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第四話①

 精霊の森を脱出した翌日から、グラウとリリィは日中を相部屋で過ごすこととなった。

 個室でゆっくり過ごすのもいいが、一人きりではいずれ飽きるし寂しい。村人の見舞いも、別々に行くよりも一緒にした方がいろいろと都合がよかった。

 朝食後に包帯を取り換えたら、竜人兄妹に抱えられて相部屋に移る。一人部屋としてはちょっと広く感じられた客間も、ベッドが二台置かれると手狭に感じる。間に人一人分の通路を設けたそこへ、グラウとリリィはそれぞれ寝かせられた。

「じゃあ、私たちは仕事に行くから」

 マーガレットはそう言って、二人の枕元に鈴を置いた。

「なにかあったらこれを鳴らしてね。すぐに駆けつけるから」

「うん」

「はーい」

 二人が頷いたのを見て、彼らは部屋を出る。

 まだ見舞客も来ない午前中。薄暗い部屋では、かすかに村人たちが挨拶を交わす声が聞こえる程度だった。

「……ねえ」

 沈黙に耐えきれなくなったリリィが口を開く。起き上がれるが動けないので、体力が有り余っていた。

「その傷、大丈夫?」

 リリィが問うたのは、グラウの背中だ。先に彼が相部屋に入れられたので、全貌は見ていない。ただ精霊の森を脱出する際、おびただしい量の血で覆われたのは見ていた。

 寝返りが打てないほどの重傷なのは簡単に想像できた。

「ああ、平気」

 グラウは平時と変わらぬ口調で答える。

「マーガレットが綺麗に治してくれるし、そもそも死ぬほどの傷じゃないし」

「……なんでわかるのよ?」

「幽体離脱が起きなかったからな。気絶からの臨死体験もしなかったし。さすがにこれ以上殺されるのはごめんだ」

「ころっ、……えっ?」

 リリィが身を乗り出した。

「待って、今、殺されるって言った? 臨死体験?」

「あ? 言ってなかった……な、うん。言ってなかったわ」

 今までのやり取りを思い出して、グラウは一人で納得する。

「俺が人間と悪魔のハーフだってことは言ったよな? 俺が生まれる時、悪魔から魔力の一部を奪った状態で生まれたらしいんだよ。それのせいで悪魔は冥府に還れないし、俺も死ねずに黄泉の川で追い返される」

「待って。ちょっと待って」

 リリィが手の平を突き出して制止した。急な情報量の多さに頭がついていかない。

「もうちょっと噛み砕いて言って」

「えー……」

 グラウは面倒くさそうにリリィを見たが、見舞客もいないし時間はたっぷりある。頭の中で情報を組み立て直した。

「そうだな……。俺の中には、人間と悪魔、二種類の魔力があるんだよ」

 グラウは自分の下にある枕を抜き取り、リリィに見せた。

「この枕を、悪魔自身の魔力に見立てる。ちなみにディートリヒたちの魔力もこんくらいあるらしい。普通の人間の魔力は、だいたいこれくらい」

 そう言って彼は、枕の角を絞って見せる。枕全体から見たら、十分の一にも満たない大きさだった。

「ちっさ……いや、少なくない?」

「そう。少ないけど、これくらいでやりくりできるんだよ」

 絞った枕の角から手を離し、グラウは続ける。

「話を戻すぞ。これは悪魔に限ったことじゃないけど、本来なら魔力っていうのは他人に譲渡できるようなもんじゃないんだよ。これ半分頂戴って言われてもできねえだろ?」

「うん」

「でも、なんのアクシデントか、俺は悪魔からこの枕を半分強奪しちまった」

 枕の上部で、グラウの手刀がとんと置かれた。

「それに気付いたのは、最初に女王に殺された時だ。黄泉の川の渡し守たちが血相を変えてよ。なんか集まって会議してるな、と思ったら、渡し守に手を引かれて、埋められそうになってた体に向かって突き飛ばされた。それが初めて死んで、生き返った記憶」

「…………。ど、どういうこと?」

 リリィは絶句しながら、なんとか言葉を絞り出す。「うん、だよな」と枕を自分の頭の下に戻したグラウも頷いた。

「悪魔が元々、冥府の住人なのは知ってるか?」

「うん。七十二体だっけ? 魔女が召喚して、竜族の殲滅に使ったんだよね」

「そう。ちなみに悪魔の単位は“柱”な。悪魔が冥府に戻るには、完全な状態じゃないといけないんだ。魔力が分かたれるのも異常事態だけど、その一部が勝手に人間の魂と一緒に戻ってこられても、器がないんじゃどうしようもない。枕の例えで言うなら、持ち主じゃない奴が枕の半分を持て来て『これ返す』って持ち主の知り合いに投げるようなもんだ」

「それは……ひどすぎない?」

「そう。だから渡し守たちも対応に困って、まだ悪魔がいる現世に俺を突き返した」

 (まりょく)が元通りになるまで、悪魔は冥府に還れない。そして、意図せず枕の一部を強奪してしまったグラウもまた、それを悪魔に還すまでちゃんと死ねない。

「ていうか、さらっと流したけど、黄泉の川って本当にあるんだね」

 リリィが言う。子どもたちを戒めるためによく大人たちが語って聞かせた死後の世界。悪いことをしたら地獄に落ちる。良いことをすれば天国に行く。どちらへ向かうにせよ、黄泉の川と呼ばれる場所を渡るのは死後の世界で欠かせない定番シーンだ。怖がりな子は泣いて怯えたが、リリィは信じていなかったので話半分で聞き流していた。

