(3)苦しみと悦びと
社員として働く、フリーで働く、それぞれの違いは作業量もそうだが収入基盤の安定性だろう。
フリーで仕事をする分に、○kで○円みたいな感じで、書いた分だけ報酬となる。
ただ、一つのゲームで必要なテキストの絶対量は変わらないので、書けば書くほど報酬が増えるというわけでもない。
他のメーカーは社員のライターが一人で書き上げることもあるのだろうけど、自分の関わっていたところは複数ライターだったので、仕事量も報酬も分割した分だけである。
ディレクターの知り合いがライブ等行われる多目的ホールの設営責任者だったため、シナリオと紹介してもらった設営バイトの掛け持ちをしていた。
シナリオライティングは会社での打ち合わせや、預かった資料をもとに自宅で行っていた。
会社の中で行う作業としては収録した音声をセリフ毎にカットしてファイルを分ける作業などもあり、マスターアップが近づくと、誤字脱字の確認やテキストを送った時に意図した演出が反映されているかを確認するデバッグ作業を泊まり込みで行っていた。
体力的にはきつかったが、完成に近づいていくゲームを見るのは楽しかった。
出来上がった作品のクレジットに自分のペンネームが載るのは嬉しかった。
エロゲの批評データベースサイトなどで自分がシナリオを担当したルートのキャラクターが褒められているのを見ることも、とても嬉しかった。
そこから離れたのは、金銭的な理由だった。
フリーなのだから、シナリオを書くにしても掛け持ちするような筆の速さなどもあれば良かったのかもしれないけれども、シナリオの報酬が半年で12万ほどだった時に厳しいなと感じてこの業界を離れた。
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その後に個人的に文章を書いたり、その会社のディレクターの伝手で別のメーカーのシナリオに関われる機会もあった。でも色々あって上手く噛み合うこともなく、文章を書く行為自体がめっきり少なくなってしまった。
こうしてとりとめもなく文章を書き進めていて感じたのは、形や上手さどうこうよりも、きっと書いていて感じたものを大事にするべきだということ。
好きだったこと、楽しいと思ったこと。
何か書くって、キーボードを思考の数よりも早く叩くのが楽しい。
鉛筆を持って書くのも良い、PCでとにかく文字数を多く入力するのも良い。
頭に浮かんだ何かを形にする行為なのだと思った。
最近までずっとモヤモヤと頭の中で渦巻いていたのは、形になれずに停滞していた自分の心。
調子がいい時は、タンタンタンとリズミカルに文章は進む。
頭の中に思い描いた展開やセリフを文章に起こしていくだけだ。
それは、映画が流れているのを見ながら書き記していく感じ。
漫画を読むのが好きだった。
描くことができれば書きたい、と思っていたのだけれどそれでは形にならない。
でも、文章でならーー
そう考えたから文章で作品作りをすることにシフトしたのを思い出した。
いま、これを書きながら。
良い兆候だ。
思い出してきた。




