第四話④
なんとか生まれてきたが、その後の道のりだって決して楽ではなかった。
竜の力を受け継いだ彼の誕生を見届けて、魔女は死んでしまった。事前に竜と悪魔に契約解除の方法を伝えていなければ、彼女のしてきたことが無駄に終わるところだった。
「竜と悪魔が親父を連れて屍竜山脈を越えたのが、この村の始まりでもあるんだ」
屍竜山脈と精霊の森に挟まれた土地でパスカルは育った。ある程度大きくなったところで彼は真実を告げられる。パスカルは育ての親の片割れである悪魔を冥府に還し、他の悪魔も同様に冥府へ還そうと決めた。
「誤算だったのは、思っていた以上に警備が厳重だったのと、西側の醜さだったって」
悪魔を封印している瓶が、国宝扱いされていたのは想定の範囲内。それよりも、歪んだ武勇伝を掲げる西側諸国に幻滅した。
最大の功労者たる魔女を暗殺し、その事実を闇に葬った。歴史を都合よく改ざんし、自らの国を興し、私利私欲のために民や悪魔を殺し合わせた。
「そこから逃げたいと思っている人も、親父はたくさん見てきた。これ以上苦しんだり悲しむことがないように、可能な限り手を差し伸べてきたんだ」
それでも、一人ではどうしても手に余る。そこで、隠蔽魔法を施したポータルを開発し、西側各所に設置した。
「もちろん、親父や俺らの姿を見て拒否反応を示した人もいるよ。どうしても村に合わない人たちは、故郷とは別の遠く離れた国に連れて行った。そこで新しい生活を始められた人もいれば、やっぱり合わなくて、それきり会えなくなった人もいる」
自力でどこかへ旅立ったのか、それとも死別だったのか。ディートリヒは言わなかった。リリィも口出しできるような雰囲気ではなかった。
「……その、村長さんの親の竜は?」
「寿命で死んだ。俺たちが生まれる前だったよ」
「……そうなんだ」
パスカルの人生は、そのまま村の歴史でもある。二百年の歳月をかけて、彼は楽園を築き上げた。
「じゃあ村長さんがあちこちを旅しているのって、今も悪魔を冥府に還しているから?」
「そう。今はグラウの復讐に協力しているから、ちょっと休んでるけどね」
さらっと言われた言葉に、冷や水を浴びせられた気がした。同時に、頭の中でなにかがカチリと音を立てて繋がる。
「……もしかして、グラウの復讐も、その一環?」
「うん?」
ディートリヒが首をかしげた。
「グラウは、悪魔の魔力を奪っちゃったんでしょ? だから、村長さんが悪魔を手に入れられても冥府に還せない。だから、グラウの復讐と一緒に、悪魔の返還もしようと思っているの?」
リリィは急いで組み立てた言葉を、間違いがないように説明する。グラウの復讐を本当はパスカルも反対している。たまたま利害が一致したから、彼の復讐に手を貸しているのだと。
そんな希望的観測は、すぐに打ち砕かれた。
「いや、そうと言えばそうだけど、あれって親父の自己満足も入ってるよね?」
「ああ。自分がちんたらしているせいで俺みたいな子が生まれちまったって、めちゃくちゃ泣いてたよな」
「飲めない酒を飲んでな。あれは驚いた」
ディートリヒが確認を取って、グラウが頷く。リリィはそれを、目をぱちくりとさせて見ていた。
「じこ、まんぞく?」
「西側諸国の腐敗もそうだけど、一番の誤算はグラウが生まれたことなんだよ」
竜と人間のハーフも大概だが、人間と悪魔の子はそれ以上に常軌を逸していた。まさかそんな考えを持つ者が現れるとは、パスカルも思わなかった。グラウが生まれたことで悪魔本体は力を失い、冥府にも還れない。さらにグラウ自身も悪魔の魔力を奪ったせいで死んでも冥府から追い出される始末。
そうなってしまったのは、元を辿れば魔女のせい。同時に、なかなか悪魔を奪取できない自分の責任であると。
「前に師匠、俺の復讐を手伝うのは自責の念だってこぼしてた」
「親父、変なところで責任を感じるからなあ」
グラウとディートリヒが呆れを交えて笑う。二人は笑い流せても、パスカルにとっては重大なトラブルなのだろう。加えてグラウへの虐待や殺害遍歴を聞いたら黙っていられない。
利害の一致なんて言葉でまとめられるほど、事は単純ではなかった。
「なんか……身勝手だね」
やがてリリィの胸に浮かんだのは、そんな言葉だった。
「身勝手なのは百も承知だよ」
「ううん、いや、村長さんたちもそうなんだけど、あたしたちも大概だなあって」
