プロローグ
夕日が森を橙に染める。
トパーズの幹。エメラルドやジェードの葉。ガーネットの花。インカローズの木苺。すべてがまばゆく反射し、目が痛い。
少年はその中で呆然と座り込んでいた。十三歳とは思えないほど小さな体は、石像のように動かない。正面で膝をつく銀髪の青年が、なにかから守るように彼を抱きしめていた。
「グラウ、もう大丈夫。もう大丈夫だからね」
青年が優しい声で少年に呼びかける。グラウと呼ばれた少年は微動だにしない。見開かれた目が小刻みに揺れる。夜明け前の空に似た瞳に映るのは、現実離れした宝石の森の輝きと、青年のこめかみから伸びる流線型の角だけだった。
あたりにはツルと思しき細長い宝石や、不自然に飛び出た木の根に似た宝石がある。それらは形を保ったままのものもあれば、砂と見分けがつかないほど粉々になっているものもあった。
「遅くなってごめんね。怖かったね。僕らが来たから、もう大丈夫」
青年の声が呪文のように繰り返される。
聞き馴染みのない単語がゆっくりと浸透していく。胸を突き破ろうとしていた鼓動が肋骨の奥に隠れる。悟られぬよう細く繰り返していた呼吸が穏やかになる。恐ろしいと思っていた温もりが、体温と同化していく。
強張っていた体の力が、一呼吸のたびに抜け落ちていくようだった。
「うちに帰ろう。お風呂に入って、あったかいご飯を食べて、ふかふかのベッドで寝よう」
青年の言葉に、グラウは小さく頷く。抱擁を解くと、まだ少年の顔は青白い。青年は氷のように冷たい彼の手を取って、まっすぐに見つめた。
「君はなんでもできるんだ。なにをしてもいいんだ。ああでも、この力はやめておこうか。こんな力、グラウも使いたくないよね」
グラウが小さく頷く。
「じゃあ、まずは魔力のコントロールからやってみよう。最初は僕がつきっきりで見てあげる。そのうちディー……一緒に住んでいる人たちにも頼めるよう、お願いしてみるよ」
グラウがまた小さく頷いた。
「親父ー」
そこに、第三者の声が届く。二人が声のした方を見やると、森の奥から茶髪の男が駆け寄ってくるところだった。青年と同じような角が生えた彼を、父と呼ばれた青年が出迎える。
「おかえり、ディー。精霊様は?」
「妖精たちを集めて説教に入った。宝石の運び出しは明日以降でいいってさ」
男が肩をすくめて笑う。
「わかった。さあグラウ、帰ろう。立てるかい?」
青年の問いに、グラウはゆっくりとした動作で立ち上がった。
兄弟、あるいは親子のように、二人は手を繋いで歩き出す。その後ろを護るように、男が数歩遅れてついていく。踏まれた宝石の雑草が、靴の裏でパキパキと音を立てて砕けた。
途中で、グラウが不意に立ち止まった。
「…………あ、の」
「うん?」
青年たちも遅れて立ち止まり、しゃがんで彼の目線に合わせる。
「なにかな?」
「……ごめん、なさい」
青年たちを直視できず、グラウは目を伏せた。透明な輝きを放つ草花が少年を見つめ返す。物言わぬそれらに責められているようで、彼はぎゅっと目を閉じた。
「呪い、力、使っちゃって」
たどたどしいその言葉に、二人は顔をくしゃりとさせる。
「気にしなくていいよ」
「そーそー。あれは百パー妖精どもが悪い」
「…………」
グラウは目を伏せたまま動かない。かすかに震えるその体を、男がひょいと抱き上げた。
「わっ」
「ほら、早く帰ろうぜ。マリーが夕飯の準備してるんだしさ」
「ディー」
青年が男を止める。抱き上げられて目を瞬かせる少年へ、彼は訊ねた。
「グラウ、まだ言いたいことがある?」
「…………」
グラウは口を噤んだ。しかし、首を横には振らない。青ざめた顔で躊躇う姿は、こちらの胸を締め付けるほど痛々しかった。それでも二人は、ようやく意思表示
をしてくれた子どもの次の言葉を待つ。
日が傾く。太陽がさらに赤みを帯びる。
黄昏時のように真っ赤な少年の髪が、陽光を浴びて少しだけ明るくなる。
「…………たぃ」
やがて、意を決したように、あるいは根負けしたように、その小さな唇が動いた。
「こ、ろし……たい」
男が目を見開く。青年が目を細める。
「……誰をかな?」
努めて優しく、静かに。そこに咎めるような雰囲気は一切ない。
それが少年の背中を押した。
「女王様」
縋るように。
グラウは小さな声で、しかしはっきりと答える。
「女王様を、殺したい」
深く昏い瞳の奥に、熾火のような灯がともった。
――それから、三年の月日が流れた。
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