王太子殿下
見上げることはあっても、辿り着くことはない。
メアリーにとって王宮は雲の上のような存在だ。
馬車が止まり、重い門が開かれる。
嗅ぎ慣れぬ匂いと、重厚感のある音。王宮が現実になった。
「殿下はすでに『運命の番』を知られているんだ」
セドリックは道中、事情を話してくれた。
緊張で固くなったメアリーを、優しく気遣う。
「一度会っておきたいと言われたんだ。私的なものだから、そんな畏まらなくていいよ」
「はぁ」
「ごめん、メアリー。変なものに付き合わせてしまって……」
それはセドリックのせいではない。王太子命令なら仕方がないじゃない。
セドリックが第三位の継承権者である以上、メアリーの存在は私事では済まないのだ。
通用口と思しき場所は大きくはないが、厳戒態勢だった。
「セドリック殿下」
近衛がセドリックに礼をし、メアリーを一瞥した。
「王太子殿下の召喚だ。同席する」
「かしこまりました」
控え室で、セドリックは慣れた動作で帯剣を預ける。
メアリーには、手袋をはめながら女官が機械的に近づいてきた。思わずたじろいでしまう。
「触れるな」
セドリックがメアリーを守るように囲い込む。
「セドリック殿下、規則ですので」
「形式は理解している。だが彼女は未成年だ。配慮してくれ」
身体検査を求められている。メアリーが必要以上に怖がってしまったせいで剣呑な雰囲気になってしまった。
女官は困り顔で譲歩した。
「ポケットの中だけでも……」
ポケットの中にはハンカチーフと、セドリックに貰った『抗発情薬』が入った銀の小匣だけだ。
ささっと取り出す。
女官はセドリックの視線を受けながら、丁重に改める。銀の小匣を開けて閉じた。
「問題ございません」
返してもらって道が開いた。
王宮の従者が案内してくれる。
セドリックはメアリーと手を繋いだ。
「大丈夫? メアリー」
「は、はい……」
廊下のところどころに屈強な衛兵が立っている。仕事だとわかっていても、ジロリと見られると身がすくむ。
「セドリック殿下が参られました」
扉の前の近衛が槍で合図を送り、王太子の執務室が開かれた。
室内は広く、採光が良くて明るい。豪奢な調度品はいっそう輝いて見えた。セドリックが主人の前に進み出た。
「王太子殿下、アシュフォード伯爵令嬢を連れてきました」
「やぁ、よく来たね」
王太子の視線がメアリーを捉える。緊張のあまり王族に対する礼を忘れかけた、その瞬間。
「出てけ」
冗談でも言うような口調でアーサーは命令を下した。ガタッと執務室に控えていた補佐官や侍従などが一斉に退室した。
「セドリックも出てって良いんだよ」
「まさか。二人きりにするわけないだろう」
セドリックが握っていたメアリーの手を、ぎゅっとする。「大丈夫」と言っているみたいに。
視線が交差し、とうとう王太子が吹き出した。
「ハハハ、なるほどね。『運命の番』か。想像以上だな」
トクン
『運命の番』という言葉が、メアリーの心臓に刃を立てる。
「改めて、アシュフォード嬢。私がアーサーだ」
おずおずと王太子アーサーと向き合う。
セドリックの従兄でもあるアーサーはどこか顔立ちが似ている。けれど印象は全く異なる。
セドリックより色素の薄いプラチナブロンドは顎のラインで切り揃えていて、中世的な雰囲気を帯びていた。宝石めいたブリストルブルーの瞳は、鮮やか過ぎて無機質な冷たさを感じる。
性別も有機的な温もりも超越した美しさは、まるで神の化身のようだった。
信仰国アルビオン王国王太子殿下――
「メアリー・アシュフォード……伯爵令嬢です、殿下。お目通りいたします」
空いた片方の手でスカートの端を掴み、結局軽くお辞儀をするしかできない。
メアリーの不安とは裏腹に、アーサーは意に介さなかったようだ。
「可愛い娘じゃないか。他の男から釣書が届くのも頷ける。まだ他にも届くんじゃないかな。どうする? セドリックは執心だが、君が他を望むなら手伝ってやろう」
「アーサーっ」
セドリックが凄む。
クスクスとアーサーは笑いだす。
「選択肢があったって良いだろう。『番』だから、管理下には置くがね」
「え」
アーサーの冷た過ぎるほど美しい瞳がキラっと光る。
「邸の騎士団に不備はないかな? アシュフォード家のタウンハウスに在住しているのは嫡男トマス、その妻サラ、メアリー嬢、メイドに御者兼従者。家内警備を考えると女性を入れたいところだが、生憎基準を満たす女騎士はいなくてね」
メアリーは数日前から配属された騎士団を思い出す。兄のトマスの出仕のため――そう思い込んでいた。
全ては王家の意思だったのだ。
「セドリックの『運命の番』であるメアリー嬢は、とにかく安全で健康でいて貰えたらそれで十分だ。セドリックは国家の要人だ。瑣末なことで失うわけにはいかない」
「アーサー、不用意なことは言わないでくれ」
「……それと、サイラスが動いたぞ」
繋いだセドリックの手から緊張が伝わる。
