形だけの婚約者(セドリックside)
メアリーを特別区に残してきた。
発情の余韻はすでに収束したけれど、後ろ髪を引かれる思いだ。それでも足を向けなければならない。
セドリックは、学園ホール近くの応接室に向かった。普段は閉鎖されているが必要に応じて生徒の使用が許可されている。
ロザリーとの話し合いに指定した。
礼儀的に軽くノックをして、返事も待たずに入室する。
ロザリーと侍女たちは一瞬固まったが、すぐに礼をした。
「セドリック様、お待ちしてました」
ソファのローテーブルには茶器や軽食が整えられている。歓談でもするつもりだったのだろうか。
セドリックは反対の壁際にある小さな執務机の前に立った。
「セドリック様、お食事を用意しましたのでぜひ座ってくださいな」
「リヴァーデン伯爵から婚約破談の話は聞いていないのか?」
セドリックはロザリーの思惑を潰し、用件を告げた。
ロザリーが渋々場所を移動してセドリックの前に立つ。
「わたくしに至らない点があれば改善します。どうか考え直してください」
セドリックは軽く息をつく。
「破談の申し立てにも書いたが、ロザリー嬢に問題がある訳じゃない。俺の都合だ。何と言われても変更はない」
「……っメアリ――アシュフォード伯爵令嬢に出会ったからですか?」
結局、そう受け取られてもおかしくなかった。
彼女を巻き込みたくなんてないのに。
「今ならランカスター家の非で処理できる。慰謝料と、君の予後にも配慮する」
「わたくしは受け入れられません」
「そうか。しかし、婚姻は君の気持ちで成立するものではない」
ロザリーは予想外に粘ってきた。だから嫌だったんだと、心の中で毒づく。アーサーの命令とはいえ、若い女性を利用するなんて。
――もっとも、セドリック自身にも考えがあって受け入れたのだが。
セドリックはもう一件の重要事項を切り出した。
「……従者から話は聞いた。学生である貴族令嬢に他家の使用人が詰ったと。重大な学内の規約違反だ」
ロザリーと侍女たちの顔がたちまち青ざめる。
「一応聞くが、申し開きはあるか? 立場を弁えろ? 誑かした? だって?」
メアリーに暴言を吐いたなんて腹立たしいが、セドリックは冷静に対処した。
「申し訳ございません。私達はロザリー様を思う余り行き過ぎた振る舞いをしてしまいました」
「私達が勝手にしたことです。どうかロザリー様を責めないでくださいませ」
侍女達が跪いて謝罪した。ロザリーの関与は立証できない。
「二度目はない。話は終わりだ」
「セドリック様っ」
セドリックは縋るロザリーを無視して部屋を出ようとしたところ、恰幅の良い男と鉢合わせた。
「やあやあセドリック殿下、ご機嫌麗しゅう」
「叔父様!」
「……サイラス卿」
リヴァーデン伯爵の弟、王都の大商会を運営するサイラス・リヴァーデン――
アーサーとセドリックが狙う捕物の一人だ。
「話し合いは上手くいったか、ロザリー? 結婚前は誰しも気が迷うものだよ。セドリック殿下も若い男だ。ロザリーは真面目な淑女ですからな、アハハ」
下卑た笑いを浮かべるサイラスに、嫌悪感を表に出さないよう耐えた。
サイラスの張りのある声が、部屋にも廊下にも響き渡る。
「しかし、セドリック殿下のお力添えになれるのは、我らリヴァーデン家ですぞ。殿下、ちょうど港に仕入れが入るんです。ぜひご覧ください。リヴァーデンが必要だと、はっきり分かりますぞ」
……サイラスの声が遠くなる。
ここにいない、メアリーの姿が過ぎる。
本当は、今日はメアリーとゆっくり時間をとりたかった。まだ出会って間もないのに、メアリーに辛い思いばかりさせている。
全て解決するには、為すべきことを為すしかない。
瞼をゆっくり閉じて、見開く。
セドリックは社交モードに切り替わる。
「――それは、興味があるな」
サイラスが満足気に笑う。
「ははっ! そうでしょう! 馬車を用意します。ロザリー、お前も来なさい」
「……! はい、叔父様!」
顔色を暗くしていたロザリーは、パッと紅潮した。期待を隠し切れない眼差しが、セドリックに向けられる。
セドリックは学園付きの従僕を呼び止め、専属従者コリンへの手紙を託した。念のため、暗号文を忍ばせて。
――サイラスは今年から王立学園の後援会に就任した。どこに手の者が潜んでいるかわからない。
*
リヴァーデン領は王都から馬車で約半日かかる。
セドリックは馬車の上座中央をあえて陣取った。誰も側に寄せ付けないように。
向かいにサイラスとロザリー、侍女二人。
窮屈そうだが、気に留めない。
サイラスは終始、リヴァーデンや商会の自慢話を、ロザリーもたまに混じりながら一方的に喋っていた。
