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第十話 第一の試練・モノクロームの迷宮

 クロマが残した、不気味な挑戦状。

 王国の地下深くに眠るという、古代遺跡の地図。

 アイリスは、その羊皮紙を、まるで毒蛇でも見るかのような目で睨みつけていた。

 彼女の脳裏には、いまだ、クロマの、あの、静かで、しかし、絶対的な狂気に満ちた瞳が焼き付いている。

 そして、その狂気を前に、自らの芸術家としての魂を燃やし、好敵手だと叫ぶ、どうしようもない仲間がいるという、もう一つの頭痛の種。

「面白い! 面白いじゃないか、アイリス!」

 ジーロスは、もはや、自らの学院が鉛色に変えられたことへの怒りさえ忘れているようだった。

 彼の目は、少年のようにキラキラと輝いている。

「彼の挑戦、受けて立とうじゃないか! そして、彼のそのモノクロームの鼻を完膚なきまでにへし折ってやる!」

「姉御! 俺も、もちろんお供しやす! どんな試練だろうと、このギルが、筋肉で粉砕してくれるであります!」

「ひひひ…! 古代の遺産『原色の石盤』、ねえ。こいつは、とんでもねえお宝の匂いがプンプンするぜ…!」

「わあ! 探検ですか! 今度は、どんな美味しいものがあるのでしょうか!」

 ジーロスが芸術論を、ギルが筋肉論を、テオが金銭論を、そしてシルフィが食欲論を、それぞれ勝手に、しかし、熱く語り始める。

 アイリスは、そのあまりにいつも通りの混沌の中心で、ただ、一つ深いため息をついた。

(…行くしか、ないのですね…)

 『無限お茶会地獄』のタイムリミットは、刻一刻と迫っている。

 彼女は、自らの胃をそっと押さえた。


 クロマが示した地図の場所は、王都の古い下水道の、さらに奥深くにあった。

 一行がたどり着いたのは、苔むした、古代の石で組まれた、巨大なアーチ。

 そのアーチの向こう側は、まるで空間が歪んでいるかのように、黒く淀んで見えた。

「…この先か。ひひひ、いかにも、って感じじゃねえか」

 テオが、ごくりと喉を鳴らす。

 アイリスは、深呼吸を一つすると、分隊長として最初の命令を下した。

「…行きます。全員、警戒を怠らないように」

 彼女を先頭に、一行は、その、歪んだ闇の中へと足を踏み入れた。


 その瞬間、世界から全ての「色」が消え失せた。

 いや、色が消えた、というよりは、世界そのものが、一枚の古い白黒写真の中に閉じ込められてしまったかのようだった。

 壁も床も天井も、全てが、黒と白と、その間に無限に広がる灰色の濃淡だけで構成されている。

 音はくぐもり、空気は何の匂いもしない。

 五感から、情報が極端に制限される、異様な空間。

「ノン! なんという徹底したモノクロームの世界! 悪趣味極まりないが、この、完璧なまでの統一感…! 芸術家としての執念は、認めてやらなくもない…!」

 ジーロスは、悔しそうに、しかし、どこか感心したように、呟いた。

 一行は、その、無限に続くかのように見える灰色の回廊を歩き始めた。

 だが、すぐに異変に気づく。

「…おい、アイリス。なんだか、見覚えのある染みじゃねえか、そこの壁の」

 テオが指さした先。そこには、先ほどギルがうっかりつけてしまった巨大な手形の跡が、くっきりと残っていた。

 彼らは、知らず知らずのうちに、同じ場所をぐるぐると回り続けていたのだ。

「くそっ! 迷宮、ってわけか!」

 ギルが、苛立ち紛れに壁を殴ろうとする。

「やめなさい、ギル!」

 アイリスの鋭い声が、それを制した。

(神様…! 申し訳ありません、完全に、道に迷ってしまいました…! 何か、道標となるようなものは…!)

