騎士の誓い(セドリックside)
夜の帳が下りる頃、セドリックは王宮の奥――王族の私的区画を足早に進んだ。
執務はすでに終え、王太子は奥へ下がったと聞かされた。
アーサーの私的な空間に入るのは好きではないが、呼ばれたなら仕方ない。
案内された先は湯殿だった。
湯煙の向こう、湯に浸かるアーサーの後ろ姿が見えた。
――その傍には寵姫セレナが飾り人形のように置かれていた。いつものように豪奢な衣装を纏って。
濡れてしまうかもしれない心配は、セレナもアーサーもしていない。
「王太子殿下、セドリックが参りました」
侍従の姿はない。アーサーは責務として人を側に置くが、その実、人を不要に寄せ付けない。
「メアリー嬢が、リヴァーデン邸に拉致されたらしいな」
アーサーは振り返ることもなく、話し始めた。
「せっかくなら、メアリー嬢を迎えに行ったついでに邸内を検めれば良かったのに。婚約破棄の材料くらい取れたんじゃないか?」
アーサーなら、そう言うと思った。
セドリックは憔悴しているメアリーを前に、そんな余裕はなかった。
「女性の警護はどうしても隙ができてしまう。女騎士の充実は早急な課題だ」
女騎士はいないわけではない。ただ令嬢を守るためには剣が使えるだけでなく、貴族の慣わしにも通じていなければならない。
そんな女騎士は、ごく限られていた。
「セレナ」
アーサーが呼びかけるも、セレナに反応がない。
アーサーも期待していないようだ。
「君が今でも騎士だったなら、メアリー嬢の守りに付けていたんだがな」
湯気で視界が白んで、セレナの表情は伺えない。
けれど、僅かに小さな鈴の音が聞こえたような気がした。
アーサーの用件は済んだようだ。
港湾倉庫の捜索をすっぽかしたというのに、咎めもないのが不気味だった。
ザバっと湯が揺れる音が聞こえ、アーサーがこちらに向きを変えた。
「セドリック、無茶はするなよ。お前の一番の仕事は生き残ることだ」
セドリックは目を逸らしながら、小さく頷いた。
メアリーの拉致は本当に肝が冷えた。
武力による攻撃は防げるが、社交の体裁を取られては難しい。
巧みなリヴァーデンはそこを狙ってきた。
リヴァーデン領にいたセドリックの元に、遅れてヒューバートからの手紙が届いた。茶会に男が招待されているなんて。
メアリーには選りすぐりの護衛を付け、いざという時に備えてリヴァーデン邸の外を押さえていた。
ヒューバートも茶会に潜ってくれていた。
なんとかセドリックが間に合い、礼節は繕えたが……。そうでなければ、社交的にも政治的にも大きな代償を払うところだった。
「セドリック殿下。先日は晩餐を共にできず、残念でしたよ」
王宮内の執務室に寄った帰り、リヴァーデン伯爵に出会した。
「……失礼した。王太子殿下からの帰還命令が出たからな」
「アーサー殿下は人を振り回すのがお好きだ。貴方はそれで終わる人ではないはずなのに」
「王太子殿下への不敬では?」
「とんでもない! ただ、ロザリーが殿下との時間を取れず寂しがっておりましてね。公の場でご一緒する機会があまりに少なければ、周囲が余計な勘繰りをいたします」
礼節の仮面を被った古狐め。
現場を仕切っているのはサイラスだが、密輸を巧妙に隠し通せるのはリヴァーデン伯爵の采配によるものだ。
サイラスだけだと足切りに終わる。リヴァーデン伯爵も押さえる必要があった。
「そういえば、ロザリー嬢のお茶会ではアルコールも伴っていたんだって? 未成年の令嬢が集う場で紳士が酔って暴れるなんて、いかがなものか」
メアリーを救助した護衛役が工作した。
セドリックが帰った直後、都合よくリヴァーデン伯爵が客を連れて応接間に現れた。
男たちは飲酒を否定したが、酒臭い匂いと部屋の有り様を見れば何を信用するかは明らかだ。
リヴァーデン伯爵は作り込まれた微笑を変えない。
「殿下は何か誤解されているのでは……?」
「そうかな」
口止めしても、人の口に戸は立てられない。
密かに噂は社交界に広がっていくだろう。
あの場にメアリーがいたらと思うと、ゾッとする。
幾重にも罠を張り巡らせて、小さな罪なき罪を重ねて大魚を得る。リヴァーデンの常套手段だ。
しかし今回は少々――雑だった。
焦りか、それとも。
「……ロザリー嬢との結婚も不安が募るばかりだ。破談の件は前向きに検討してくれ。礼節を求めるなら、まずそちらが示してくれ」
セドリックはリヴァーデン伯爵との会話を早々に打ち切った。まともに顔を見るのも不快だった。
メアリーは無事だったが、どれほど怖かっただろう。
説得して、公爵邸に匿うか……。完璧に守れる――けれど、メアリーの気持ちは?
