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第二話②

「くっさぁ~い!」

 鼻をつまんだリリィが悲鳴を上げた。

「なにこれ、牧場ってこんなに臭いの!?」

「畜舎から遠く離れたところでなに言ってんだ?」

 箒を手にしたグラウは、はるか遠くの木の陰にいるリリィに呆れた視線を送る。

 畜舎は動物の種類ごとに分けられているが、放牧では簡易的な柵に囲まれた一帯にまとめて放たれる。朝の餌やりや乳しぼりなどを終えた動物たちは、夕方まで思い思いに広い敷地で過ごすのだ。

 グラウたちはその間に畜舎の掃除を任されたのだが、空の牛舎を見たリリィが速攻で逃げ出した。

「だって! 牧場とか初めて見るんだもん!」

「お嬢様か! さては畑仕事とかもしたことないな?」

「ないわよ! こういうのって街の外にあるもんでしょ?」

「どんだけ隔離してんだ! 一応村でも居住区と畑と牧場とでざっくり分けてんだぞ?」

「これ分けてるって言わない!」

「ああもう、そんなに泣き言だらけならマーガレットん所戻れ!」

「嫌よ!」

「ワガママか!」

 五メートルはあるだろう空白を挟んで大声で言い合う。続けているとさすがに喉が疲れてきたので二人とも口が止まった。

 本物の牛などを見たことがないと知って、さすがに愕然とした。今まで食べていた野菜や肉をなんだと思っていたのか。

 牛舎の中は、牛が食べ散らかした牧草や垂れ流した糞尿などで汚れている。そのまま放置すると動物も人間も病気になるから、掃除は欠かせないのだ。

「ったく、埒が明かねえ」

 グラウはリリィに聞こえない声量で呟き、牛や羊を放牧しに行ったチャーリーを呼んだ。

「チャーリーさーん!」

「うん? どうした?」

「こいつ、掃除とか駄目らしいから、動物たちの監視に連れてってー!」

「あ、ひどい!」

「おお、いいぞ!」

 リリィの抗議を無視し、チャーリーが彼女を放牧場に引っ張っていく。リリィが「卑怯者~!」などと言っていたが、放牧場の監視は動物の糞などを片付けないからずっと楽だ。

 彼女と入れ違うように、桶を持ったバラットがやってきた。

「兄ちゃん、水汲んできた」

「助かる。ありがとうな、バラット」

 グラウが礼を言うと、彼は誇らしげに笑った。

「へへっ。あれ、お姉ちゃんは?」

「あっちで牛たちの見張り」

「掃除しないの?」

「臭いが駄目なんだと」

「ふうん」

 バラットが放牧場の方を見る。チャーリーからなにかレクチャーを受けているリリィを確認して、首をかしげた。

「そんなに臭いかな?」

「都会育ちらしいからな」

「それなのに牧場の仕事をやりたいって言いだしたの? 変なの」

「な」

 二人で頷き合いながら、畜舎の掃除に取り掛かった。

 水を撒いて汚れを浮かせたり、散らばった飼料を片付けたりと、やることは多い。

「あんた、よくそんなことできるね」

「あ、お姉ちゃん」

 だというのに、リリィが畜舎の窓から顔を覗かせてきた。バラットは彼女の方を見たが、グラウは掃除の手を止めないまま振り向きもせずに答える。

「仕事だからな。それに、新しいことを覚えるのは楽しい」

「牛の糞まみれになるのが?」

「それは偏見だ。よっぽどの馬鹿をしない限り、頭から糞を被るとかしないぞ」

「でも臭い付いちゃうじゃん」

「臭いに慣れてきている時点で説得力がないけどな」

「まだ慣れてないわよ!」

「どうだか」

 牛舎に点在する糞をスコップで荷車に乗せ、外に運び出す。外で山積みになっている糞に混ぜておけば、畑で使う堆肥の一部になる。

「うーわー」

 遠目で見ていたリリィが顔をしかめた。

「なにあれ。片付けないの?」

「あれが畑の肥料になるんだよ。でないとうまい野菜が作れない」

「肥料をあげると野菜が喜ぶんだ!」

 バラットが嬉しそうに続けるが、リリィは嫌悪感を隠さない。

「うげ。無農薬の野菜とかないの?」

「堆肥と農薬を一緒にすんな。この村の野菜はみんなこれが入ってるんだ。諦めろ」

「ええー」

「ほら、あっちで牛たちが脱走しないか見張ってろ」

 しっし、と手で追い払う。リリィはまだ文句を言っていたが、しぶしぶ放牧場の方に戻った。

 グラウとバラットは掃除を続行し、太陽が中天に差し掛かる前にすべての畜舎の掃除を終えた。

「おとうさーん」

「チャーリーさん、終わったよ」

「おお、ありがとうな、バラット、グラウ。これ食うか?」

 放牧場を見ていたチャーリーが振り返り、持っていたものを二人に差し出す。魚の脊髄を揚げ焼きした骨せんべいだ。夕食に魚が出た後は、残った骨を綺麗に洗って骨せんべいにする。骨の柔らかい歯ごたえが楽しいので、だいたい大人のつまみや翌日のおやつとして出されるのだ。

