まさかのモテ期到来
セドリックに会えないまま二日が過ぎた。
その間メアリーは毎日、セドリックの従者に送迎してもらっている。何度か断ろうとしたが、却って傅かれてしまい心苦しい。
兄トマスの出仕が決まり、馬車が足りていない台所事情もあって、結局頼っている。
セドリックに会えないだけでなく、婚約者のロザリーも登校していない。二人は一緒にいるんだと思うと、胸が抉られるように痛い。
クラスにも馴染めず、昼食は一人で摂るようになった。
以前は友人と食堂に行っていたが、セドリックの従者が昼食を用意してくれた。特別区に連れられそうになるも固辞して、ランチボックスに詰めて礼拝堂の脇の木陰で食べている。
実はその礼拝堂で、ヒューバートと何度か顔を合わせた。会話はない。
サンドウィッチを頬張っているところを見られて、思いっきり呆れた顔をされた……。
こんな日陰でランチを食べる令嬢なんて、見たことがないのかもしれない。
何事もなく学校から帰ると、トマスに呼び出された。
「メアリー、喜べ! お前宛に釣書が来たぞ!」
「え?」
一瞬、セドリックの顔が過ったが、彼であるはずがない。
「子爵家の嫡男だ。家格は下がるが、ウチが用意できる持参金の額を考えたら妥当なところだ。実のところ、爵位を継げない次男三男との婚姻になるだろうと考えていたから」
兄が机越しからメアリーに釣書を渡す。
そこにはメアリーの知った名前があった。
「ハートウェル子爵家の領地は王都から離れている。ウチからも遠いのが少し気がかりだが、本人の人柄が良ければ申し分ない縁談だ。年齢も釣り合う」
ニコラス・ハートウェル――
釣書を持つ手が震える。
「王立学園の騎士科に在籍しているらしい。会ったことがあるのか?」
「学校で少し、お話ししました……」
「そうか、良さげな人か?」
「……はい、とてもいい人です」
メアリーに気さくに話してくれた、穏やかで優しそうな人だった。
「見染められたか? メアリーのモテ期が急に来たようだな」
「…………」
トマスが揶揄うように盛り上げてみるも、メアリーは無反応のため、重い空気が落ちる。
わざとらしい咳払いをして、トマスは核心に触れた。
「ランカスター小公爵様はメアリーとの結婚を希望されたが、現状まだリヴァーデン伯爵令嬢と婚約中だ。破談されても、我が家とは到底釣り合わない。……兄としてはメアリーの気持ちを尊重する。ゆっくり考えてみなさい」
「はい、お兄さま」
執務室を出て、メアリーは崩れ落ちないように必死に耐えた。
兄が――アシュフォード家が、ニコラスとの婚姻を望んでいることは、ひしひしと伝わる。
それが最良の選択であることも。
セドリックに出会う前だったら、この縁談をどれほど喜ばしく思っていただろう。
なのに、苦しくて苦しくて堪らない。涙が溢れ出し嗚咽が漏れる。
運命は残酷だ。メアリーからささやかな幸せをも奪っていく――。
*
週の登校最終日。複雑な思いを抱えつつも、今日が終われば休みがある。
いつものように昼食を食べるために、礼拝堂に向かう。その時、郊外の演習場から戻ってきたらしい騎士科の集団に出会した。
ついセドリックの姿を探してしまう。やはりいなくて、メアリーは気落ちする。
「メアリー嬢?」
呼びかける声に振り返ると、ニコラスがいた。
「ニコラスさま……」
まさか会うとは思っていなかった。釣書のこともあり、どんな顔をすれば良いのかわからない。
ニコラスは顔を伏せつつメアリーを見るぎこちない動きをしながら、メアリーに問うた。
「メアリー嬢、もう届いたかな? 釣書を送ったんだけど」
「あ、はい……」
隠せるものでもなく、素直に答える。ニコラスはふわりと笑う。
「良かった! あー堅苦しく考えないで。あ、いや僕は堅苦しく考えてるんだけど、えっと」
「ニコラス! どうしたんだよ」
「わっ女の子だ!!」
気づけば騎士科の集団に囲まれていた。
「え! 可愛いーー」
「ニコラス、どこで見つけて来たんだよ」
「あー、お前ら煩いってば!! メアリー嬢が萎縮してるだろ」
ニコラスが騎士科の生徒たちを追い払うように手を振る。
気を取り直して、メアリーをまっすぐ見つめた。
「えーと、今から昼メシ? 一緒に食べない?」
「えっ……」
「君ともう少し仲良くなりたいんだ」
周囲が固唾を飲んで見守る。
どうしよう。
