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第六話①

 翌日の深夜。月が中天に昇る前に、グラウたちは教会の前に集まっていた。男性陣は普段通りの格好だが、女性陣は動きやすいパンツスタイルに変えている。全員その上からそれぞれ、丈の違う上着を二種類着ていた。

 一つは普段から使われているコート。薄いけど風を通さないので、肌寒い今の時期にちょうどいい。もう一つはパスカルから渡されたケープだ。曰く、竜の皮膜で作ったとのこと。なんでも魔法の通りが良いらしい。防御魔法を使うといつもより強固な結界が張れるようだが、真偽のほどは定かではない。丈が短すぎてほとんど肩に乗っているような状態なので、どこかに飛んで行かないよう胸の前で留めてあった。

「じゃあ、行ってくるよ」

 見送りに来てくれた村人たちへパスカルが言う。ここにいるのは、事前にパスカルが話を通した口の堅い人ばかりである。身重のヘレンの耳に入ったら流産の可能性が出るし、子どものバラットたちに伝わったらあの手この手で阻止してきそうだったからだ。

 見送りに来てくれた彼らには、一両日中に帰ってくると言ってある。ただ、竜人一家が全員いなくなる異常事態に、やはり不安は拭えない。

「どうか、気を付けて」

「武運を祈る」

 それでも気丈に振る舞う彼らの言葉に頷き、グラウはパスカルと、リリィはマーガレットと手を繋いだ。空を飛べない二人のサポートである。

 五人の足元から風が起こる。五人分の外套をはためかせ、両足がゆっくりと地面から離れた。

「三、二、一で地面を蹴るイメージで。行くよ」

 パスカルの言葉に四人が頷く。

「三、二、一!」

 同時に宙を蹴る。

 風が唸る。村が遠ざかる。眼下に広がる森が地平線を埋め尽くす。なのに肌を撫でる空気は地上と同じ柔らかさ。

「うわ、すごい!」

 リリィが興奮のまま周囲を見回した。

 雲が、星が、月が、近くなる。飛び上がって十数秒で、村はカンテラの小さな明かり以外見えなくなった。分厚い壁として立ちはだかっていたはずの屍竜山脈が、山頂を歩けそうな位置にある。

「さあ、山脈を越えるよ」

 パスカルがグラウと繋いでいない方の手を振ると、五人の周りを透明な膜が包み込んだ。景色が水面に映るそれのように揺らぐ。結界に守られた彼らは、手を引かれるようにして霧の中に飛び込んだ。

 赤、青、黄、緑、紫……。せわしなく色を変える霧の中で、思い出したように岩肌がその向こうから顔を出す。五人は数メートル先もわからない景色の中を、速度を緩めずに飛んだ。

「ねえ、村長さんって毎回こうやって山越えしてるの?」

 前を飛ぶパスカルにリリィが声を張って訊ねる。

「そうだよ。日中はこれに加えて、光魔法で姿を隠しているんだ」

「ふわー」

 感心して呆けた声が出る。

 霧の中にある山頂は岩場の集合体だった。その一つ一つが数百メートルもの高低差を作っており、乗り越えるだけで何ヵ月かかるかわからない。それらの上を一行は風が滑るように通り過ぎていく。結界のおかげでマナによる窒息も冷たい風に切り裂かれる心配もない。だが、目まぐるしく過ぎていく景色が、鳥よりも速いスピードで飛んでいることを示していた。視界不良でも山肌にぶつからずに済んでいるのは、地形をよく知っているパスカルが先導しているおかげである。

「なあ師匠、ちょっといい?」

 不意にグラウが口を開いた。

「なんだい?」

「ここのマナって、ちょっと持ち運べたりする?」

「……なにに使う気だい?」

 パスカルは止まってグラウを見た。夜明け前の空に似た昏い瞳が、パスカルの顔を映し出す。

「思いついた作戦がある。ハイリスクだけど、絶対勝てる」

「駄目だ」

 食い気味に却下された。

「相打ち覚悟の作戦なんて受け入れられない」

「相打ちになる気はない。俺が死なないの知ってるだろ?」

「死ぬ前提で話を進めるんじゃない。もし失敗してエデルガルトに取り込まれたらどうするんだ? 僕らに君を殺せっていうのか?」

「死ぬ気はないし、失敗する気も、取り込まれる気もない。もちろん殺させもしない」

 眉間に深く皺を刻むパスカルに対し、グラウはどこまでも冷静に返した。

「でも無茶をしないとあいつは斃せない」

 静かに睨み合う。リリィは止めなくていいのかとマーガレットたちを見るが、彼女らも難しい顔をして黙るばかり。

 悪魔の力を持っているがゆえに、グラウは今まで死ねなかった。エデルガルトはそんな彼から魔力の奪取を目論んでいる。ただ奪われるだけならまだしも、グラウごと魔力を吸収する可能性もある。エデルガルトとの接触は、グラウ自身が悪魔に取り込まれるリスクをはらんでいた。