いい加減退屈で、しかしどこで口を滑らせるかもしれない。聞き逃さないよう耳を傾ける。
中継ぎの宿場町に到着した。
馬を休ませるため、手配に回っていたサイラスが戻ってきた。
「セドリック殿下。大変お伝え辛いのですが、馬車に不備が見つかりまして」
悪巧みを隠しきれない困り顔をしたサイラスは、手を擦り合わせながら提案した。
「旅籠はご用意いたしました。町一番の部屋です。日も暮れてきますし、今日はここで泊まりましょう。ロザリー、ご案内なさい」
「はい、叔父様」
ロザリーはセドリックをチラリと見上げ、すぐに顔を伏せた。
思ったより下衆な手口を使ってきた。
セドリックは胸から懐中時計を取り出す。
一番安全な方法を取ることにした。
――そろそろだな
街がざわつき始めた。
「ん? あれは」
王都につながる街道から、砂煙が立つ。
次の瞬間、地面を鳴らす重い蹄の音が、体を揺らすように響き渡る。
ドドドド――
旅人や商人が、恐れるように道の端へ退く。
武装した騎馬の一団が、宿場町に到着した。厳かな出立ちは、田舎町に不釣り合いだ。
先頭の騎馬がセドリックを見つけると、馬から飛び降りた。
その場で跪く。
「セドリック殿下、お待たせいたしました。これより我々が殿下に同行いたします」
王国騎士団だ。
使いに出した手紙をアーサーは正しく読み取り、速やかに手配してくれた。
「騎士団なんて、物騒な……。セドリック殿下はリヴァーデン家の護衛がしっかりお守りしますよ」
「王太子殿下のご命令です」
「こんな大所帯、領主館に部屋が足りるかどうか……」
サイラスは噛みついた。
確かに側衛だけでこの人数なら、一小隊を寄越したんじゃないか……。数人で良かったのだが。
派手好きなアーサーらしい。
「ご心配なく。野営の用意もできていますし、セドリック殿下が休める館も押さえてあります」
小隊長の言葉にサイラスはおろか、ロザリーも驚く。
「何を言う! せっかく殿下がリヴァーデン領に来ていただくんだ。リヴァーデン家がもてなしますぞ」
「殿下の身の安全のためです。ご理解頂きたく」
小隊長は言葉を切り、会話を終わらせた。
「ふぅ、全く。リヴァーデン家がまるで治安が悪いかのようじゃないか」
「叔父様!」
「……失礼、殿下。ですが、あんまりです! 領主権の侵害に当たりませんかね」
思い通りにいかなかったからか、サイラスはセドリックの前でも不機嫌を隠しきれない。ロザリーが慌てて取りなした。
ロザリーとロザリーの父であるリヴァーデン伯爵は貴族らしい品のある性質だが、サイラスはいささか短慮なきらいがある。
騎士団に詮索されるのではないかと、恐れているのだろう。
だからセドリックは、もっともらしい言い分を付け足すだけだ。
「王太子暗殺未遂事件を忘れるな。現在、王太子であるアーサー殿下は未婚で後継者がおられない。必然と俺の身の保全を慎重に手配してくださっている」
ピリッと空気が固まった。
王太子暗殺未遂事件――国家を揺るがす大事件だった――
「そんな昔の話……」
「八年前だ。殿下こそ無傷で済んだが、護衛騎士は重軽傷を負い、再起が絶たれた者もいる」
「……首謀者も断罪されたでしょうに、こんな数の騎士団なんて」
サイラスはしつこく食い下がる。
よほど領地に騎士を入れたくないのだろう。
セドリックは笑ってしまいそうになるのを抑えて、不機嫌を装った。
「俺の身がどうなっても良いと?」
「そんな! 滅相もございません! ……ただ、リヴァーデン家では、うちの領地では、そんなこと絶対に起こり得ませんよ」
そうだろうな――
リヴァーデン家にとって、王弟の嫡男であるセドリックとの縁談は、栄華そのものだ。
……破談を持ちかけると、露骨に焦りを見せるほど。
メアリーを利用なんてしたくないのに。
全てアーサーの盤上の駒のように思えた。
セドリックは、サイラスにさらなる焦りを誘う。
「小隊長、馬を貸してくれ。リヴァーデン領に行く」
「はっ」
サイラスとロザリーが慌てふためいた。
「セドリック殿下、もうじき日が暮れますぞ」
「危険です、セドリック様っ」
「――だ、そうだ。行けるか?」
「日が沈むまであと三時間、問題ありません」
セドリックは馬に飛び乗り、手綱を引いた。
騎士たちもすぐに配置に付く。
「サイラス卿らは、馬車が壊れたらしい。騎士団を幾人置いていこうか? リヴァーデンの護衛がいるから不要か。俺は先に向かうが、ゆっくり来るといい」
傾きかけた陽を浴びて、セドリックは馬を走らせる。
思い浮かぶのは、メアリーの顔ばかりだった。




