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第一話 史上最悪の配達遅延

 太古の「呪い」によって屋外に出ることを禁じられたソラリス王国第二王子のノクト・ソラリアにとって、世界とは自室の椅子の上であり、眼前に広がる巨大な机に並べられた魔道具の数々であり、そして指先一つで取り寄せられる、大好物のポテトチップスのことだった。

 千年前の悪魔の契約が破棄され、王国に「やる気」が戻ってから数ヶ月。世界は活気を取り戻し、人々の生活は豊かになった。

 その恩恵を最も享受しているのは、間違いなくこの男であった。

「ふん。最終フェーズでヒーラーを集中攻撃するとは、定石を知らん素人め」

 ノクトは、特注の椅子に深く身を沈め、目の前の巨大な魔力モニターに映し出された、新作MMORPG『フロンティア・ワールド・オンライン』の世界に没頭していた。

 指先一つ動かすことなく、思考だけで完璧に操作される彼のキャラクターは、無数のプレイヤーが屍を晒した最高難易度レイドボスの攻撃を、まるで未来予知でもしているかのように華麗にかわしていく。

 傍らには、完璧な温度と微炭酸が維持されたコーラのグラス。

 そして、悪魔との戦いを乗り越え、生産ラインが完全復活したソルトリッジ社製の「濃厚コンソメ・ストロングソルト味」のポテトチップス。

 完璧な環境。

 完璧な日常。

 彼の引きこもりライフは、今、至上の輝きを放っていた。

 レイドボスが断末魔の叫びと共に光の粒子へと変わるのを見届け、ノクトは満足げに息をついた。

「やれやれ。これで、最強の伝説武器の設計図が手に入った。やはり、世の理不尽な混沌を忘れさせてくれるのは、ルールが明確なゲームだけだな」

 彼は、最後のポテチを口に運び、勝利の余韻に浸った。

 だが、今日の彼にとって、このレイドボスの討伐は、メインディッシュの前の、ささやかな前菜に過ぎなかった。

 今日という日は、彼にとって、数年に一度の祝祭の日。

 彼の完璧な引きこもりライフを、次のステージへと昇華させる、神聖なる儀式が執り行われる日だったのだ。


 ノクトは、モニターの片隅に、常時表示させている小さな魔法陣へと意識を移した。

 そこには、『マナ・スフィアX』という商品名と、配達状況を示すステータスが、淡く輝いている。

 『マナ・スフィアX』。

 それは、ただの最新ゲーム機ではなかった。

 王国の技術の粋を集め、脳内の思考とゲーム世界を直接リンクさせ、もはや現実と区別がつかないほどの没入体験を可能にするという、究極の魔導具。

 ノクトが、その発売日を、指折り数えて待ち焦がれていた、神の祭器。

 魔法陣のステータスは、今朝からずっと変わらない。

 【配達状況:輸送中】

「…ふむ。いささか、遅いな」

 ノクトは、眉をひそめた。

 発売日の午前中必着。

 それが、王家御用達の最高級配達サービス『王室便』との契約のはずだった。

 すでに、正午を回っている。

(…まあ、いい。おそらく、輸送用のグリフォンの体調が優れないのだろう。あるいは、天候による、不可抗力か。非効率極まりないが、許容範囲だ)

 彼は、自らの心を、寛大な神のように宥めると、届いたばかりの別のゲームのパッケージを開封し、インストールを始めた。

 だが、一時間が過ぎ、二時間が過ぎても、魔法陣のステータスは、変わらない。

 【配達状況:輸送中】

「……」

 ノクトの眉間の皺が、深くなる。

 インストールを終えたゲームに、もはや、彼の心はときめかなかった。

 『マナ・スフィアX』がなければ、どんなゲームも、色褪せて見える。

 彼は、五分おきに、魔法陣をチェックし始めた。

 その姿は、神というより、恋人の返信を待つ、哀れな男のようだった。

(…おかしい。王室便のシステムに、これほどの遅延はありえない。サーバーがダウンしているのか? いや、それならば、別の通知が来るはずだ。一体、何が…?)

