第七話②
パスカルがグラウを、マーガレットがリリィを連れて空へ逃げる。
「――ィィェァァアアアアアアア!!」
続いて潰れた鳴き声が耳をつんざいた。牛の足が力強く地を蹴る。宝石の地面が蹄の形にへこみ、周囲が大きくひび割れた。
「げえっ!?」
ふっと現れた影に、振り仰いだパスカルがカエルのような声を出した。
真上にジャンプした巨体が彼らを悠々と見下ろす。翼を広げて方向転換したエデルガルトが、羽ばたきと共に落下する。
その勢いは、巨岩が投石機で放たれるよりも鋭い。
「ディーはゴーレムを持ってこい! マリーは僕と一緒に攪乱するぞ!」
パスカルの指示を受け、竜人が三方向へ散らばる。
パスカルがグラウを連れてまっすぐ飛び、ディートリヒは単身右へ迂回して正門のゴーレムへ。マーガレットがリリィと共に左の居住区へ逸れた。
エデルガルトは羽ばたきを一回、マーガレットたちに迫る。
「うわこっち来たあ!」
マーガレットにしがみつくリリィが泣きそうな声を出した。
「あれ、そっち一択!?」
「嘘だろ!?」
グラウを背に乗せて飛ぶパスカルが急いで方向転換する。同時に念話で指示を出した。
《マリー、できるだけ街中を縦横無尽に駆けろ!》
《ほんっと今日は無茶を言うわね!》
マーガレットが一気に高度を下げる。内臓が浮く感覚にリリィが悲鳴を上げた。エデルガルトも逃がすまいと追従する。
地面すれすれの超低空飛行をするマーガレットたちの後ろで衝撃音が走った。急降下した勢いを殺せず、エデルガルトが顔からもろに墜落したのだ。両側の家屋を削りながら、黒い体がごろごろと転がっていく。
「うわあ、痛そう」
「あっはっは!」
さすがに顔をしかめるグラウに対して、パスカルは手を叩いて笑う。
いまだ空中にいる二人にエデルガルトは見向きもしない。手で空を掻きながら、四足でよたよたと必死に起き上がる。
「……ねえ師匠」
それを見下ろしたまま、グラウは言った。
「俺の記憶にあるあいつだと、もうちょっと若かった気がするんだ」
「へえ?」
エデルガルトに視線を固定したまま、パスカルは続きを促す。
「なのに、あんな婆さんみたいな皺だらけの体……。なにかしらの対価でそうなったと思わない?」
「……なるほど」
グラウの言わんとしていることを彼も理解した。
「同性、かつ若々しい体。……二人分の“美”が、自分の美しさと黄金の対価?」
「可能性はあると思う」
悪魔の呪いは万能ではない。無から有を生み出せないように、相応の対価がなければ発動しない。ただ宝石や黄金に変えるだけなら、対象物がそのまま対価となる。悪魔を取り込み、顕現させたエデルガルトがそれを無視して発動できないのは引っかかっていた。
エデルガルトが執着しているのは美しさ。しかもグラウに魔力を奪われたせいで、悪魔自身もその力を十全に発揮できない。永遠の美と称される黄金になるには、自分の“美”を対価にしなければならなかったのだ。
自分の美しさを維持し、かつ永遠に朽ちない黄金の体でいるには、対価となる“美”が二人分いる。彼女がグラウではなく、女性二人を追った理由も合点がいった。
パスカルがそれをマーガレットに伝える。
《――というわけだから、囮よろしく!》
《よろしく! じゃないわよ! どうやってあいつを仕留める気!?》
念話の先でマーガレットが怒鳴った。
最大の問題はそこだ。黄金が剥がれた今、エデルガルトは生身である。しかし同時に悪魔の体とも融合していた。悪魔の不死性まで手にしていたらとてつもなく厄介である。
正門の方から地響きがする。ディートリヒがゴーレムを起こしたのだ。かすめただけで周りの街路樹や建物を抉りながら、城下町の中を進んでいく。
ようやく立ち上がったエデルガルトが、ぶんぶんと頭を振った。周囲を見回すが、マーガレットたちはとっくに角を曲がって隠れた後である。
ただ闇雲に魔法をぶつけても意味がない。なにかしらの手掛かりがなければ、エデルガルトを殺すのは難しかった。
《…………。とりあえず、首を落としてみるかな》
少し考えて、パスカルは横薙ぎに空を切った。指先からシュイン、と鋭い音が出る。
音速を越える風の刃がエデルガルトの首を狙った。
ばちんっ
「えっ」
「へっ?」
グラウとパスカルの口から変な声が出た。
