第三話②
「ヒドーイ!」
「ズルーイ!」
外で妖精たちが騒いでいるが無視する。というか反応できない。走りながら詠唱したのだ。酸素を求める口がカラカラに乾いている。心臓も飛び出そうとするくらいうるさかった。
「はぁ、疲れた」
リリィの隣に腰を下ろす。霧が再び太陽を隠し、二人を包む。霧の中からツタや葉が勢いよく襲いかかってくるが、それらはすべて結界に弾かれていた。
「……なんの用?」
拳一つ分の距離を取って座り直したリリィが、そっぽを向いたまま訊く。
「ルールを聞いてなかったのか? 一緒に脱出するのが勝利条件だ。俺だけ逃げたらお前、殺されるぞ」
「じゃああんたが代わりに死ねばいいじゃない」
「自力で帰れるんならどうぞ。あいつら、魔法が使えるとか使えないとか関係なく殺しに来るからな。ま、その前にディートリヒたちが助けに来るだろうけど」
ちらとリリィの方へ視線を向ければ、その横顔は青くなっていた。妖精たちのルールを好意的に解釈していたらしい。それをわざと無視して、グラウは続けた。
「さっき、爆発音が聞こえただろ。俺が空に向けて救援要請を出した。あれでディートリヒたちにも異常が伝わってるはずだ」
「じゃあ、それまで待てば……」
「そう簡単に合流できると思うか? ここは妖精たちの庭だぞ。俺だって魔法を連発してようやく探し当てたんだ。たぶんあっちも苛立って……」
言っている傍から、地面を揺らすほどの衝撃と爆発音が轟いた。二人ともぴゃっと飛び上がる。妖精たちが悲鳴を上げ、鳥が一斉に羽ばたいた。攻撃が止まるほどの揺れが収まったのを確認してから、グラウは続ける。
「…………こんな風に森林破壊しながら強行突破してくる」
「それ、いいの?」
「精霊様からお叱りは受けるかな」
名前の通り、この森は精霊の住処だ。基本的に人間には無関心だが、自分のテリトリーを荒らす者には容赦がない。
「原因の半分はこいつらだけど、また半年くらい貢物祭りかな」
「なにそれ」
「精霊様へのご機嫌伺とも言う。月に一度、村の野菜とか料理とかを定期的に精霊様に届ける」
「へー。それで許されるの?」
「それこそ相手の機嫌次第。運が良ければ最初の一回で終わる。長いと数年はかかるらしい」
「うわ」
想像したリリィがげんなりした顔をした。
ビシッ、と鋭い音が走る。二人がはっと頭上を見れば、結界の一部にヒビが入っていた。
「なにこれ、壊れるの?」
「ああ。これでも持った方だ」
グラウは息と鼓動が落ち着いたのを確認して、ゆっくり立ち上がる。
「休憩は終わりだ。脱出するぞ」
「いや、それ無理」
「は?」
なぜ、と聞こうとして、それが目についた。
「これのせいで動けないのよ」
リリィの足首に、複雑に編まれたツタが絡まっていた。その末端は地面に埋まっており、彼女を離してくれそうにない。
ざわざわと木が揺れる。陰から覗く妖精たちが囃し立てた。
「クスクス、クスクス」
「逃ガサナイワ」
「逃ゲラレナイワ」
「化ケ物ハ嫌イヨネ?」
「殺サレチャウワ」
「宝石ニサレチャウワ」
「その化け物のおかげでいい暮らしができてたんだろうが」
グラウは吐き捨てた。リリィがゆっくりと彼を見る。睨みつける少女は、なぜか苦しそうに眉を寄せていた。グラウはそれを無視して再びしゃがみ、右手でツタを握る。左手をリリィに向けて差し出した。
「これを壊したら一気に走るぞ。手出せ」
「嫌よ」
「は?」
先ほどよりもずっと低い声が出た。
「ワガママ言っている場合か。このまま死にたいのか」
「ディートリヒが来てるんでしょ? 死ぬんだったらあんただけ死になよ」
「死ねるか。ディートリヒの目の前で仲良く首を吊られて終わりだ」
「あんたみたいな化け物と一緒に死ぬなんてゴメンよ!」
リリィの叫びがこだまのように響いた。
「最初っから宝石を作るために生み出されたんでしょ? だったら女王様の言う通りにしていればよかったじゃない! そうすればあたしもみんなもこんな目に遭わずに済んだのに!! お父さんも捜索隊に行かなくて済んだし、お母さんだっておかしくなって死ぬはずなんてなかったのに! そうよ、あんたみたいな疫病神、さっさと死んじゃえばよかったのよ!」
感情のままでたらめに叫ぶ。言葉が尽きて肩で息をする。
妖精たちがそこに援護する。
「アラアラ、アラアラ」
「可哀想、可哀想」
「振ラレチャッタ?」
「振ラレチャッタ!」
「「「キャハハハハ!!」」」
リリィの唇が笑みの形に歪む。妖精たちはわかってくれる。こいつのせいですべてがめちゃくちゃに狂ったと。こんな疫病神のせいですべてを失ったのだと。
だったら、お前もぜんぶ奪われてしまえばいい。この村での平穏なんて取り上げて、本当に城のどこかに監禁して、二度と出られなくなってしまえばいい。
だが、多少は傷ついた顔をするかと思ったのに、当の本人はまっすぐにこちらを見るだけ。
こちらを探るような凪いだ目に、リリィの方が逆に居心地の悪さを感じた。
「……なによ。なんか言ったらどうなの」
「べつに」
グラウは静かな声で言った。
「女王の命令通りにすればいいのか、さっさと死ねばいいのか、どっちが本心なんだろうなって」
冷静に問われて言葉に詰まる。思いついたままに言ったから、どちらも本心と言えばそうなのだ。
ビシッ、とさらに結界に亀裂が入る。あと数回も持たないだろう。
リリィの返答を待たず、グラウは言った。
「まあいい。せいぜいその化け物に守られてろ」
ツタを握りしめる手に力が籠る。
「竜頭を投げろ、砂時計を壊せ!」
艶やかな緑色をしていたツタが茶色く変色する。グラウが握っている部分から、ぐしゃりと乾いた音を立ててボロボロと崩れ落ちた。
だが同時に、木が折れるような音を立てて結界が壊される。
「壊レタ!」
「クラエーッ!」
妖精たちの歓声に、ひゅう、と冷たい風が吹き上がる。
グラウがなにかに気付いたように見上げる。リリィもつられて上を見れば、霧の向こうでもはっきりとわかる、空中で制止した葉の群れ。
((ヤバい、死ぬ))
なにが起こるのか、明確な未来予想が見えた。体の中心が氷のように冷えていく。
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