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冬の森の死体安置所  作者: 山田太朗
第一幕 「冬の森の死体安置所」
6/70

6.遺言

 イルミナが初めて図書館に案内されたあの日、ザックは「俺は、その本に出てくる古代人の末裔だ」と、事も無げに言った。もちろん当時はひどく驚いたものだったが、思い返してみれば気にかかるところはあった。

 例えば、こんな森の奥深くで誰とも接さずに暮らしているとか、イルミナにもどこか壁を作っているところとか。元々人見知りな部分もあるだろうが、それにしても徹底していると思ったものだ。


 ザックの要領を得ない拙い説明をまとめると、以下の通りだった。

 自分は古代人であり、祖先以外の古代人は、現代人に滅ぼされた。純潔の古代人ではないが、現代人と交わることによって、特殊な能力を得ることが出来た。

 それが死者の一時蘇生であり、古代語を使っての意思疎通である。もちろん、条件はいくつかある。死んでから一年以内でないと蘇生ができなかったり、遺体が酷く損傷していたら無理だとか。だから冬の森にあるモルグでしか出来ない術だという。

 純潔の古代人はザックと違いどんな状況であれ、死者を蘇生させることが出来たそうだ。しかし、ザックの術と違い、こちらは意思を持たない人形のような死者となり、戦争の道具として使われたらしい。

 それも古代人が滅んだ要因の一つであると、このイルミナが目を通している文献には書いてある。

 そしてその代償として、術の使える古代人は盲目となり、ザックは文章を読む力を失くした。

 そのためザックには助手が必要なのだ。古代文字を解して、口頭で伝えるための助手が。あるいは、古代語しか使えない死者と生者の通訳として。


 そこまで説明されて、ようやくイルミナは自身がこの場所に配属され、そして何故ここが図書館と呼ばれているのかを同時に理解した。

 真剣な顔でそう言うザック。瞳は、真っ直ぐにイルミナを見つめている。

 そこで、イルミナは考える。


 ――あの左目も、もしかしたら『埋葬』の為に?


 しかし、それは結局今に至るまで聞けていない。そんなことを聞けるチャンスもなかったし、何よりザックの残った鳶色をした右目が「聞くな」と拒否しているように思えたから。

 彼はただの同居人であり、そして同僚だ。深く踏み込むには、二人の関係は遠すぎる。


 いつか、彼の口から聞けるといいけれど。


 イルミナはそう考える。彼女は楽観的な性格をしていると言えたし、少なくともしばらくの間は二人で働くからだ。時間はそれなりにある。この時のイルミナは本気でそう思っていた。


 再び、ピーターの身体がゆっくりと動き出した。

「おお、悪かったな。また死んでいたようだ」

 冗談ともつかぬ口調で、くつくつと笑う。先ほどまで彼の声にはノイズのような、うめきのような雑音が混じっていたが、今は大丈夫そうだ。即ち、魂の癒着が完全になったということ。

 今や彼の声はイルミナやエディと同じく、礼拝堂に反響している。

 イルミナが視線を感じ振り返ると、腕を組んで彼女を見つめるザックがいた。ようやくお目覚めらしい。目覚めたところで、彼には何もする事はなかったが。ザックが微かに頷く。「しっかりやれよ」とでも言いたいのだろう。イルミナもそれに頷きを返し、ピーターとエディの親子に向き直る。

「さて、もう大丈夫です。お時間もあまりありませんし、今回『埋葬』に至った用件を手短にお願いします」

 若いザックの術式はまだ不完全で、死者を蘇らせることが出来る時間は魂の癒着が終わってから、僅か三十分程度。これは訓練などにより時間を伸ばせるという。実際にザックの父親であり、先代の管理人は丸一日以上魂を留まらせたそうだ。

 世間話をしている暇はない。それを伝え、滞りなく『埋葬』を行うのはイルミナの仕事だった。

「ザック・ノーガーを退出させることも出来ますが、いかがなさいますか?」

「ノーガー?」

 幾度も発声した古代語を伝えると、ピーターは逡巡ののち首を振った。委細ないと言ったところか。生前は瞳を患っていたのだろう、白く濁った眼でザックを見つめている。

 貴族の中には、こういった話を聞かせる人数を最小限にしたいという者もいた。もし、死者が身内に暗殺されたとかだったら、スキャンダルにもなりかねないからだ。

 部外者であるザックとイルミナには、それを口外できないようになっている。それでも話を聞く人間は必要最低限が良いと、ザックを追い出そうとする貴族は多い。

 イルミナはそれを聞くたび、吹き出しそうになる。ザックが他人の噂話をするなんで最上のジョークみたいなものだ。

 だが、今回は必要ないとのことなのでエディを促す。依頼の大半がデリケートな話題なので、イルミナは依頼者が発言した言葉を一言一句間違えずに伝えることにしていた。

 それでも不安だという人間には、最後に死者自ら記した議事録(の要点)にサインを貰い、依頼者には古代文字の辞書を用意してやる手はずになっている。

 エディは、ピーターから一歩分の距離を残して前に立ち、深く深呼吸をして話し始めた。


 ジャクソン家は、先王陛下の先王陛下、そのまた先王陛下の……と遥か昔から続く、由緒正しい家だそうだ。一昔前ならばともかく、現代は貴族とはいえ働かなければ家が傾く。仕事の出来ない貴族は窮して首を括ることも多い。没落貴族の自死などというのは珍しくもなく、新聞の扱いも小さい。

 幸いジャクソン家には経営の才能も備わっていたらしい。特にピーターは元々あった町工場を、世界でも有数の製糸工場に育て上げたので、家が傾くどころか、物凄い豪邸に住んでいた。ニューオリオン市のジャクソン邸といえば、彼の地の観光名所の一つになるほどだ。王都から遠く離れたトーカ村に住んでいたイルミナですら、その名前は聞いたことがあった。

