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冬の森の死体安置所  作者: 山田太朗
第三幕 「あの日、ちいさな手をした君へ」
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2.来訪者

 写真のいざこざなんて、とうに記憶の彼方へと追いやってほどなく、イルミナがいつものようにロッキンチェアーで読書をしていた時、控えめなノックの音が玄関に響いた。ちょうど読んでいた本がひとつのクライマックスを迎え、栞を挟んだ直後。まるで図ったかのようなタイミングで、イルミナは予感めいたものを感じていた。

「はーい」

 そう返事しながら来客の予定を記憶から引っ張ってみたが、今日は何もないはず。しかし急な来客など珍しくもないので、イルミナはドアに設置してあるのぞき穴を見て眉を寄せた。そこにいたのは、幾度も見た顔。しかしこの死体安置所には訪ねてくるはずのない男だった。

「どうしたの、ササフラ翁?」

 ササフラは似つかわしくない色眼鏡を掛けていた。こうしないと、慣れないものは雪に目をやられてしまうそうだ。そういえば、彼はあまり丈夫な瞳ではなかったっけ。

「ノーガーはおるか?」

 その言葉に、イルミナは警戒を露わにした。彼ら衛兵はこの森に足を踏み入れてはいけない契約なはず。その禁を犯してまで足を運んできたうえに出したのは彼が()()()()()()()()()ザックの名前だったからだ。

「ロッキンジーよ、構える必要はない。わしは()()の頃からこの森に詰めとる。ある程度は事情に通じておるよ」

 そう言い、ササフラは色眼鏡を外した。その顔は不機嫌そうに眉間に皺を寄せている。もちろん他にも年齢相応の皺があるのだが、ササフラを彼たらしめているのは眉間なのだ。一見すると気難しい老人に見えるのだが、実は怒っていないらしい。どちらかと言えば機嫌がいい部類の顔だと、そこそこの付き合いがあるイルミナには分かった。

 そういうことならば、と彼を招き入れる訳にはいかない。なにせ、この死体安置所には主に貴族の遺体が置かれている。盗掘などがないとは限らないのだ。ちらりとササフラの腰に視線を走らせる。さすがに帯剣はしていないようだが、どこかに小剣を隠している可能性だってある。ササフラはイルミナの視線に気づいたのか、諸手を天に挙げる。顔を見ると、唇の端が痙攣するかのようにひくついている。どうやら笑おうとしているようだ。

「慣れないことしないでよ」

 イルミナは思わず噴き出した。それは彼女のよく知る顔、鷹揚なようで繊細な、遠い昔天に召された祖父を思い起こさせる見知った男だった。

「身体検査をしてもかまわんぞ」

 手を挙げたまま、今度はウインクをしている。

「だからやめてって」

 イルミナが完全に破顔してしまった様子を見て、満足そうに頷いていた。

「それで、ノーガーだが」

「分かった、呼んでくるから応接室で待ってて。場所はわかる?」

「委細ない」

 ササフラの前時代的な物言いに笑いながらイルミナはザックがいる晩餐の間へと走った。


「はい、どうぞ」

「忝い」

 応接の間。ササフラは目の前に置かれたティーカップに手を伸ばし、何度か息を吹きかけている。

「ササフラ翁って猫舌?」

「温度が極端なもの全般苦手だ」

 じゃあなんでこんな所に務めているの――その言葉をイルミナは飲み込み、今度来る時までにアイスクリームを仕入れておこうと心に誓った。どうにもイルミナはササフラを相手にすると、年齢相応の態度をとってしまうようだ。彼が大好きだった祖父に似ているのも作用しているのだろう。

「む?」

 ササフラの眉間に皺が強く寄る。なんとも微妙な表情。彼が口にしているのは、この森にだけ群生している特別なハーブを煮込んだハーブティーだった。イルミナの好物なのだが、客に供すると大概がこういった顔をする。どうやらこの植物は茶となってなお人を選ぶようだ。