 彼女は、藁にもすがる思いで、脳内の、絶対的な司令塔へと助けを求めた。

 だが、返ってきたのは、慈悲深い神託ではなかった。

『…迷った? はあ!? 貴様は、何を言っているんだ!』

 ノクトの、心底呆れ返った怒声だった。

『たかが、チュートリアルステージの迷路ごときで足止めを食らっているだと!? 俺の脳内リソースをそんな下らないことで使わせるな! とっとと自力でクリアしろ、この新人が!』

 ブツリ、と。

 通信は、一方的に切れた。

 後に残されたのは、絶対的な静寂と、神に見捨てられたという残酷な現実だけだった。


「…そう、ですよね…」

 アイリスは、力なく呟いた。

 そして、ゆっくりと顔を上げた。

 その瞳には、もはや『神』にすがるか弱い光はなかった。

 そこにあったのは、腹を括った一人の指揮官の光だった。

「―――全員、聞いてください!」

 彼女の凛とした声に、仲間たちが、はっ、と注目する。

「この迷宮は、私たちの視覚を惑わし、方向感覚を狂わせることを目的としています。ならば、目に頼るのをやめましょう」

 彼女は、自らの、リーダーとしての最初の作戦を告げた。

「ジーロス!」

「…なんだね、アイリス」

「あなたは、光と影の専門家のはずです! このモノクロームの世界は、あなたにとって最高の舞台ではありませんか! 壁の、僅かな陰影の濃淡、光の反射率の違い…! それを、あなたの魔法で増幅させ、私たちに道を示してください!」

「…ノン! なるほど…! 面白い! 僕の神の目に懸かれば、この退屈な灰色の濃淡の僅かな違いなど、赤子の手をひねるようなものだ!」

 ジーロスは、扇子を広げ、不敵に笑った。

「ギル!」

「はっ、姉御!」

「あなたのその力は、ただ破壊するためだけのものではありません! ジーロスが怪しいと睨んだ壁を、あなたのその繊細な(?)力加減で叩いて確認してください! ただし、絶対に破壊してはなりません!」

「おお! 繊細な力加減! 茶道の修行が、今こそ活きるでありますな!」

「テオ!」

「へいへい」

「あなたは、私たちが進んだ道を全て記録してください! あなたのその、金銭に対する驚異的な記憶力があれば、可能なはずです!」

「ひひひ…! 金が絡むなら、百万桁まで、覚えていられるぜ!」

「そして、シルフィ!」

「は、はい!」

「あなたは、私から離れないで。そして、何かいつもと違う匂いや音や空気を感じたら、すぐに私に教えてください」

「はい! 頑張ります!」

 それは、『神』の神がかりの奇策ではなかった。

 ただ、仲間を信じ、それぞれの長所を活かそうとする、一人の未熟なリーダーの、不器用でしかし心のこもった作戦だった。

 仲間たちは、その、アイリスの、必死の、しかし力強い瞳に、何かを感じ取っていた。

 彼らは、文句も言わず、ただ、こくり、と頷いた。


 アイリス分隊の、本当の捜査が始まった。

「ノン! あちらの壁の、影の落ち方が不自然だ! 他の壁よりも、〇・三パーセント、光の吸収率が高い!」

「おお! ジーロス殿! 確認するであります!」

 ギルが、その壁を、拳でコンコンと優しく叩く。

「姉御! この壁、他よりも少しだけ軽い音がしやすぜ!」

「よし! テオ、記録を! 私たちは今、三番目の分岐を右に曲がった…」

 それは、遅々とした、気の遠くなるような作業だった。

 だが、彼らは、確かに前へと進んでいた。

 自分たちの力だけで。

 アイリスは、その、不器用で、しかし確かな一歩一歩に、これまでに感じたことのない確かな手応えを感じていた。

 それは、『神』に与えられた勝利とは全く違う、自分たち自身の力で道を切り開いているという、確かな実感だった。

 彼女の、リーダーとしての本当の戦いは、まだ始まったばかり。

 だが、その最初の一歩は、確かに今、踏み出されたのだ。

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