 彼の、完璧な日常に、ほんの僅かな、しかし、無視できないノイズが混じり始めた。

 時計の針が、午後三時を指した、まさにその時だった。

 魔法陣の光が、これまでとは違う、強い輝きを放った。

「…来たか!」

 ノクトは、椅子から身を乗り出した。

 だが、そこに表示されたのは、彼が待ち望んでいた「配達完了」の文字ではなかった。

 赤く、点滅する、無慈悲なシステムメッセージ。

 【配達状況:配達不能】 【事由:原因不明の『配送網の渋滞』により、現在、指定区域への配送が不可能な状態です】


 静寂。

 時が、止まった。

 ノクトの、指先から、つまんでいたはずのポテチが、ぱらり、と絨毯の上にこぼれ落ちた。

 彼の、完璧な一日が、音を立てて、崩れ始めた。


「……………は?」


 数秒後。

 ノクトの口から、か細い、信じられないという響きを帯びた声が漏れた。

 配達不能?

 原因不明の、渋滞?

 それは、彼の、完璧な論理で構築された世界において、ありえない言葉だった。

 彼は、震える指で、コントローラーを握りしめた。

 その顔が、ゆっくりと、怒りの色に染まっていく。

「…ふざけるな…」

 低い、唸り声。

「俺の…! 俺の、神聖なる、ゲーム機の発売日を…! 『原因不明』などという、ふざけた理由で、台無しにするだと…!?」

 彼の怒りは、もはや、単なる苛立ちではなかった。

 自らの信仰を最も愚かな形で踏みにじられた敬虔な信者の、神への冒涜に対する、純粋な、そして底なしの怒りだった。

 次の瞬間、ノクトは、椅子から立ち上がった。

 そして、自らの魔力を解放した。

 塔全体が、ビリビリと、彼の怒りに呼応するように、震える。

「…面白い。ならば、その『原因』とやらを、この俺が、直々に、解明してやろうじゃないか…!」

 彼は、机の上に置かれた遠見の水盤に、手をかざした。

 水面が、光を放ち、王国全土を網の目のように覆うマナ通信網の全体図が、青白く描き出される。

 それは、彼が、自らのネット回線を守るために幾度となく監視してきた、生命線そのものだった。

 そして、彼は、すぐに、その「渋滞」の原因を発見した。

 王都の中央、商業地区から、王城へと至る最も重要なマナの中継ポイント。

 そこが、まるで病巣のように、黒く、淀んだ魔力によって、汚染されていたのだ。

「…なんだ、これは…?」

 ノクトは、その一点に、解析の焦点を絞った。

 それは、レイラやミストが見せたような、明確な敵意や悪意のある魔力ではなかった。

 もっと、たちの悪いものだった。

 一見、無害。

 だが、その実、全てのものを自らの価値観で塗りつぶそうとする、独善的で、粘着質な、狂気の魔力。

 それはまるで、「真実の美」とは何かを主張するかのような、独りよがりの芸術家の魂の叫びそのものだった。

 ノクトは、その魔力の「質」を、一瞬で見抜いた。

「…真実の美、だと…?」

 彼の、口元が、ひくひくと、引き攣った。

「俺の、ゲーム機を…。こんな、下らない、芸術論争のせいで…。これ以上、待てと、いうのか…!」

  彼の怒りは、ついに、頂点に達した。

 もはや、冷静な分析など、どうでもいい。

 ただ、自らの聖域を汚した、その見えざる芸術家を、完膚なきまでに叩き潰す。

 その一点に、彼の、全ての思考は収束した。

 彼は、脳内の通信回路を強制的に開いた。

 その怒りの矛先が向けられたのは、もちろん、彼の、唯一にして最も優秀な駒。

 聖女、アイリス・アークライトだった。


 その頃、アイリスは、ようやく解放されたお茶会の後、自室で、山のような報告書の処理に追われていた。

 その彼女の脳内に、突如として、これまでにないほど激しく、そして切迫した、『神』の絶叫が、叩きつけられた。

『―――新人ッ!!! 緊急クエストだッ!!!』

(ひゃっ!? か、神様!? いったい、何が…!)

『問答無用! 今すぐ、王都の商業地区へ向かえ! そして、俺の神聖なる儀式を妨害する、不届き千万な芸術テロリストを探し出せ! そして、社会的に抹殺しろっ!!!』

 あまりに物騒で、あまりに支離滅裂な、神託。

 アイリスは、何が起こったのか、全く理解できなかった。

 だが、その声に込められた、純度百パーセントの私怨の波動だけは、痛いほど伝わってきた。

 聖女の、騒がしくも平穏だったはずの日常は、こうして、一人の引きこもりの、あまりに個人的な怒りによって、再び混沌の渦へと叩き込まれるのだった。

 彼女の胃痛は、すでに再発の兆しを見せていた。

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