「……なんというか、複雑な味がするな」

「いいよ、気を使わなくても。そのお茶保温効果あるから一応出してるだけだし。他のにする?」

「委細ない」

 適温になったのか、ごつごつとした片手で茶を一気に飲みほした。

「あれ?」

 ササフラのカップを持つ左手、その小指が欠けているのに、イルミナは初めて気が付いた。そういえば彼ら衛兵たちは門に詰めている間は常に甲冑に身を包んでいる。これだけの寒冷地だというのに、彼らを派遣したギルドもずいぶんと無体な真似をすると思ったものだ。着ているものが熱伝導性の高い鉄なのが、ギルドなりの有情だったのかも知れない。そういえば手先にも重たそうな鉄の小手を巻いていたっけ。だから私服を身に着けているササフラが思ったよりも筋肉質な身体なのにも驚いた。


 ――罪人だったとか聞いたぜ。


 何故かイルミナはある日、シャーガーが言っていたことを思い出してしまった。

「おお、これか」

 視線に気づいたササフラが事もなげにイルミナの目前に掲げてみせた。

「ロッキンジーは知らんだろうが、数十年前に戦争があってな」

「さすがに知ってるわよ、レイクドール鉱山の利権戦争でしょ?」

「ほう、博識であるな」

「もしかして馬鹿にしてる? 教科書に載ってることよ、しかも小学校の」

「では、どのように締結したのかも知っておるな?」

「もちろん。えっと、確か女王陛下が精力的に動いて云々……」

 遥か昔、学習したことすらもおぼろげになってしまっていたイルミナが語尾を濁す。それを満足げに肯ってササフラが受けとった。

「レイクドール宣言だ。内海各国がこぞって欲した鉱山の戦後処理まで完璧に施した、それは立派な姿であったぞ」

 なんとなく記憶が甦ってきた。参戦した三国の国境線沿いの街ビスクダルケで女王陛下が泥沼に浸かりつつあった戦争の終了を宣言したのだ。

「もしかして、女王陛下に謁見したことが?」

「謁見というと違うが、あの宣言時、我らはまさに最前線でもあったビスクにおったのだ」

 初耳だった。戦争の、しかも最前線に配置されたということは、ササフラはシャーガーたちと違って正真正銘、真物の兵士だということだ。

「こいつはそこで受けた、名誉の傷というわけだな。まぁこいつが元で我は除名されたわけだが。だが潮時だとも考えておったし、もっけの幸い――ではないな。日常生活に支障をきたすし、職も選択肢が少ない」

 そこでササフラは豪快に笑った。こうやって表情に出すことは稀だが、彼は本来明るく快活な部類に入る人間なのだ。もちろん、それを知っている人間は少ないだろうが。

 

 そんなとりとめのない話をしていると、ようやくザックが姿を現した。ササフラを見ると眉が怪訝に持ち上がり、次いでイルミナへ非難の視線を投げかける。それに気づいたササフラは、「なんだ、わしだと言っておらんかったか」と呆れた声をだした。

「まぁいい。ノーガーよ、久しぶりだな。息災にしておったか?」

「会ったことあるの?」

 無言のままのザックでは埒が明かない。まさか日常生活で通訳をすることになるとは。

「先代の頃に、一度な。こやつはまだ小さかったから記憶にはなかろう」

「……憶えている」

 短く言うザックを満足げに見やるササフラは、孫を見守るような温かい瞳をしていた。その眼で、イルミナは彼の目的を悟った気がした。

「じゃあ、ごゆっくり」

 ササフラが何かを言う前にイルミナは立ち上がり、一礼をして扉へと向かう。玄関に向かうイルミナの背中へ――でもないだろうが、扉を閉め終える前にササフラの絞り出すような声が聞こえた。


「お役御免を言い渡された」


 イルミナは思い切り叩きつけるように自室の扉を閉じた。こんなに怒ったのは冬の森に来て初めてのことかもしれない。

 ちらりと時計を見る。時刻はまだ早い。普段であればロッキンチェアーに揺られながら暖炉の揺らめく灯りのもと読書をしている時間である。それをせずに部屋に籠ったのは、当然読書をしていると視界に入るザックのせいだった。

「ザックがあんなに薄情だったなんて!」

 足音からも怒りの焔が立ち昇る勢いでベッドへ向かい、枕を投げ――ようとして思いとどまった。枕に罪はない。代わりに思い切り身体をベッドへ向けて投げ出す。罰を受けるべきザック・ノーガーはササフラが帰ってからも無言のまま、普段通りに仕事と、趣味である木工細工に精を出していた。イルミナにはそれも業腹だった。彼らはイルミナなんかより遥かに長い付き合いのはずだ。絆と言うべきものは存在していないのかもしれない。何せ、あのザックだ。すべての物事から切り取って(あるいは切り取られて)、手を離しているような男なのだ。だが、あの態度はないのではないか? 