風の刃がエデルガルトの首を切断しようとしていた。密度の高い風が、陽炎のようにピンポイントで周囲の景色を歪めていたから軌跡も追えている。
だというのに、髪に触れる直前で、まるで羽虫を叩き落としたかのように刃が消滅した。
マーガレットの念話が届く。
《なに? なにが起こったの!?》
《風の刃を弾かれた》
《はあ? 手加減でもしたの!?》
《するわけないだろ! 精霊の森の木を十本伐採する威力だぞ!》
竜人の魔力は精霊のそれに近い。パスカルが放った風の刃だって、彼が言うように高い純度と威力を兼ね備えた真空刃だ。まともに相対すれば、なにが起こったか理解する前に首と胴が離れる。
だがエデルガルトはそれを無効化した。まるで気付いていないのか、こちらを気にする素振りもない。
グラウがパスカルの外套を握りしめた。
「師匠、俺、嫌な予感がする」
「奇遇だな、僕もだ」
パスカルは頷き、再度風の刃を放つ。今度はコルセットを狙った。
「――?」
「え?」
「おっ」
すると、今度は呆気なく刃がその胴を切り裂いた。一拍遅れておびただしい量の血が胴回りから溢れ、エデルガルトの上半身がズレる。
よかった、と安堵したのも束の間。
前のめりに落ちかけた体が、スカートにしがみついて踏ん張った。溢れた血が粘着性の高い糸か触手のようにうねり、離れた二つの体を元のあるべき場所へ戻す。
《…………。胴はちゃんと斬れたのに、なんか修復してる》
《は?》
絶句したパスカルの報告に、マーガレットが心の底から疑問符を出した。
《ちょっと待って、ふざけてるの?》
《ふざけてない。目の前、ありのまま、伝えてる》
あまりの衝撃に片言になった。血がどんどん傷口の中に入り、裂けてしまったドレスすら修復して内側に戻る。
「師匠、あいつ、俺と同じだ」
グラウがことさら強くパスカルにしがみついた。心臓が嫌な速さで脈打つ。
「あれ、覚えてる。まだずっと小さかった頃、斧で首を落とされた時、あんな風に体が繋がるのを、渡し守と一緒に見た」
「……マジか」
震えるその声に、パスカルが苦虫を噛み潰した顔になる。エデルガルトの不死がこれで証明された。
最後の血の一滴が消える頃には、どこが切り裂かれたのかわからなくなっていた。
エデルガルトが優雅な仕草でスカートをはたく。へばりついていた装飾品が一部、地面に転がった。
それらを一瞥もせず、予備動作なしで再び大きく仰け反る。満天の星の下、自分を見下ろす影を認めた。
《やべっ、こっち来る!》
「キョォォォオオオオヮヮヮヮヮッ!!」
パスカルが反転して狭い路地に飛び込む。後ろで再び奇声と跳躍の音が聞こえた。
「グラウ、上からの影に注意して!」
「注意ったって見えねえよ!」
文句を言いつつ、首を限界まで捻って振り仰ぐ。
張り出す屋根が視界を遮る。ほぼ一直線にしか見えない視界の中、黒い影が頭上に現れた。
「来た、真上!」
「マジで!?」
パスカルが速度を上げる。そのすぐ後ろで、頭を撫でるような風圧と重い衝撃の音が肌を震わせた。
「ぐぇっ!」
パスカルがいきなり九十度左に曲がる。振りほどかれそうになって外套を掴み直した。それでも足は勢いのまま振り回され、壁に当たって悲鳴を上げる。
開けっぱなしの窓から屋内に飛び込んだと理解したのは、あたりが一層暗くなったからだ。
「ししょ……」
「静かに、動くな!」
伏せたパスカルが鋭い声で制止する。抗議の声を飲み込んだグラウは彼の背にぴたりとくっついた。壁にぶつかった足がじんじん痺れる。耳に痛いほどの沈黙が流れる。
「ォォァアァァァアアアアアア!!」
エデルガルトの咆哮が、彼らだけでなく建物すらびりびりと震わせた。
羽ばたきの音が近付いて、遠ざかる。それが再び近付いてこないかしばらく待って、ようやくどちらからともなく息を吐きだした。
グラウの腕からも力が抜ける。軟体生物のようにパスカルの背から転げ落ちた。
「び……っくりしたあ」
「ごめんね、グラウ。言う暇がなかったんだ」
「いや……」
強く握りすぎていたのか、腕もくたびれて起き上がれない。空き家になってずいぶん長いらしい。薄い埃が手に付いた。
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