あまりにも自分のことが可愛くて、無関心すぎた。改ざんされた歴史を真実と教える過去の王たちも、それを信じて疑わない……そうせざるを得なかった国民たちも。
盲目的に信じたまま、自分の目や耳で確かめることも、物事を判断しようともしなかった。
包帯を巻いた足を覆う毛布を握りしめる。
「真に受けていた自分が馬鹿みたい」
「……今もそうなのか?」
「え?」
グラウの問いにリリィが顔を上げる。仰向けに寝転がったまま、彼はまっすぐにこちらを見つめていた。
「話を聞いた今も、“真に受けていた自分が馬鹿”だと、そう思っているのか?」
「それは、さすがに……」
もしそうだとしたら、学習能力がなさすぎる。
「なら、これから自分で判断すればいいだろ」
グラウが言う。突き放すような、それでいて寄り添うような声音だった。
「少なくとも、そうでありたいと思っているように、俺には見えるぞ」
「……うん」
リリィは頷く。ディートリヒも笑った。
「ここの人たちはみんな気がいいからさ。わからないことはなんでも教えてくれるぞ」
「うん」
肩に乗っていた重しが取れる。視界が広がる。こちらに来て初めて、息がしやすくなった。
「ねえ、あたしもディーって呼んでいい?」
「おっ、いいぞ。ついでにグラウも……」
「言わないからな」
「なんでだよっ!」
「願掛け」
「いいじゃ~ん! 寂しいぞ!」
「くっつくな、暑苦しい!」
背中はまだ傷だらけのため抱きつけないが、代わりに頭をしっちゃかめっちゃかに撫で回される。鬱陶しそうに振り払うグラウの姿に、リリィは吹き出した。
――そうして、精霊の森から脱出して一週間後。
「……よし、もう大丈夫ね」
古傷に覆われた背中を撫でて、マーガレットが言った。
「助かったあ。ありがとう、マーガレット」
もう痛まなくなった背中に、グラウが大きく伸びをする。
グラウとリリィの傷はすっかり良くなっていた。
「どういたしまして。着替えたらご飯にしましょ」
「はーい」
マーガレットが部屋を出て、グラウは久しぶりに上着に袖を通した。怪我がひどすぎて肌着も着られなかったから、一週間ぶりの上着が暖かい。
しかし、本来ならグラウもリリィも、一週間で完治するような怪我ではなかった。
魔法使いは、魔力の扱いを極めると他人の魔力にも干渉できる。それを利用して、体に備わる自然治癒能力を一時的に高めたのだ。それらも他の魔法と同様コツがあるらしく、一番上手なのはマーガレットである。
ただし、怪我が早く治るからといってほいほい使えるものではない。部分的とはいえ、新陳代謝を恐ろしく活性化させているのだ。それによる寿命の前借りを余儀なくされるので、今回のように切羽詰まった状況でもない限り彼らも使わない。
「あ、おはよー、グラウ」
「おはよう、リリィ」
部屋のドアを開けると、同じように自力で歩くリリィとかち合った。
「グラウも治ったの?」
「ああ」
「よかったあ」
「こっちこそ、もうお前の悲鳴を聞けないと思うと、ホッとするやら寂しいやらだけどな」
「ひどーい!」
グラウの軽口にリリィが軽く憤慨する。ちなみにこの回復促進も、傷の治癒を強引に進めているので相当に痛い。最初は鬱陶しかった悲鳴も、毎朝のように聞いていると嫌でも慣れる。
グラウはそれをかわしてリビングのドアを開けた。
「おはよー、ディートリヒ、マーガレット」
「おはよー」
「おう、おはよう、二人とも」
「おはよう。ご飯にしましょ」
リビングに顔を出せば、四人分の朝食がテーブルに並ぶ。
先に席に着いたディートリヒが言った。
「グラウ、今日はゆっくり食べる時間はないぞ」
「え、なんで?」
「牧場で屠殺があるんだ。夕べ決まった」
「ん、わかった」
「とさつ?」
頷いて席に着くグラウの横で、リリィは首をかしげる。
「ああ、リリィちゃんは初体験かしら」
彼女の背中を押しながらマーガレットが答えた。
「簡単に言うと、牧場の動物を何頭かお肉にするのよ」
「ちなみに全員参加だから」
凍り付くリリィに、ディートリヒが逃げ道を塞ぐ。
これも日常の一つなのだろう。みんな当たり前のように食事をとる。だがリリィはテーブルに座ったまま動けなかった。
「リリィちゃん、これだけでも飲んでおきなさい」
マーガレットに促されて、リリィはスープに口をつける。
泥のような味がした。
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