メアリーにもわかる。ただの食事の誘いでなく、交際を申し込んでいることくらい。
セドリックのことが頭から離れない――。
「やめておけ」
場の空気にそぐわない、低い落ち着いた声が響いた。
視線が集中する。ヒューバートだ。
「その子はひとりメシが好きなんだ。暗がりで食うのが好みなんだよ」
「そんな!」
メアリーの謂れのない陰キャ宣言に、思わず反論しようとした。しかし日陰で食べていたのは事実だ。本気でそう思われてるのかもしれない。
ヒューバートは顎で礼拝堂を指し、わずかに腕を差し出した。メアリーを連れ出そうと助け舟を出してくれているのだとわかる。
メアリーは答えを出せない自分に卑怯だと思いながら、その腕に手を伸ばしかけた――
「メアリーっ」
ドクン
あぁ――どうしたって愛しい人――
輝かしい金髪が陽の光を受けてキラキラ揺れる。暗く沈んだメアリーの心を、あっという間に満たしていく。
セドリックだ。
「セドリックじゃん!」
「公務が終わったのか?」
「昼メシ食おうぜ」
騎士科の生徒が口々に呼びかけながらも、彼に道を譲る。
喝采を浴びるセドリックは、空気を鎮めたヒューバートとは異なる存在感だ。
どこにいたって、どんな状況であろうと人々を照らす光となる。
それが番による欲目でなく、セドリックの生まれ持った才覚であることは、とっくにメアリーも気づいていた。
手の届かない相手だと痛いくらいわかっている。それなのに、どうしたって会いたかった、メアリーの『運命の番』。
久しぶりの再会に感じ入るものがあったメアリーだったが、セドリックはそうではなかったらしい。
「メアリー、来て」
セドリックはメアリーの手を強引に引いた。声も冷たい。明らかにセドリックらしくない態度だ。周囲にいた騎士科の男子生徒達も普段のセドリック補正で、正確な理解が追いつかない。
「あ、セドリックさまっ……!」
メアリーが連行され、集団から引き離された頃、ようやく騎士科の空気は動き出す。
ニコラスは呆然と立ち尽くし、ヒューバートは小さく溜息をついた。
ざわめきが広がる。
「……どうしちゃったんだ? セドリック」
*
特別区に入った。メアリーを引っ張るセドリックの歩みは止まらない。
「セドリックさま、待って!」
「……」
セドリックに会えた喜びはすでに霞んだ。セドリックはどこか怒っている。
どうして? なんで?
メアリーはだんだん腹が立って来た。
「痛いです! やめて」
セドリックはパッと手を離して振り返る。メアリーは急に離されたから、足がもつれてセドリックの胸の中に収まる。
「すまないっ、メアリー……」
セドリックの顔に後悔の色が滲む。けれどメアリーの感情は収まらない。
セドリックがメアリーの手首の状態を確認する。目配せでセドリックの従者に合図した。
「痛む? 少し赤くなってるかも……」
メアリーはセドリックの手を払う。手なんか痛くない。
「酷いです、セドリックさまっ」
「ごめん」
セドリックは何もわかってない。
「……ロザリーさんと一緒だったんでしょ!?」
「え?」
「素晴らしい婚約者がいるんだから、わたしに構わないで」
セドリックは一瞬、怪訝そうに眉をひそめ、空気が変わる。
そっと両肩を掴み、メアリーを囲い込む。
「……それでメアリーは?」
「え……」
「男達に囲まれて、瑕疵のない優良な相手と結婚すると?」
トクン
おかしい……。メアリーだって怒っているはずなのに。メアリーこそが正当に怒る権利があるはずなのに。
セドリックに静かに詰られている。
結局セドリックにとってメアリーは、年下の子どもに過ぎないのだ。言い含めて、振り回して、何もわからないと――。
堪えていた涙が溢れ出す。
「……ずっと一人で辛かったのに……」
「メアリー……!」
セドリックはハッとした。拘束を緩めて、抱き寄せようとする。
メアリーは寄り添ってほしくなくて、その手から逃れて駆け出す。
けれど、すぐにセドリックに捕まってしまう。
「離して! セドリックさまっ」
「メアリー、駄目だ。来てもらう」
まるで駄々を捏ねているようにジタバタともがく。
「嫌です!」
「良い子をして、メアリー……」
後ろからがっしりと抱きしめられる。
セドリックの息遣いが聞こえる。メアリーの胸に熱が籠る。ダメなのに。
セドリックはメアリーの耳元、静かに伝えた。
「王太子殿下の思し召しだ」
抗えない事情が、また一つ増えた。




