小さな勇気
「ひゃぁあっ!!」
メアリーは目覚めるなり、恥ずかしさに身悶えした。
昨日の醜態を思い出したからだ。
セドリックにがっしりしっかりしがみついて、なんなら吸い付いていた。
何より恥ずかしいのは、セドリックが正気だったことだ。落ち着いて、発情しているメアリーをあやしていた。
メアリーは変態だ! 痴女だ!
――セドリックさま、忘れてくれないかな……
涙目で儚い希望を抱いていたとき、家の中をガタガタと駆け出す足音が響いた。
「メアリー、目が覚めたのか!?」
兄のトマスと義姉のサラが、飛び込むようにメアリーの部屋に入ってきた。
「はい……」
「お前がリヴァーデン家に向かったって聞いた時は、どれほど心配したか……」
二人とも憔悴していた。
――昨日、セドリックに抱えられたメアリーを見た時も、兄夫婦は取り乱していた。
後から聞いた話だけれど、リヴァーデン家にメアリーを迎えに行こうとしていたらしい。
セドリックはお茶会で体調を崩したことを説明し、メアリーを抱えて部屋に運んだ。
メアリーが落ち着くまで、ずっと側にいてくれた。
手を握りしめて、メアリーは安心して眠りについた。
――セドリックさまにも、家族にも心配をかけてしまった……
「ごめんなさ……」
「リヴァーデンは小公爵様の婚約者の家だ。我が家とは接点なんてなかった。メアリーを巻き込まれては困る」
謝罪も言い終えないうちに、トマスが苦々しく言った。サラも顔を曇らせた。
「違うの。セドリックさまのせいじゃない、わたしが」
「メアリーはまだ子どもだ。大人が守ってやらないといけないんだ。こんな目に遭わせて……」
セドリックは守ってくれた。
メアリーはサイドテーブルに置かれた銀の小匣を掴んだ。
忘れたのはメアリーだ。
メアリーが頼りないから、セドリックの評判を落としてしまう。メアリーが、少しもしっかりしていないから。
*
登校日、セドリックがアシュフォード邸に迎えに来た。
送り出すトマスとサラは、失礼な態度こそ取らなかったものの、いい顔はしなかった。
セドリックはそんな兄夫婦の様子に気づいていただろうに、少しも嫌な顔はしない。丁寧に挨拶をして、メアリーを馬車に乗せた。
「メアリー、体調はどう?」
セドリックは、まずメアリーを気遣った。
「大丈夫、です……」
メアリーはポケットを外から確認する。銀の小匣はきちんと入っている。
「いつも側にいられたら良いんだけれど。これから公務で登校できない日が増える。その時は従者を遣わせるから」
「はい……」
「事前に予定が分かれば、なるべく連絡する」
セドリックは穏やかに淡々と連絡事項を伝えてくれた。
実のところ、メアリーはセドリックに会うのが気まずかった。あんな痴態を晒してしまったから。
セドリックはどう思っているのか、話題にさえしない。
それはそれで、メアリーがどう受け止めたら良いのかわからない。かといって、あの日のメアリーヤバかったですか?――なんて聞けようもなく。
メアリーが悶々としていると、セドリックが口火を切った。
「それと、リヴァーデン家についてだけれど」
メアリーはハッと引き締まる。
「セドリックさま、ごめんなさい」
「え? 何が」
セドリックは心底驚いていた。
「わたし、ロザリーさんの誘いを上手く断れなくて……。慌てて出たからお薬も、忘れてしまって……。ご迷惑をおかけしました……」
「メアリー」
俯くメアリーを、セドリックは屈んで向き合った。
「君を危険な目に遭わせて、謝るべきは俺の方だ。怖い目に遭わせてごめん」
セドリックの悲痛そうな表情に、メアリーは焦燥感が募る。
「ロザリーさん――リヴァーデン家に近づかない方が良いんですよね?」
「……避けて逃れられるわけじゃない。でも率先して近づかないで欲しいかな」
セドリックは安心させるかのように、静かに微笑んだ。
「メアリーは、そのままで良いよ。俺が必ず守るから」
「セドリックさま……」
セドリックはメアリーを責めなかった。
叱りもしなかった。
メアリーの胸は堪らなく苦しい。
『運命の番』なのに、セドリックの力になれない――
*
セドリックは話した通り学校に来たり、来なかったりだった。
朝は迎えに来ても、帰りにはいなかったりする。その逆もある。どのくらい忙しいかと言うと、未だにセドリックと一緒にランチを食べたことがないくらいに。
そんな日が何日か続いた。
学園生活は思ったより平穏だった。少し居心地は悪く、敬遠されてはいるけれど、実害はない。
なんとなく、セドリックから学校を休んで欲しい空気は感じ取った。
不登校なんて、トマスもサラも心配してしまうだろう。
何より、メアリーの至らなさで、セドリックがこれ以上悪く思われるのは嫌だった。
正午の鐘が鳴る。
メアリーは変わらず礼拝堂の片隅で一人ランチを続けている。終わりの授業が移動教室だったため、食堂へ向かうクラスメイト達と、望まなくても道を同じくしていた。その中にはロザリーと、そのグループもいた。
「ねえ、あの人」
グループの女の子が、少し離れた場所にいるヒューバートを見つけた。
「この前のお茶会でメアリーさんを連れ出した人よ」
「招待客じゃなかったんでしょう? ロザリーさん」
「え、ええ」
メアリーは自分の名を出されて、つい耳を澄ませてしまう。
「別の人の招待状を持って入ったんですって!」
「騎士科の平民特待生みたいよ」
「まあ! 平民のすることは野卑で怖いわね」
……メアリーは居た堪れない。
ヒューバートはメアリー――友達のセドリックのために、メアリーを助けにきてくれたに違いない。
それなのに、ヒューバートが責められるなんて。
メアリーのせいで……!