普段、決断に迷うことはほとんどないが、メアリーのことになるとブレる。
本当に欲しいものは一つだけ。
許されない状況が、セドリックを惑わせる。
*
アーサーが予定を修正している間、束の間の休息ができた。
セドリックは久しぶりに騎士科に顔を見せた。
練習試合は好きな相手を選べる。セドリックが選ぶのは、もちろんヒューバートだ。
「今日は闖入はなさそうだな」
先日のロザリー集団が来たことを言ってるのだろう。あれは困った。
セドリックはヒューバートとの時間を大切にしているのに、台無しにしてくれた。
リヴァーデンの目に、平民であるヒューバートを目立たせないように気を配らざるを得なかった。
「今度は手加減なしだ」
ヒューバートは答えることなく、皮肉な笑みを浮かべた。
広場に入る前に薬を飲むと、ヒューバートに気づかれた。
「お前、さっきも飲んでなかった?」
「ああ、まぁ……」
セドリックは言葉を濁す。最近は抗発情薬を飲む回数が増えた。
「……大事な御身だろ」
「大丈夫、医師の指導は受けてる」
ヒューバートは納得してない様子ながらも、軽く打ち合いを始める。
ヒューバート……今は平民の身だが、元は古い歴史ある伯爵家の令息だった。学園の誰も知らない。
セドリックは幼い頃に一度だけ会ったことがある。
ほどなくしてヴァレンベルク家は断絶し、ヒューバートだけが幼年ゆえ助命された。
急な断罪だったと聞くが――
その時、セドリックの真横を模擬剣が掠める。
「セドリック、剣に迷いがあるぞ」
「……っ!」
セドリックは応戦して立て直す。
この学園で、セドリックと互角――それ以上に渡り合えるのはヒューバートしかいない。
王国騎士団に入れば、ヒューバートの実力なら騎士爵、果てはその上も望めるだろう。
さすがに家の復興は叶わなくても、素質に相応しい地位を手に入れられる。
――本音を言えば、公爵家はヒューバートが欲しい。
しかし公爵家では高い給金を与えることはできても、栄誉を与えることはできない。
然るべき人材は、然るべき場所へ。
「お貴族様は、事情が複雑で大変だな」
ヒューバートの当たりが強くなる。
「もっと単純になれよ」
キィーン
「飯がうまいとか、強くなりたいとか」
カキィーン
「女を抱きたいとか」
ヒューバートはいつになく饒舌だ。
互いに下がって一息つく。
「あの子のことだろう? お前、最近おかしいぞ」
ヒューバートの言う『あの子』が、メアリーであることは明らかだ。
セドリックは顔を俯け、答えた。
「……彼女に、恋したんだ……」
セドリックはメアリーとの約束を守るため、『運命の番』であることを秘匿した。
けれど親友の前で想いを打ち明けるのは、妙に気恥ずかしかった。メアリーがよく恥ずかしがっているが、その気持ちが分かったような。
案の定、ヒューバートは悍ましいものを見るような目を向けてきた。
その反応は……行き過ぎだろう。
「んなワケねーだろ、国家の優等生が」
埒が開かないと考えたのか、舌打ち混じりに言い放った。
「あの子……、お前の『運命の番』だろう?」
「!!!」
冷や汗が流れ落ちる。表情を変えないように、ヒューバートと向き合う。彼は確信に満ちていた。
これだから、ヒューバートは侮れない。
「……どうして、わかった? いや、……いつ?」
「最初からだよ。遠目から見ても、お前の様子がおかしかった」
セドリックの失策。ヒューバートは正確に見抜いていた。
「俺の家系、何代か前に『運命の番』が当たったんだよ。言い伝えが残ってる」
「そうか……」
セドリックは昔から、万が一『運命の番』に出会った時の対処を徹底して仕込まれていた。
けれど机上の論理と、実際に体感した激情はあまりにかけ離れていた。
もっと上手く立ち回れていたら……あの日、メアリーをリヴァーデンの目に留めずに済んでいたなら。
もう少しメアリーの状況を穏やかにできたかもしれないと、今でも悔やむ。
「賭けをしよう、セドリック」
「勝敗をかけて?」
「ああ。勝った方が負けた方の願いをきく。俺が勝てば、王国騎士団の推薦状を書いてくれ」
それは、ヒューバート自身の能力でもぎ取れるだろう……?
もちろん公爵家の後見があれば、身分を理由に不当な扱いを受けることはないが。
「怖じ気づいたか?」
まさか。好条件を見逃すはずがない。――勝てれば、だが。
「わかった」
何が合図ともなく打ち合いが始まる。
セドリックとヒューバートは昔から息が合う。
打ち込むたびに、避けるたびに、相手が何を選ぶかわかってしまう。
ヒューバートの真意がどこにあるのか、伝わってくるくらいに。
一撃を掠めても、まだ足りない。ようやく届いた剣さえ、まだ弱い。
ヒューバートの剣の重さは、腕の強さだけでないはずだ。
負けるわけにはいかない。
セドリックの威信と、ヒューバートの気持ちを受け止めるためにも。
広場で突如始まった決闘に、周囲は喝采を送っていた。
いつしか歓声は途絶え、人影が消えた。
たった二人だけ。
月明かりが差す頃、ようやく決着がついた。
荒い息遣いだけが、その場に残った。
「……手加減は……してないよな、ヒューバート」
息が切れて、まともに喋れてる感覚がない。
「まさか」
いつもの皮肉な笑みを浮かべると思っていたのに、真剣な眼差しを返された。
――それが、答えのような気がした。
「約束は約束だ。ヒューバート、俺の騎士になってくれ。俺を守り、俺の意図を理解し、俺を助け、俺のために生きてくれ」
ヒューバートはその目に光を灯したまま、頭を垂れた。
「御意。騎士の名に誓って」
月夜に雲がかかる。
どこまでも深い闇が二人を包んだ。