「リヴァーデン領の湾口倉庫だ。君の方が危険かもしれないな」
コンコン
扉が小さく叩かれた。
「殿下、寵姫様の身支度が整いました」
アーサーは笑みを深めた。
「話は終わりだ。帰ってよい」
メアリーはホッとした。
「くくっ。メアリー嬢は顔にすぐ出るね。これから大事な用があるんだ。たまには寵姫を日に当てないとね。寵姫って知ってる? 君にはまだ早いかな?」
「失礼します! 行こう、メアリー」
セドリックが急いで退出する。
メアリーの手を繋ぐどころか、抱き上げるように。
「殿下は高貴な人だが、――頭がおかしい」
「は……ふぇ?!」
「気にしないで、メアリー」
驚いて見上げると、セドリックは少し顔を赤らめ苦い顔をしていた。
「……少し寄り道をしていこう。君に話したいことがあるんだ」
「はい」
先導していた従者は慌てて声をかけようとした。
セドリックの足がひたりと止まる。どうしたのかと伺うと、前方をじっと見据えていた。
シャランシャラン
小さな鈴の音が規則的に聴こえる。金銀色とりどりの美しく厳かな衣装を纏った女性が、侍従や騎士を伴いゆっくりと歩いていた。
「しまった……、彼女の通り道だったか」
小さくセドリックが呟く。道案内をしていた王宮の従者が静かに平伏した。
「メアリー」
道を変えようとセドリックが提案する前に、前方の女性がこちらに気づいた。
メアリーはドキリとした。
透明感のある白い肌には妖艶な化粧が施され、女性にしては背が高く、細い首筋からは華奢さが伝わる。
表情のない顔は、まるで人形のようだ。
それがいっそう彼女の美しさを際立たせていた。
「きれい……」
思わず言葉がこぼれ落ちた。
女性が道を空けようと、そっと端に寄る。しかしドレスは床に長く伸びて大きく、上手くいかない。
美しい姿勢のまま、頭を下げようとするも少しぎこちない。
「よい、セレナ。そのままで。俺たちは行ってしまうから」
セドリックの言葉を受けるように、セレナは浅いなりにゆっくりと頭を下げた。まるでそれ以上、体を動かせないみたいに。
セドリックは静かに先を急いだ。メアリーは、どうしてかセレナから目が離せない。
綺麗だから?
美しいから?
それとも不自由な体を憐んでいるの――?
「メアリー、行こう」
セドリックが困ったような顔を浮かべながら、優しくメアリーに声をかけた。
不躾に見過ぎていたようだ。謝罪の意味で軽く頷いて、連れ立つ。
遠くで再び鈴の音が聴こえた。
庭園に出ると、空気が少しだけ軽くなった。
緊張から解放されて、さっきの光景にひらめきを得た。
「あっ」
「どうしたの? メアリー」
セドリックはいつもの穏やかな声色なのに、どこか憂いを帯びている。
「さっきの女性、殿下の好きなお相手なんですね?」
まるで恋バナのように弾んだ声が出てしまったのは仕方ない。
セドリックは虚を突かれたように目を丸くし、すぐに苦笑いを浮かべた。
「メアリー、そんなロマンチックなものじゃないよ」
恋人ではないの?
首を傾げるメアリーに、セドリックは「どのみち噂は耳に入るだろうから」と説明してくれた。
「殿下の『特別な女性』であるのは確かだよ。ただ、愛というか、執着というか……」
セドリックにしては珍しく言い淀む。
「あんなことしてはいけない」
セドリックは遠くを見やる。さっきまでいた王太子の執務室の方だ。きっとアーサーとセレナは合流している。
ザワザワと草花が風に揺れて不穏な音を立てる。
そのとき、ようやく気づいた。
アーサーとセレナは決して結ばれない関係なのだと。
「殿下は、少々気が狂ってる……。けど、最近思うんだ。そうならざるを得ない、止められない衝動があることを」
セドリックはいつになく、真剣な眼差しでメアリーを見つめた。
「メアリー、俺は君を大切にしたいんだ」
トクン
メアリーの胸がこそばゆく疼く。
「でも、少しも上手くいかない……」
漏らした言葉は、メアリーに聞かせるつもりはなかったようだ。セドリックは軽く首を振り、メアリーの手を取り目の前に跪いた。
「メアリー、釣書の件は君の意思を尊重するよ」
「……!」
「ただ、君の警護は俺の――王家の管轄とする。不自由をかけるけど、ごめん」
聴こえるはずのない鈴の音が、聴こえた気がした。
*
セドリックの馬車に揺られ、アシュフォード邸に着いた。
門を守る騎士団が、鎧を鳴らしながらいつもと違う深い敬礼をする。
セドリックに向けて。
「よろしく頼む」
「はっ」
強い夕日が差し込んで、長い影を落とす。
「また迎えに来るよ」
扉が閉まるまで、メアリーは目を逸らせなかった。
何がしたいのか、
何をして欲しいのか――
もうわからなかった。
屋敷に入ると、義姉のサラが出迎えた。
「……あなた宛にお手紙が届いているわよ」
サラの表情がいつもより硬い。メアリーは渡された手紙の差出人を見て、手が震えた。
「ロザリー、さん」
リヴァーデン家から、お茶会の招待状だった。