 そんな金を持った貴族が『埋葬』を依頼する理由はひとつだけだ。

 遺産相続である。

 遺産を巡って、相続者が揉めるという話はよく聞くし、ジャクソン家にも例に漏れず急死したピーターの後継者候補は四人いた。

 現ジャクソン製糸社長である、ピーターの甥。

 ニューオリオン市長の、ピーターの弟。

 市内にいくつもの宿を経営している、ピーターの兄。

 そして、唯一の子供である、エディ・ジャクソン。

 エディは成人していたが、父から経営の才能は受け継がなかったようだ。周囲の反対を押し切り、小さな出版社を経営していたが業績は芳しくない。そんなエディを見限った為か、生前のピーターは、実子であるエディに何一つ渡していない。それが物事を厄介にしていた。他の三人がこぞって「ピーターの遺産は、俺ら三人で分配する。エディには郊外の家と、出版社を立て直すだけの金をやる、それで満足だろう?」と、言ってきたのである。一歩間違えれば剣呑な問題になりかねない。エディ以外の三人は結託してあれこれと策謀を巡らせていた。

 血なまぐささが現実に差し迫ったエディは、知人からこのモルグのことを聞き、正式な遺言状を記して貰うために、冬の森にやってきた、という訳だった。


 ところどころつっかえながら話すこの傲慢な貴族に、いつしかイルミナは同情していた。彼には味方と言える人間がいないのだ。そう、目前のピーター以外には。


 ――いけない。


 イルミナはただの通訳だ。自分の意見を伝えるなんてもってのほか。エディに関する感情を拭い努めて機械的に、小さなニュアンスすらも間違うまい、と注意深くエディの言葉を死者に伝える。

 しかし、ピーターの返事は最愛の息子を突き放すかのようであった。

「悪いが、連中の言ってることは正しい。お前に財産の半分を渡してしまったらあっという間になくなってしまうだろう」

「そ、そんな父さん……」

「私も悪かったと思う。ただひとりの息子であるお前を甘やかして育ててしまった。だからこんな世間知らずに育ってしまったということだ」

「大丈夫だよ、今度こそ会社を立て直してしっかりとやるから。だから――」

「ならん」

 そう言ったピーターの声は、今までのどれよりも冷たく、感情の入った声だった。

 それを聞いたエディは、礼拝堂に膝をつき呆然と父を見つめる。

「私はここに宣言する。遺産の配分は正しかった――エディよ、お前には昔我々が住んでいた家があるだろう? 会社は畳みなさい。そしてどこかに勤めて慎ましく暮らせばよかろう。そうすれば借金くらい生きているうちに返済できる。妻を娶り、子を成せ。いいな?」

 残酷すぎる宣言。

 それをエディはもう聞いていないように思える。手をつき、顔を俯かせ身体を震わせている。礼拝堂には、耳が痛くなるくらいの静寂が残った。

 どれくらい、そうしていただろう。その沈黙を破ったのはザックだった。

「まもなく時間だ」

 イルミナは頷き、それぞれに最後に言い残すことはないかを尋ねる。

 エディは俯いたまま、ゆるゆると首を振った。

「エディよ」

 今までの厳しい声音ではなく、優しくエディに語りかけたのはピーターだ。

「顔を上げなさい」

 やはり泣いていたのだろう、エディの顔は涙でぐちゃぐちゃだった。それを拭いもせず、彼は父親を見つめる。そこにいるのは、イルミナが大嫌いな高慢な貴族ではなく、ただの親子だった。

「エディ、あの家にあるクヌギの木を覚えているか?」

 困惑した表情だったが、微かに頷くエディを見て、満足そうにピーターは話を続ける。

「いつだったか、お前がブランコに乗りたいと言ってな。あの木に設えた。出来はいいものではなかったが、お前は楽しそうだった。私はいい父親、夫ではなかった。仕事にかまけて、家族を顧みることなど、ついぞ記憶にない。あのブランコは思えば家族としての記憶……それの最期だったのかもしれん」

 死者には表情といえるものがないのだが、この時にははっきりと見えた。慈しむような、優しく、そして強い父親。ザックが何と言おうが、イルミナにはそう見えたのだ。

 エディにも伝わったのだろう、袖で涙を拭い、「覚えている。楽しかったよ」と大きく頷いた。

「あまり父親らしいことは出来なかったが、これが最後だ。辛いことがあったら、あの木を思い出せ。私は、いつでもお前を見守っている」

 ピーターは起きた時のように、ゆっくりと身体を横にしてゆく。

「疲れた。もう休むことにしよう」

 それが最後の言葉だった。ピーターは物言わぬ遺体に戻る。今まで話していたことが不思議なくらい、それは誰が見ても完璧な遺体だった。


 晴れやかな、とまではいかなかったが、エディの表情から迷いが消えたように見えた。彼はイルミナとザックに丁寧に頭を下げ、照れ隠しなのだろう「それでは失礼する」と、傲慢な貴族に戻ると、足早に冬の森へと消えていった。

 エディがいなくなったあと、しばらくイルミナは放心していた。


 ――最後は優しかったけれど、どこか冷たかった。息子を助けたいって思うのが父親じゃないだろうか?


 窓の外を見ると、相変わらず横殴りに吹雪いている。きっと、人生なんてこの一歩先すらも見えない冬の森と変わらないんだろう。結局は自分でどうにかしないといけないんだ。

 それでも上手く心と折り合いをつけることができず、イルミナは舞う雪を眺め続けた。



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