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第三話④

 屋敷の客間は十部屋もある。その用途は様々だ。亡命者を複数人受け入れた時や、家出した子どもを預かる時。また今回のような急患を隔離するためにも用いられる。

 リリィはすでにあてがわれている部屋に入れられ、グラウは隣の部屋に放り込まれた。

「痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!」

「痛いわよねー。結構ざっくりいってるものね。でもちゃんと治療しないと歩けなくなっちゃうわよ」

 部屋の壁は、大声だと筒抜けするくらいの厚みしかない。治療中の痛みに上がる悲鳴も、隣にばっちり届いた。

「叫んでるなー。あれくらいどってことないだろ」

「自分を基準にしないの。あと、グラウはもうちょっと叫んでもいいと思うけどね」

 上半身裸になり、うつ伏せになったグラウの背中をディートリヒが拭う。乾きかけの血が拭き取られ、新旧の傷が露わになった。無数ともいえるそれが覆う場所へ、緑色のペーストになった薬草を塗りたくる。

「――っ」

「ほら、やせ我慢しない。痛いときは痛いって言いな?」

「隣がめっちゃ騒いでるのに?」

「それはそれ、これはこれ。グラウはグラウ、リリィちゃんはリリィちゃん」

「矛盾してないか?」

「事実だからね」

 言葉のキャッチボールをしながら、薬を塗る手は止めない。ただでさえ傷口に薬はしみるのだ。綺麗に塞いで治すためとはいえ、そこに異物が触れたら大人でも悲鳴を上げる。

「ぎゃあ~~~~~~~~!!」

「はいはい、大丈夫よ。あとは包帯を巻くだけだからね」

 隣室のリリィの悲鳴もおさまらず、マーガレットが呆れているのが聞こえた。

「グラウ、しみない? 奥歯噛みすぎないでよ?」

「うー」

「ほら、枕とかタオルとか噛んでいいから」

 ディートリヒがタオルを差し出すも、グラウは枕に顔をうずめたまま拒絶する。

 リリィよりも彼の方が重傷だし、もっと悲鳴を上げてもいいはずなのに。なぜかグラウは頑なに我慢する。

 ディートリヒは乳鉢にあった残りの薬草を、まとめて彼の背中に叩きつけた。

「いっ! ったぁ……」

 だが出てきたのは吐息のような声だけ。涙目になるグラウにディートリヒは告げた。

「やせ我慢しないでっていつも言ってんじゃん。特にこういう時の傷は、化膿したら手足の切断とか、最悪死ぬんだよ?」

「…………。今までそんなことなかったのに?」

「今までの奇跡と今を一緒にすんな!」

 ペーストで覆われた背中に、煮沸と日光で消毒した清潔なバスタオルを乗せる。

「ほら、包帯を巻くから体起こして」

「うい」

 ベッドの上で四つん這いになったグラウの体に包帯を巻く。まだ若干肋骨が浮いているその体に、ディートリヒは無意識に眉根を寄せた。

「……グラウ、肉ちゃんと食べてる?」

「食べてる」

「そうか? ちょっとあとでチャーリーん所に行ってくるわ」

「肉?」

「そう。なんかリクエストあるか?」

「なんでもおいしいからいい」

「それが一番困るんだって」

 劣悪な環境にいたせいか、それとも素で言っているのか、グラウはなんでもおいしいと言う。会心の出来と言えるものから、うっかり焦がしてしまったものまですべてだ。製造責任者が後で食べて処分するはずだった、炭寸前のパンや野菜炒めをもりもり食べた時は目を疑った。

 少しずつ自分の意見を言えるようになってきたとはいえ、こちらからすればワガママには程遠い。唯一のワガママが復讐なのだから、先が思いやられる。

「はい、巻き終わったぞ。これでしばらくは安静な」

「はーい」

 グラウがゆっくりとうつ伏せに戻る。傷は深いものの、まめに薬草を塗ってタオルや包帯を取り換えておけば、痕も残らず綺麗に消える。

 妖精たちに付けられた傷は、消せる。だけどそれ以外は消えない。

 ネヒターに、エデルガルトに付けられた傷は、どれだけグラウが成長し、薬草を煎じても決して消えない。体も、心も。

 はふう、とグラウの口から安堵のため息が出た。険が取れた穏やかな顔。体が冷えないように毛布をかけてやり、柔らかな髪を撫でる。

「……無事でよかった」

「ん、ディートリヒが来てくれたから」

 ぽろりとこぼれた言葉に、グラウがそう返す。

 実際、ディートリヒが来てくれなければ、グラウもリリィも無事だったかわからない。彼が一時的に精霊の森を掌握し、妖精の魔法を解除しなければ、グラウは殺されていた。

 その安堵がどれだけ大きなものか、彼はまだ理解できていない。

「グラウはさ、自分の命を軽く見過ぎなんだよ」

 ディートリヒがそう言うと、グラウもスンッと無表情になる。

「そりゃあまあ、何度も死んで生き返ってるし」

「その経験則をアテにしちゃ駄目だって、何度も言ってるよね? また聞きたい? 俺らが寝込んだ時のこととか、決起集会が起こりそうになったこととか」

「待って、それはちょっと、勘弁して……!」

 グラウが毛布を手繰り寄せ、頭までかぶった。ディートリヒがため息をつく。

「聞きたくないなら、もうちょっと自分の命を大切にして。悪魔の力のせいで死ねないんだってことも自覚しなよ?」

「いやそれは十分自覚してるから……」

「本当に?」

「本当。首を絞められた時は久々に死を覚悟した」

「…………。それだけ?」

「え?」

 声色が低くなったディートリヒに、グラウは毛布の隙間からそっと窺う。それこそが無自覚の証拠だった。

 ディートリヒの口からでっかいため息が出る。

「はぁ~……。グラウ、その姿勢のままでいいからちゃんと聞いて」

「あっ、はい」

 かぶっていた毛布を肩まで引き下ろされ、グラウは一週間ぶりに説教された。


 三年前、父パスカルが彼を連れて帰ってきた時、ディートリヒとマーガレットは文字通り椅子から転げ落ちた。

 事前に念話で、そういう子どもを拉致……もとい、保護したと連絡は入っていた。だが、思っていた以上に小さな体と、そこに刻まれた無数の傷は、兄妹二人にとってあまりにも受け入れがたかった。

 長命な竜人は、二十代で体の成長が止まる。さらに規格外の魔力量や竜の角で、周囲との違いを否応なく見せつける。

 ディートリヒも、マーガレットも、パスカルも、自分自身を周囲に受け入れてもらえるまでに長い時間を要した。帽子やスカーフで角を隠したり、言葉を尽くして相手の理解を求めた。時には手が出たし、こちらが理不尽に責められることもあった。それでも少しずつ理解し合える仲間は増えていった。

 だけど、グラウにはなにもなかった。名前も、両親も、語り合える友達も、なにもかもが。

 一体なんの恨みがあって、この小さな体にここまでの仕打ちができたのか。風呂はもちろん、食事も添い寝も、村では当たり前にあるすべてに彼は怯えた。そのくせ自分の死には人一倍鈍感で、「生き返るから大丈夫」と言われた日は兄妹そろって寝込んだ。

 ディートリヒたちにとって、この村の人々は家族だ。悪魔と人間のハーフとか、それによる不死性とか関係ない。自分たちと同様、彼にも一人の人間として生きていく権利がある。

 それを脅かす者がいるならば。家族を害する者がいるならば。

 誰であろうと許さない。

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