「やった、食べる!」

「いただきます」

 バラットとグラウはそれを受け取る。ぽりぽりと夢中になって食べながら放牧場を眺めた。広い敷地を動物たちは自由に行き交う。ある鶏は草を食べ、ある羊は寄り添って昼寝をし、ある牛は川の水を飲んでいる。見ているこちらが眠くなりそうな光景だが、たまに妖精が出てきてちょっかいを出したり、柵を壊して脱走する動物がいるので注意が必要だ。

 骨せんべいを半分ほど食べたところで、不意にグラウが訊ねた。

「あいつ……リリィは?」

「ケインと一緒にあっちで遊んでる。動物の世話より子どもの世話の方が向いていそうだな、あの子は」

 チャーリーが指さす先を見れば、たしかにリリィが動物のいない場所でケインの遊び相手になっていた。今は彼の両手を掴み、自分を軸に振り回している。二人してきゃあきゃあと楽しそうだった。

「で……大丈夫か? リリィちゃんになんか嫌なこと言われたりとかされてないか?」

 リリィたちを見つめたまま問いかけるチャーリーに、グラウも同じ方向を見たまま頷く。

「ん。女王の暗殺はやめろって、相変わらず」

「……そうか」

 チャーリーが難しい顔をしたまま、骨せんべいをばりばりと食べた。

 リリィが亡命した翌日、すでにパスカルが村の大人たちに根回しを済ませている。グラウの目的は必ず達成させるとの宣言を貰ったから、彼らは黙ってリリィを見守るだけだ。

「お姉ちゃん、女王様のことが好きなの?」

 横で聞いていたバラットが口を挟んだ。

「好きって言うより、目上の人だから殺しちゃ駄目?」

「そんな感じ」

 チャーリーの言葉にグラウが頷く。リリィの言動に女王への尊敬の念はない。ただ倫理観で暗殺を阻止しようとしている。そんなもので止められるほど、グラウの執念は甘くない。

「グラウがこっちに来てから、何年だっけ?」

「たしか、三年目」

「そうかあ、大きくなったなあ」

 チャーリーがその大きな手を伸ばし、グラウの頭をわしゃわしゃと撫で回す。

「兄ちゃん、すぐ俺の身長抜いたよな」

 バラットが不満そうに背伸びをする。百センチを少し超えた彼に対し、グラウは百五十五センチだ。それでも同世代に比べたら、グラウの方が圧倒的に小さい。

「そりゃそうだ。成長期にメシ食って遊んでちゃんと寝たら、ちゃんと伸びる!」

 グラウは胸を張って答えた。成長痛がひどすぎて気絶するように眠ったのも、今ではいい思い出だ。そろそろ頭打ちの気配が忍び寄ってきているが、欲を言えばあと三十センチは欲しい。

「俺は? 俺は?」

「うーん……。あと五……いや十年は待て」

「そんなに待てないー!」

 バラットの悲鳴に、グラウもチャーリーも声を上げて笑った。

 その声に気付いたリリィは、ふと隣にいるケインに訊ねる。

「ねえ、もしグラウお兄ちゃんが人を殺そうとしていたら、どうする?」

「え?」

 ケインがぱちくりと目を瞬かせてリリィを見た。

 我ながら酷な作戦だと思った。だけど、ネヒターから来たばかりの自分の言葉より、彼を慕っている幼い子の言葉の方がずっと響く。ケインたち子どもを味方につければ、グラウたちも揺らぐはずだ。

「国でいちばーん偉い人を殺そうとしているの。もしそうだとしたら、どうする?」

「んー……。わかんない!」

 少し考えて、ケインはにぱっと笑って答えた。深刻そうな顔を作っていたリリィが面食らう。

「わ、わかんないんじゃなくて……」

「だってグラウ兄ちゃん、いつも女王様を倒すために頑張ってるもん!」

 屈託のない笑顔から放たれた言葉に、リリィは全身の骨が軋む音を聞いた。

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