「そうか、と言った」

 ササフラの言葉にどう返したのか、その返答がこれだった。

 口を開け、呆れた表情で見つめていると、「どうかしたか?」と言わんばかりに眉を寄せていた。イルミナに言った通りなのだろうと、その顔から理解できた瞬間には踵を返し、部屋へと向かう。夕食の準備なんかしていなかったが、今のザックを見ただけで怒りが爆発しかねない。人間は一食抜いたところで死にはしないから問題ないはずだ。

 それを思い出しただけでまた腹が立ってきた。ばたばたと足をばたつかせ、何とか心を落ち着ける。


 大声で聞いたものが顔を顰めてしまいそうな罵詈雑言を放っていたイルミナは、何故かそこであの写真を思い出した。ひょっとして、あの小さな男の子はザックなのではないだろうか。あの小さな手を置くべき場所を迷っているような少年が、今のザックとどこか重なって、一瞬で消えてゆく。

 飛躍し過ぎか。

 何せあの写真を撮った射影機は軽く半世紀は昔の代物なのだ。機械に疎いイルミナにもそれは理解できた。それを最近使ったということも考えづらい。何せ先の戦争でもって、あの射影機の現物は全て消失してしまいこの世に存在しないから。つまりあの写真がザックだとしたら当時の技術の粋をつぎ込んだ射影機を使える大金持ちであり、すでに御年六十近いということになる。馬鹿馬鹿しい。

 腹が鳴った。

 思わず赤面し、誰もいないのは当然なのに辺りを見渡す。一食を抜いたところで死にはしない。死にはしないが、人間性が死んでしまう気がして、イルミナはため息を落とし立ち上がった。


 晩餐の間に入ると、今度はイルミナが眉を寄せる番だった。扉を開いた正面、いつもザックが陣取っている暖炉前に彼の姿がない。代わりに左手、キッチンから微かに物音が聴こえる。もしかして、腹を空かせたザックが出来もしない料理をしているのかも。これ以上気が滅入るような物事を増やすのはよしてほしい。ザックは生活能力が皆無なのだ。どの程度なのか、彼の力量を見るためにキッチンを任せたことがある。それ以降彼女たちの約束ごとに『ザック・ノーガーはキッチンに入るべからず』といった一文が加わったのは言うまでもない。

 憂鬱な気分で覗くと、その顔は別の意味で眉を寄せることになった。

 確かにキッチンにいたのはザックだった。だが彼がしているのは料理ではなかった。

「何してるの?」

 後ろ姿に声をかけると、驚くでもなくちらとイルミナを見て肩を竦める。彼は湯を沸かし、ポットに注いでいただけだった。手順など見なくても分かる。いつもイルミナが飲んでいるハーブティー。確かザックは飲まないはずだ。

「珍しいね」

 つららのように冷たく尖った声が出てしまった。内心反省しながらもそれは表情には出さない。

 ザックは無言のままポットからお茶を注ぐと、イルミナの前に差し出した。表情は一切変わらないが、イルミナにはその意味がわかった。

 これは、彼なりの反省の証なのだ。

 噴き出したイルミナをザックは睨むが、何も怖くなんてない。良かった、いつものザックだ。イルミナは安心してカップを受け取った。礼の言葉代わりに壁にかけてあるエプロンを身に着ける。

「夕食、ちょっと遅くなるけどそれくらい我慢してね」

 いつの間にか機嫌が直っている。それどころかこれは良い部類だ。その理由から目を背けるようにイルミナは包丁を手に取った。



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