謀略
はぁはぁ。
メアリーはぼんやりとする意識、たまにコクリコクリしながら、発情の兆しに耐えた。
ロザリーの口からセドリックの名が何度も紡がれる。
わたしの、セドリックさまなのに、わたしの――
カクッと軽く崩れて、意識を取り戻す。
今、何を考えていたんだろう。ハンカチーフで汗を拭う。
「メアリーさんは」
誰かがメアリーに声をかける。
「デビュタントはどうされるの?」
みんなの視線が一斉に注がれる。
メアリーは、首を傾げた。
「ドレスのことよ」と、ため息混じりに返された。
「わたしは……母のお下がりを、お直しする予定です」
「なんてこと! お母様の思い出のお品を活用されるのね。パートナーは誰かしら」
「……タウンハウスを、仕切っている……兄になるかと思います」
周囲に失笑が広がる。何かおかしなことを言っただろうか?
メアリーはお茶を飲もうとするも、ティーカップを持つ手が震えてままならない。
近くにいたメイドに声をかけた。
「あの、化粧室を利用させてください」
メイドはロザリーに確認して、許可を得た。
「どうぞ、こちらへ」
背中越しにヒソヒソと笑い声が伝わる。まとわりつくような視線も。
庭園を離れて、廊下へ。その先の応接室に通された。
中は優雅なインテリアで美しく、隣に化粧室が備えられていた。手を濡らすと冷んやりして、少しだけ楽になれた。
抗発情薬はやはりポケットに入っていない。
メアリーは迎えの馬車が来るまでどうしようか悩んだ。
お茶会の席に戻るのは心苦しい。ここで時間を潰そうか、そんなことを考えていた。
ザワザワ
人の声がする。テラスを覗くと、席にいたはずの男性たちがいた。あのロザリーの侍女が、意味深な笑みを浮かべて退いた。
「おや? メアリー嬢だ」
「あの、噂の令嬢ね」
向こうはメアリーを知っているようだが、メアリーは彼らを知らない。
トクントクン
「男好きだって」
「噂通りだな」
「誘ってる顔だ」
ニタニタ笑いながら、距離を詰めてきた。
匂いも、声も、全て気分が悪い。
心臓が喉元まで強く跳ね、指先からハンカチーフが滑り落ちる。
「あっ、来ないで……」
後ろに退がるも、足がもつれて躓いた。
ソファに身が沈む。
*
ガタンという大きな音で、メアリーは意識を取り戻す。少しの間、気を失っていたようだ。
「……!」
辺りを見回すと、さっきの男性たちが倒れていた。目立つような外傷はなく、気絶している……?
「メアリー様、ご無事ですか?」
「えっ」
メアリーのすぐ側で、黒い衣装を纏った見知らぬ男性が跪いていた。
突然のことで驚いたけれど、その声色は優しい。
「私はセドリック様の護衛役です。目に付かぬところで警護をしていましたが、緊急事態と判断して御前失礼いたします」
セドリックの……。メアリーの護衛は王国騎士団だけではなかったようだ。張り詰めていた息が、わずかに和らぐ。
その時、見知った低い声が聞こえた。
「おいおい、何だこれは」
ヒューバートだ。ぼやきながら室内に入ってきて、メアリーを見とめる。
ヒューバートもお茶会に参加していたの……?
「ヒューバートさまっ……」
「『様』はいらねって言っただろ」
ヒューバートは軽口を叩きながら、護衛役を見る。
「セドリックの使いだろ。彼女は俺がアシュフォード邸に連れて行く」
「――ヒューバート殿、しかし」
「お前はこいつら何とかしとけよ。これでも貴族令息だぞ、どうすんだ」
セドリックの護衛は何かを言いかけたが、ヒューバートの背後の何かを察して、ヒューバートに託すことを了承した。
「お前、歩ける?」
「あっ……はいっ」
と言ったものの、よろけて護衛役に支えられた。ヒューバートの舌打ちが聞こえる。
ヒューバートは上着を脱いで、メアリーに被せた。
そのままヒューバートに横抱きにされ、その場を離れた。
朦朧とする意識の中、上着が少しずれて視界が広がる。庭園のお茶会が見えた。
歓声が沸き立つ。
「セドリック様っ!」
セドリックが従者や騎士を引き連れて登場した。
ロザリーは満面の笑みで迎え入れ、女の子たちは立ち上がって礼賛する。
「ロザリー嬢がお茶会を開くと聞いて来たんだ。招待状は持ってないけれど、良いかな?」
「もちろんです! セドリック様ならいつでも歓迎です」
セドリックは言質を得て、堂々と歩を進めた。
「あ、セドリック様、こちらへ……?」
席には着かずに、その先へ。ヒューバートに抱えられた、メアリーの前に。
会場にいる女の子達の視線も集まる。
「またメアリーさんねっ」
「あの男性、誰? 怖いわ」
「セドリック様だけに飽き足らず……!」
周囲の騒がしさとは裏腹に、セドリックとヒューバートの間は静謐だ。
メアリーは愛しい人の匂いを近くに感じて、むずがる。ヒューバートの上着が落ちた。
「メアリーっ」
セドリックが急いで自身の上着を脱いでメアリーに被せ、ヒューバートからメアリーを慎重に受け取る。
セドリックはメアリーの無事を確認して表情が緩む。
「……何やってんだよ、セドリック」
「助かった、ヒュー。ありがとう」
「いや、俺は連れ出しただけなんだが。お前の護衛が後始末してるぞ」
セドリックとヒューバートは親密そうに何かを話している。メアリーはようやくたどり着いた愛しい人の匂いに夢中で、その胸に頭を擦り付ける。
「メアリー、少しだけ我慢して」
セドリックはメアリーにだけ聞こえるように、そっと耳元で囁いた。我慢なんてできない。ぎゅっとセドリックのシャツを握り締めて、反抗の意を示す。セドリックから困ったような笑みが溢れた。
セドリックはメアリーを抱きかかえたまま、出口に向かう。ロザリーが慌てて呼び止める。
「セドリック様っ」
「――そうだ、ロザリー嬢。お茶会の挨拶に花を持って来たんだ」
セドリックが専属従者のコリンに視線を向ける。
コリンは全てを察して、「ランカスター小公爵より、本日のお茶会への敬意として」と言い添え、ロザリーの前に花束を直接差し出した。
グリーンリーフが多めに入った白薔薇の花束――白薔薇はアルビオン王国の国花だ。
「席に与れず、失礼。俺の『特別』が体調を崩した。ロザリー嬢のお茶会、でね」
セドリックは愛しげにメアリーを抱き直して、リヴァーデン邸を後にした。
*
馬車の中、セドリックは控えで持っていたメアリー用の『抗発情薬』を飲ませた。
薬の効果が出るのは早くて三十分ほどだ。
メアリーは熱を必死に慰めようと、セドリックに縋り付く。
横抱きにされていたが、魅惑的な匂いを求めてセドリックに登り上がる勢いだ。セドリックの首筋にぴたりとはまった。
セドリックはメアリーの背中をぽんぽんと優しくさする。
「大丈夫、メアリー。すぐに楽になるから」
セドリックが側にいてくれると、メアリーは何も辛くなかった。
馬車の恐怖も、社交界の悪意も、抗えない熱も、何もかもすべて、全部。
セドリックがいれば、それだけで――
夢みたいなひとときだったから、まだ知らない。
メアリーのミスが、何を代償にしてしまったのかを。




