嫌われ令嬢
「セドリックさま……、どうして?」
特別区の廊下を過ぎたあたり、メアリーは堪らず問うた。
メアリーの顔に落ちた髪をひとすじ、セドリックが優しくかきあげる。
「メアリーが俺の『特別』であることは、もう隠せない」
「でも、『運命』はなしにしてくれるってっ」
セドリックがメアリーに恋をした――婚約者がいるのに、堂々と宣言するなんて。
「『運命』は隠しただろう。『番』のことは、今は伏せておく。メアリーの意向は尊重している」
『運命の番』から『運命』を取れば、ただ恋だけが残った。
そんなつもりじゃなかったのに……!
メアリーはセドリックとの関係を隠したかった。
「……周囲が思っている以上に、俺の身には危険がつきまとう。即ち君にも危険が及ぶ。俺の保護下に置く方が安全なんだ」
セドリックの顔にいつもの甘さはない。覚悟を決めた表情から、意志の固さを感じた。
メアリーはふぅと息をこぼし俯いた。
きっと学内に噂が響き渡るだろう。
わなわなと震えるメアリーを、セドリックは宥めようと腕を伸ばし、寸前で止めた。
「すまない、メアリー。あの時、あの場所で、『運命』に出会ってしまった以上、君の願う平穏は叶わない」
*
教室に入ると、ロザリーはまだ来ていなかった。セドリックとは一般棟の入り口で別れた。心配した様子だったけれど、側にいるほど悪評は広がる。
ほどなくして担任の先生が訪れた。後ろには説教を受けたらしいロザリーたちが続く。
「皆さんは高等科に上がったばかりですが、再度の通達になります。一般生徒は特別区に立ち入らないように」
クラスメイトたちの視線がメアリーに注がれる。ひそひそと噂話さえ聞こえてきた。「メアリーとセドリック様が――」「婚約者がいる人と――」
キリキリと胸が痛い。
移動教室に向かう前に、セドリックの使いが教室にやって来た。周囲に緊張が走る。
「リヴァーデン伯爵令嬢、ランカスター小公爵より伝言にございます」
ロザリーが受け取った封筒を開けるや、その顔がパッと華やぐ。
「どうされたの、ロザリーさん。とっても嬉しそうね」
「セドリック様に昼食のお誘いを受けたの」
「まぁ素敵! ロザリーさまは婚約者ですもの、当然ですわ」
先ほどまであった緊迫した雰囲気はすっかり溶けた。これが正統。あるべき姿だと言わんばかりに。
そしてメアリーに向けられる白い眼差し。
当たり前よ。彼女は婚約者だもの――
視線が痛くて、メアリーは気づかなかった。
ロザリーがことさら冷たい目を宿してたことに。
本日の授業は社交実習としてお茶会が催された。
いつもは堅苦しい座学でないお茶会実習が楽しく感じられたが、今日は別だ。
席次やお喋りのひとつひとつに緊張が拭えない。
「ロザリーさんの淹れてくれたお茶、本当に美味しいわ」
「ありがとう。叔父が商売をしているでしょう? 新しい茶葉を紹介する機会が多くて、上達したわ」
「家業の手伝いをされてるなんて立派だわ。これからの淑女たるもの、外の仕事もできませんとね!」
授業ではホスト側とゲスト側の役割分担があり、今回はホストがお茶を振る舞う。
「どうぞ、メアリーさん」
「…‥ありがとう、ございます。ロザリーさん」
ロザリーは口元にだけ形よく微笑みを浮かべ、型通りの作法を実演する。いつもならもっと弾むような笑顔を浮かべていただろうに。
静かな圧を感じて、メアリーは狼狽えてしまう。カップがうまく掴めず、ソーサーを鳴らしてしまった。少し離れた監督官が評定帳に何やら書きつけている。これ、減点だ。
「マナーの授業は緊張してしまいますわね」
「そんなことないわ、普段から礼節のある行動をとっていれば問題ありませんもの」
「例えば、他に婚約者のいる殿方と馬車に同乗しない、とかね」
クスクスと上品に笑い、淑女らしい歓談に花を咲かせる。
メアリーには思い当たる節が大アリで、居た堪れない。けれど、せめてもと背筋を伸ばす。これ以上評価は下げられない。
そのとき、入り口がざわめいた。女の子達の歓声が波紋のように広がり、沸き上がる。監督官が「静かに!」と宥めるもその声さえ遠い。
騎士科だ。
美しい整列を成して作法部屋に入ってきた。
教官同士が短く会話を交わす。最前列にはセドリックがいる!
「騎士科の協力を得て、これから合同授業を執り行います。男女ペアになって。パートナーの作法を学びます」
合同授業なんて、聞いてない。
女の子たちは喜んでお目当ての騎士を探した。ロザリーもセドリックの元へ駆け寄る。
一瞬、セドリックとメアリーの視線が重なる。
メアリーはセドリックと顔を合わせなくて済むよう、逃げるように列の端へと退いた。誰か適当な男性とペアを組もう。
「メアリー嬢」
男性に呼び止められた。
「あっ」
ぎこちなく振り向くと、昨日の騎士科のトーナメント戦の観覧席で隣になった男子生徒だった。
「メアリー嬢……あ、ごめん。昨日、周りにいた女の子から君の名前、聞いたんだ。えと、昨日は大丈夫だった?」
「あ、はい。おかげさまで……?」
「クスっ、何それ。あ、しまった!」
男子生徒が居住いを正した。
「えーと、自己紹介がまだだったよね。僕はニコラス・ハートウェル」
「ニコラスさま」
ニコラスが足を引いて手を差し出す。これはパートナーの誘いの作法だ。
「僕と一緒に――」
「メアリー」
ドクン
全身の皮膚が総毛立つ。
胸がキュウキュウと締めつくように痛い。切なさと、罪悪感、そして――
「体調はどう?」
――ときめき。
「ええ、問題ないです……」
セドリックだ。
光を纏うように悠然と、真っ直ぐメアリーの元に向かってきた。
来ちゃダメなのに。
メアリーは目に熱いものが溜まる。
さっきまで噂の的で辛かったはずなのに。どうしてか今さら感情が込み上げてくる。おかしいの。
セドリックがすかさずメアリーの異変に気付く。
「無理しないで、メアリー」
セドリックは近くの椅子にメアリーを座らせ、人目も憚らず寄り添う。
けれど、それは許されない。
「先生、わたくしの婚約者はセドリック様です。パートナー役はセドリック様が相応しいです」
ロザリーが進言する。
その意見は真っ当そのもので。
女の子たちは眉を顰め、囁き声がメアリーの耳を針のように刺す。
「セドリックさま……、婚約者を尊重してください」
メアリーはセドリックにだけ聞こえるように、懇願した。セドリックの顔が少し歪んだように見えた。
ニコラスが割って入る。
「セドリック、僕がメアリー嬢を見とくから」
「……ああ。頼む」
名残惜しげにセドリックは立ち上がり、ロザリーに向き合う。
ロザリーは勝ち誇ったように口角を上げるのが見えた。
さすがにセドリック――ランカスター小公爵を前に噂話をする人間は、誰一人いない。
しかし依然として女の子たちの視線が刺々しい。
まさしく、嫌われ令嬢そのものだ――
メアリーは世間に抗えるほど、強くないのに。