「どうして王立学園に平民が通うのかしら」
「平民と一緒なんて嫌だわ」
「それはっ」
メアリーは咄嗟に声が出た。
女の子たちは後ろを振り返り、メアリーを怪訝そうに見る。
「……失礼だと思います。学内は身分関係なく平等な学舎です」
メアリーは言わずにいられなかった。
普段なら、友達に反論するようなことはしない。多少意地悪なことを言われても、言葉を濁す程度だ。
でも、見過ごせない――
グループの女の子たちも、メアリーの性格を分かっている。
一瞬眉を上げた後、ねっとりと笑みを浮かべた。
「まぁ。セドリック様の送迎を受けているメアリーさんが、平等の話をされるなんて」
「学園の特別区はどんなところかしら」
「平等に平民感覚をお持ちだから、人前で横抱きなんてはしたない真似ができるのかしら? ねえ、ロザリーさん」
ロザリーの同調を求めたが、ロザリーは黙って顔を赤くした。
メアリーも、過分な扱いを受けている自覚があり、何も言い返せない……。
「セドリック様もセドリック様ね。ロザリーさんという婚約者がいながら、他の女性を囲われるなんて。まして、他の男性にも誘いをかける令嬢よ?」
「!!!」
思ってもいないことを言われて、メアリーは仰天した。
見ていられなかったようだ。ヒューバートがメアリーの元へやってきた。
「お前、大丈夫?」
「ヒューバートさま……」
「ひっ……!」
背が高く、鍛えあげられた体格を持つヒューバートが近くに来ると、さすがの女の子たちも萎縮した。
ヒューバートは女の子の甲高い噂話が聞こえていただろうに、少しも気にしていないようだった。
ヒューバートを助ける――なんて烏滸がましい考えはなかったけれど、何もできない上に却って心配までさせてしまった。
メアリーは……情けない。
ロザリーは逸らした視線の先に気づき、場を収めた。
「……淑女らしくありませんでしたわね、失礼いたしました」
「ロザリーさんっ?」
ロザリーが引いたことに女の子たちは狼狽えた。
ロザリーは他に何も見えてないように、恋する声を上げる。
「セドリック様……」
メアリーはバッと振り返る。
今日は休みの予定だった、セドリックがいた。
「久しぶり、ロザリー嬢。お茶会以来かな」
「ええ。セドリック様、父が会いたがっていました」
「ああ。リヴァーデン伯爵には先日、王宮で会った。予定を合わせて会談するつもりだ。大事な話があるからね」
周囲の空気がやわらいだ。ロザリーこそ正統な婚約者なのだと、誰もが安心したようだった。
この場にメアリーは、邪魔者でしかない。
婚約破談すると言っていたけれど、むしろ結婚の算段が整いつつあるのでは?
女の子たちも察してか、セドリックに一言言わずにはいられなかったようだ。
「セドリック様、あまりロザリーさんを尊重されないのはどうかと思いますわ。お茶会で他の女性と帰られるなんて」
冷ややかな視線が、メアリーを突き刺す。
セドリックはメアリーを見ることもなく、返答した。
「お互いさまだろう、ロザリー嬢? デビュタント前の令嬢のお茶会に、安易に男性を呼ぶなんて、なかなか先鋭的だな。その後で騒ぎがあったとか?」
「……!」
ロザリーの瞳が揺れ、姿勢が固まる。
女の子たちはセドリックのいう『騒ぎ』がわからない様子だった。
「あまり良くない噂を聞く令息ばかりだ。付き合う相手は選んだ方が良い。俺の婚約者として、相応しいのかどうかも含めて」
「肝に銘じます……」
セドリックはロザリーの後ろ、ロザリーの侍女たちを軽く一瞥した。
話は終わりだとばかりに、メアリーに向き直る。
「メアリー、昼はまだだろ? 特別区に用意したんだ。一緒に食べよう」
「え?」
「ヒューバート、お前も来てくれ」
ヒューバートは退屈そうに肩をすくめながら、受けた。
「メアリーも、いいね?」
「は、はい……」
ヒューバートと一緒なら何か話があるのかもしれない。
セドリックがエスコートに手を差し出した。
女の子たちの睨みつけるような視線が重苦しい。
メアリーは後ろを振り返らなかった。
見ても、良いものではないことを分かっていたから。




