第六話④
注意:グロいです。お気をつけください。
「え……」
「は?」
結界で閉ざされた空間内の光景に、マーガレットとパスカルは目を見開いた。
霧が少しずつ薄れていく。グラウが魔法を使ったのか、エデルガルトが呪いを使ったのかはわからない。ただ、マナが消費されて霧が薄まる結界の中で、その変化を見た。
グラウが触れた場所から、金が剥がれる。花びらが離れるように、表面から小さな破片となって黄金が舞う。
驚愕に目を見開いているのは、エデルガルトも同じだった。
「な……あ、あ……!」
グラウの首から手が離れる。その身から離れていく黄金を掴もうと手を伸ばす。
「わた、わたくし、わたくしの美しさが……!」
だが破片はその手をすり抜け、霧の向こうへと溶けて消えていく。
「黄金化の無効化……?」
素っ頓狂な自分の声に、パスカルは慌てて首を振る。
「いや違う。反転って、時間の逆転か!」
《え、なに? そっちでなにが起こってんだ!?》
ディートリヒが戸惑った声を上げる。パスカルが興奮冷めやらぬまま答える。
《グラウの奴、術を反転して黄金化の呪いが発動する前まで時間を戻す気だ!》
《はあ!? んなことできんの!?》
《今まさにやっているところだ! 屍竜山脈の霧を使った荒業だけどな!》
通常、反転の魔法は他人が発動させた魔法の主導権を入れ替えるものだ。言葉にするとシンプルだが、その実とても高度な技である。なにしろ他人が使っている魔法を自分の物にしてしまうのだ。その魔法への理解が浅ければ主導権は得られない。
その点、黄金化の呪いは、言い換えれば黄金に特化した宝石化の呪いだ。物心つく前からグラウの中に備わっていたのだから、その力の強さと恐ろしさを誰よりも理解している。
しかも宝石だろうと黄金だろうと、一度発動したら元には戻らない。
だから、グラウは黄金ではなく、黄金になったエデルガルト自身の時間に目をつけた。鉱物から生物へは戻せなくても、対象の時間は地続きになっている。そこに魔法を通じて干渉できれば、彼女が黄金化する直前まで巻き戻せる。
とはいえ、いくら桁違いの魔力を持っていたとしても、エデルガルトの中に悪魔が取り込まれていたら太刀打ちできない。グラウの魔力のほとんどは、元を辿れば悪魔のものだ。一時的にでもグラウの魔法が上回らなければ、逆にグラウがエデルガルトに取り込まれてしまう。
それを補うために、屍竜山脈を覆う高濃度のマナはうってつけだった。水晶から解き放たれたマナがグラウの魔法に染まる。瞬間的に能力が向上した魔法は、弱体化した悪魔の呪いを上回った。
文字通りの荒業が、エデルガルトから黄金を奪う。金色の花吹雪が彼女から離れ、結界を突き破り、空中でさらに細かい粒子となって消えていった。
金を失ったエデルガルトが、霧の向こうでその素顔を見せる。
くすんだ皺だらけの手。ただ長いだけで艶のないグレーヘア。血走った目。黄ばんだ歯。手よりもさらに深く大きな皺が刻まれた顔。
「……っ!」
マーガレットが口に手を当てる。
絹で織られたドレスは血まみれだった。額のサークレットは髪の毛と骨で編まれたものに変わる。胸元に目玉が埋め込まれ、腰回りを指の関節らしきものが飾った。スカート部分には髪の毛が付着した頭蓋や、ピンク色の脳漿まで見える。一緒に宝石の呪いが解けたことで、グロテスクな衣装に早変わりしてしまった。
唯一、真珠とタイガーアイのネックレスだけは変わっていなかった。形見の品だから当然なのだが、今はそれすらもおぞましい。
「う……っわ」
パスカルも嫌悪を隠さない声色が漏れる。グラウを救助するタイミングを見計らうため、直視せざるを得ないのが恨めしかった。
《これ、しばらく夢に見るかも》
《……親父、なにを見たの?》
《目玉とか臓器とかで飾り付けた年増のドレス姿》
《うげ》
うっかり念話で呟いてしまったのをディートリヒが拾ってしまった。同じく絶句しているが、実際にこの目で見ていないだけまだマシだと思う。
「父さん、霧が……!」
マーガレットが呼びかける。
グラウとエデルガルトを覆い隠していた霧が晴れた。
「マリー、引っ張るぞ!」
「ええ!」
パスカルが掴んでいた手を離し、二人で地を蹴る。
結界を解除し、グラウの両腕を掴んだ。
「っぷは! はっ、はっ、はっ……!」
「グラウ、よくやった! 落ち着け! ゆっくり息を吐いて、吸って……!」
二人がかりでグラウを城下町へ引きずっていく。ようやく入り込んだ酸素を求めて、少年の呼吸が速くなる。
途中、棒立ちになっているエデルガルトに向けて、パスカルがポケットから取り出したなにかを投げる。
ぱん、と小さな破裂音がして、再び七色の霧が現れた。広がりそうになったそれが、見えない壁で押し留められる。