 当然、パスカルたちはそんな博打を認められない。グラウだってそれはわかっている。今までも、そして今も、死にたいと思って死んだことなど一度もない。

 それでも、彼はなんとか唇の端を持ち上げて笑った。

「それに、俺が危なくなったら、師匠たちが絶対に助けてくれるだろ?」

 リリィを連れて精霊の森を脱出しようとした時も。

 初めて精霊の森に囚われ、魔力を暴走させてしまった時も。

 人が怖くて震えていた時も。

 生きているのか死んでいるのかわからず、馬車に繋がれていた時も。

 探し出し、手を差し伸べ、抱きしめてくれたのは、パスカルたちだ。

 彼らは自分を見捨てないと信じているから。自分が窒息死や取り込まれるリスクを冒してでも、その作戦を実行する。

 パスカルたちが虚を突かれたような顔をした。少しして、マーガレットが小さく吹き出す。

「すっかり信頼されているわね」

「……そうだな」

 パスカルも諦めたように肩をすくめる。それから、結界の外へ手を伸ばした。

 左の手の平に、煙水晶のように曇った球体が現れる。握ったら手の中に隠れてしまうほど小さなそれをグラウに差し出した。

「これがマナの結晶だ。……至近距離で使ったら、屍竜山脈に生身で放り出された時と同じことになるぞ」

「わかってる。ありがとう」

 グラウは水晶を受け取る。思いのほか冷たいそれが壊れないよう、けれど落とさないようにしっかりと握りしめた。

「その物騒なお守りが使われないのが、一番いいんだけどね」

 マーガレットが肩をすくめる。ディートリヒがグラウにのしかかるようにして抱き着いた。

「本当にヤバそうだったら、遠慮なく女王をぶっ飛ばして助け出すからな」

「重いって。……でも、うん、ありがとう」

「ほら、進むぞ。ディーは離れろ」

 ポケットに左手を突っ込んだパスカルが、グラウと繋いだ右手を振る。

 再び霧の中を泳ぐように飛び、いくつもの山と谷を越えていく。

 似たような景色にあくびが出かかった時、唐突に霧が晴れた。

 急斜面の山肌を避けるようにして、月明かりの下に集落が点在する。村と同じくらいの規模のものもあれば、それよりもはるかに広大な都も見える。

 大陸西部に戻ってきたのだ。右側に光るものを感じて、そちらを見る。かつて金鉱山――それも悪魔の力によるものではないかとパスカルは推測している――だった山にほど近い場所に、都の形をした宝石が鎮座していた。ネヒター国の王都ヴィモールだ。他の集落が黒い影と輪郭を浮かび上がらせる中、光を反射する宝石の都は異様だった。

「グラウ、ちょっと手を緩めて」

 パスカルがグラウに呼びかける。ヴィモールからそちらに意識を戻したグラウは、彼と繋いでいる左手を思いのほか強く握りしめていることに気付いた。

「わっ、ごめん」

 慌てて力を緩めた彼に、パスカルは緩く笑う。

「いいさ。……やっぱり怖い?」

「……怖くない、と言えば嘘になる」

 グラウは答えた。

 これほど遠くにいるのに、周りには味方がたくさんいるのに、十三年分の恐怖はまだグラウを縛り付けている。

「だから、はやく終わらせたい」

 自分を、リリィを、国を覆う呪いから解放するために。

 パスカルたちは頷いた。

「よし、ならまずは作戦通りに展開しよう。ディー、頼むよ」

「おう。リリィ、いいか?」

「うん」

 ディートリヒが大きく頷き、リリィの手を取る。

「グラウ」

 結界を出る直前、リリィはグラウの方を見た。

「……気を付けてね」

「そっちも」

 頷き合って、リリィはディートリヒと共に結界の外に出る。

「うまく行くといいな」

 遠ざかる二つの背中を見送って、グラウが呟く。

「うまく行かなかったら、私が火事を起こすから大丈夫よ」

 マーガレットが肩をすくめる。

「ま、その時はもしかしたら、何人か溶かしちゃうかもしれないけど」

「……宝石が溶ける温度って、結構高いよな?」

 グラウの顔が引きつる。実際に溶かすような真似はしていないが、蝋燭の火ごときで溶けるほどやわな存在じゃないのは知っている。

「まあね。彼らにとっては砕かれるか溶かす……いえ蒸発するかの違いだから」

「いやあの、マーガレット?」

 雲行きの怪しい発言に、さすがにグラウが意見しようとした、その時だった。

 遠く離れた三人のところまで地響きが届く。振動が結界を通り越して肌まで震わせる。

「始まったね」

 パスカルが呟く。

 ヴィモールの方へ顔を向ければ、正門の前でなにかがせり上がるところだった。

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