「あるぞ。対岸が見えないくらいでっかかった。あれはもはや海だと思う」

「海って、大陸の端にあるおーっきい湖だっけ?」

「師匠たちの話だと、湖どころの規模じゃないらしい。むしろ陸地の方が少なくて、この大陸をぐるっと囲んでいるんだと」

「へー。渡し守も何人もいるんだよね? どんな格好だった?」

「黒いローブに、ガイコツをデフォルメしたお面をかぶってた。一度に十人くらい乗せられる船を棒一本で操ってんの」

「そうなんだ。……ん? もしかして乗ったことあんの?」

「ある。最初の一回だけな。すれ違った渡し守が俺のことを二度見してきた」

 いないはずの悪魔の魔力を持った子どもが乗っているのだ。二度見もするだろう。

「そいつが慌てて呼び止めて、冥府行きの船から現世行きの船に乗り換えさせられた。陸に着いたら緊急会議が開かれるし。中心にはいたけど、完全に蚊帳の外だったな」

「そういえば、その最初に死んだ時っていつよ?」

 グラウの見た目は十代前半。ざっと見積もっても十歳くらいだろうか。

「えーっと、物心ついた頃だから……三歳から五歳くらい?」

 指を折って数えたグラウが答えた。

「その後も死ぬ回数が多かったから、俺の魂がどっか行かないよう渡し守たちが見張ってたけど。……ん? どうした?」

 グラウがリリィの様子に気付いて問う。

 吐き気をこらえるように手で口を塞いでいたリリィは、その手の隙間からこぼれるように言葉を吐いた。

「……なんで、そんな、平気なの?」

「なんでって……。こっちに来るまで、死ぬのは日常茶飯事だったから」

「……どういうこと? あんた、お城で贅沢な暮らしをしてたんじゃなかったの?」

「はあ?」

 心の底から声が出た。怒りと驚愕と呆れが最大限配合されたそれに、リリィがすくみ上る。

「栄養失調とか八つ当たりとかで何度も死んだけど? どっからそんな情報を仕入れた?」

「し、城勤めの人たちの愚痴とか、よく聞こえてたから」

「デマにも程があるだろ」

 グラウは枕に顔を突っ伏した。

「お前、それマーガレットたちに言ってみ? すっげー反応が返ってくるから」

「なにそのすっげー反応って」

「激怒するか、大笑いするか、号泣するかのどれか」

「どれも嫌なんだけど」

「噂の真相なんて、どーせいつかわかるだろ? 昼になったらどっちみち帰ってくる。その時にでも聞いてみろ。それまで俺は寝る。ちょっと喋り疲れた」

「あ、そう」

 グラウが毛布を手繰り寄せて頭までかぶった。そのまま沈黙してしまう。

 一気に静かになった部屋の中で、リリィも仰向けに寝転がった。

 天井の木目を見つめながら、彼の言葉を反芻する。

 悪魔から奪ったという強大な魔力。黄泉の川から出禁を受けるほど死んだと語る目。

 あの目は、嘘をついているようには見えなかった。

 首を動かして、隣を見る。毛布にくるまった少年の顔は窺えない。ただ、その隙間から覗く腕には、いくつもの古傷があった。何度も切り裂かれたようなそれに、リリィはそっと自分の腕をさする。

 袖に守られたそこに、あんな傷跡はない。

 しかも、物心ついた頃に女王に殺されたと言っていた。

 一体なにをすればそんな目に遭うのか。

 噂で聞いていた話と、なにもかもが違いすぎる。

(あれ?)

 ふと、リリィは気付いた。

(あいつ、ネヒターでなんて呼ばれてたっけ?)

“グラウ”はこちらでの呼称だ。ネヒターでそんな名前は聞いたことがない。休暇中の兵士たちは確か、“魔法使い”と呼んでいた。

 それ以外の名前は、

(――な、い?)

 すとんと。びっくりするくらい腑に落ちた。

 気付いてしまった。いや、ようやく気付いたと言えばいいのか。

 わざわざ名前をつける必要がなかった。それくらい彼の能力は強く、秘匿するほど疎ましかった。

 存在を極限まで隠すことで、逆に国民の不安と恐怖を煽る。

(女王様に逆らったら、宝石にされる)

 ネヒターでは常識となっている謳い文句。それが当たり前になったのは、いつからだっけ?

 リリィは向かいのベッドで眠る彼を見た。自分より小さな少年。名前をつけられず、自由も与えられず、ただ人間を宝石にするために利用され続けた。

 それを恨まずにいられるなんて、どんな聖人君子でも耐えられない。

 やっとこの場所で、彼は名前をもらえた。自由を与えられた。

 目の奥が熱い。流れ出た涙は、嫌気が差すほど熱かった。

 グラウの置かれていた境遇をやっと理解した。そうして出てきた感情は、あまりにも稚拙で厚顔無恥な同情だった。

(――最低だ、あたし)

 リリィは声を殺して、厚かましい涙を乱暴に拭う。

 グラウはその吐息と衣擦れの音を、ただ聞いていた。

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