「が……! かっ、は……!」
エデルガルトがぐわりと仰け反って喉を掻きむしった。
「ちょっと父さん、いつの間にもう一個持ってたの!?」
「保険だよ、保険。いざとなったらこれでとどめを刺そうと思ってさ」
ギョッとするマーガレットに、パスカルは飄々と答える。呪いが解けたことで、高濃度のマナへの耐性も消えたのだ。このまま窒息死するだろう。
「おおい、親父! マリー! グラウ! 無事か!?」
後ろからディートリヒの声と、複数の足音が聞こえる。マーガレットが振り向けば、リリィの他にも宝石化した住人がこちらへ駆け寄るところだった。
「って、ちょっと待って! 来るな、ストップ!」
「は……っとお!?」
マーガレットが制止すると同時に火柱を上げる。それ自体は槍ほどの細さしかないが、それが何十本と上げられたら近付けない。
ディートリヒが急ブレーキをかけてリリィたちを止まらせる。間一髪、即席の柵の一歩手前で踏み止まった。
「あっぶね! どしたの!?」
「トラウマ増やす気!?」
「あっ」
怒鳴り返されてディートリヒも察する。霧に包まれているとはいえ、エデルガルトのドレスは控えめに言ってスプラッタだ。見ていて気持ちのいいものではない。
《それよりそっちは? リリィちゃんのお父さんは見付かった?》
《いや、いなかった。たぶんもう粉々》
《……そうか》
背を向けているのをいいことに、パスカルは一人黙祷する。住人の少なさから、薄々感付いていたことだった。ここに残っているのは、女王に逆らえず生き延びられた人だけだろう。他の子どもの姿が見えないのは、ゴーレムから逃げようとして親子共に女王の手にかかったのか。
そんな竜人たちの気も知らず、横からリリィが飛び出した。
「ねえ、大丈夫!? グラウは無事!?」
「ああ、もちろん」
火の柵越しに、黙祷を終えたパスカルが答える。父親の死にリリィが動揺していないのは、彼女も予感していたからだろうか。パスカルが背中をさする少年は、少し呼吸が落ち着いたようだった。
「え……そいつが、例の魔法使い?」
一緒に駆け付けた宝石人間の一人が、柵越しにグラウを覗き込んだ。
「嘘だろ、本当に子どもじゃないか」
「ちっちゃすぎる……」
「いや、いくらなんでも偽物だろ」
「なっ……!」
口々に喋る彼らに、リリィが口を歪めて振り返る。
「だから言ったじゃない! あたしよりも小さい子どもだって!」
「おい……」
語弊のある言い方にグラウが抗議する。しかしその声は小さすぎて、住人たちの声にかき消された。
「いや、こんな小さいとは思わなかったからさ」
「もっとおじいちゃんかと思ったもの」
「そりゃ逃げ出して当然だ」
人々が頷く。顔を真っ赤にして体を震わせるリリィを、ディートリヒが強引に柵の方へ転回した。
「リリィちゃん、どうどう」
「でも、ディー!」
「言わせておけばいいんだよ。リリィちゃんが言ったところで信じなかったんだからさ」
なだめるようにその両肩を叩く。同時進行でグラウが決死の作戦をしていたのもあるが、彼らの言い分を聞く限り、その間の会話劇は推し量れよう。
まだ唸っているリリィを抑えながら、ディートリヒはパスカルに訊ねる。
「ところで親父、悪魔は?」
「まだ見つかっていない」
グラウの背を撫でながら彼は答えた。
「あれでだいたい窒息死するだろうし、ゆっくり探していけば――」
「師匠」
グラウがかすれた息のまま割り込んだ。
「あいつ、たぶん、悪魔がいる」
パスカルが真顔になる。
「……根拠は?」
「さっき、首を絞められた時、俺のじゃない記憶が流れ込んできた。たぶんあれ、女王の……死んだ婚約者のだと思う」
周りが息を呑む。
「首から全身にかけて、虫が這いまわるような気持ち悪さがあったんだ。あとちょっと遅かったら、たぶん取り込まれてた」
「そんな危ないことになってたの!?」
「リリィちゃん!」
柵を掴みかからん勢いで迫るリリィをディートリヒが押し留める。そちらに気を割く余裕もなく、まだ落ち着かない呼吸のままグラウは続けた。
「死に際の婚約者が、女王に『いつまでも美しく』って遺言を残してた。……そのためなら、あの女王は手段を択ばない」
「……いや、おい、ちょっと待て」
パスカルがゆっくりと顔を上げる。つられるようにして、グラウたちもそちらを見た。
屍竜山脈の霧は、彼らに害をなさないよう、パスカルの結界で封じられている。
そのただなかにあるエデルガルトは生身だ。耐えられるはずがない。
そのはずなのに。
七色に変わる霧の中、女王はしかと立っていた。
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