞台装置としては見ていなかった。

 一人の、芸術家として。

 自らには決して持ち得ない才能を持つ、尊敬すべき同輩として。

「ギル。君の、その、計算も論理も全てを粉砕する純粋なまでの情熱。…それは、僕のどんな光よりも眩しい」

「…ジーロス殿…?」

「テオ。君の、その、聖も俗も全てを飲み込む底なしの欲望。…それは、どんな闇よりも深い」

「…へ、へい…」

「シルフィ。君の、その、世界の法則さえも捻じ曲げる予測不能な偶然。…それは、どんな奇跡の魔法よりも美しい」

 そして、最後に、彼は、アイリスをまっすぐに見据えた。

「そして、アイリス。君の、その、不器用で、しかし決して折れることのない真っ直ぐな意志。…それこそが、この、どうしようもない混沌を、一つの『希望』へと束ねている」

 彼は、そこで一度、言葉を切った。

 そして、光輝魔術師ジーロスが、その人生の中で決して誰にも見せることのなかった姿を見せた。

 彼は、仲間たちの前に、ゆっくりとひざまずいた。

 そして、深々と、そのプライドの高い頭を下げたのだ。

「―――頼む」

 その、震える声。

「君たちの、その、醜悪で、下品で、そして、どうしようもなく美しい『混沌』の力を、この僕に貸してはくれないだろうか」

 それは、彼の、芸術家としての、これまでの全てのプライドを捨て去った、魂からの願いだった。

 彼の、芸術家としての、大きな変化の瞬間だった。


 その、あまりに衝撃的な光景に、仲間たちは言葉を失っていた。

 ギルは、尊敬する兄貴分からのあまりに真摯な言葉に、目に涙を浮かべ、「当たり前であります、ジーロス殿! 我らは、仲間でありますから!」と、その巨大な体で彼を抱きしめようとしていた。

 テオは、「ひひひ…。高くつくぜ、旦那」と言いながらも、その口元には、いつものような下品な笑みではなく、どこか満足げな笑みが浮かんでいた。

 シルフィは、「ジーロスさん、なんだか、とっても、キラキラしています!」と、手放しで彼を賞賛していた。

 アイリスは、その光景を、ただ静かに見つめていた。

 そして、リーダーとして、その、新たな、そして、最強の武器となった、仲間たちの「絆」を確かに感じ取っていた。

 彼女は、ひざまずくジーロスの肩に、そっと手を置いた。

「…顔を上げてください、ジーロス」

 その声は、優しく、しかし、どこまでも力強かった。

「私たちは分隊です。…あなたの力も、私たちの力も、全ては一つです」

 ジーロスは、顔を上げた。

 その目には、涙が光っていた。

 だが、それは、もはや、孤独な芸術家の涙ではなかった。

 アイリスは、仲間たちに向き直った。

 その顔には、もはや、迷いも不安もなかった。

 ただ、仲間と共に最後の戦いへと赴くリーダーとしての、確かな決意だけが宿っていた。

「行きましょう。私たちの本当の『芸術』を見せに」

 彼女の力強い言葉に、仲間たちは、顔を見合わせると、これまでにないほど力強く頷き合った。

 混沌は、今、一つの意志となった。

 彼らは、最後の決戦の舞台、『原色の神殿』へと、その最後の一歩を踏み出した。

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