夢現の決戦
烙禮のフェアレディは、鋼線と罠の連携を得意とする。
遊園地と言う舞台を選んだのも、彼女が得意とする罠を仕掛けるのに都合が良いからで――踏み出した瞬間、俺の足元が爆発する。
フェアレディの口端が歪んで――炎熱で黒焦げになった右足で、俺はそのまま踏み込み――彼女の笑みが消えた。
激痛を振りほどくように、俺は魔力を流し込む。
使い物にならなくなった右足を魔力線補強――蒼白い補強線が右足に絡みつき、筋と骨を形作り、内奥から迸る魔力に従って操縦を開始する。
右で踏み込み、左で駆け抜ける。
ドッ!!!!
地面が弾け飛び、仕掛けられた地雷が炸裂した。
「アルスハリヤァ!!」
緋色の両眼が閻いて、俺は、宙空で溶け落ちる最善の可能性を掴み取る。
火炎の只中を片手で掻き分けて、黒煙を掻き消しながら、吹き飛ぶようにして前に進む。
フェアレディが用意した鋼線の巣、その舞台上へと飛び乗って、鋭利なその線でズタボロになりながら俺は駆ける。
廻り続ける観覧車の上で、待ち受ける魔人は、風切り音と共に両腕を振るう。
避け損ねた俺の小指が吹き飛び、その犠牲を省みず、高く高く、蝋の翼も持たずに天高く駆け上がっていく。
蒼と白。
魔力の励起反応、月夜に踊る火花、赤黒い血で服装規定を整えて。
一本の蜘蛛の糸を辿り、俺は、ひたすらに疾走する。
「チッ」
フェアレディは、十指を振るい、俺が乗っていた鋼線が歪曲し――同時に、俺は跳んだ。
満月を背景に。
月夜に浮かぶ緋色の両眼、俺はその眼を開いて、ぼんやりと浮かぶ払暁の下に刃を構えた。
「よぉ」
無表情で、俺は、ささやいた。
「覚悟は出来てるか」
振り――下ろす。
重なった視線と視線、紫電が跳ね跳ぶ。
幾重にも重ねられた鋼線が、俺の斬撃を柔らかく受け止める。
「あぁ、今宵の月も美しい」
俺の前で、フェアレディは微笑を浮かべて――来る――小指、薬指、中指、人差し指、親指!!
凄まじい速度で動いたその指、それに対応する糸、それらすべてを払暁叙事で捉え――叩き落とす。
鋼の音が連続的に響き渡り、上下左右から迫りくる鋼線に鋼刃を合わせ、宙空で俺は刀剣を振るい続ける。
剣嵐に突っ込んだ俺の全身は、肌色から赤色へ、脳天を貫く激痛は意図も介さず、ただ眼前の魔人を斬り続ける。
「愚者……いや、この狂者が……!!」
下方の死角。
跳ね跳んだフェアレディの膝が、俺の鳩尾を貫いて息が止まる。
ひゅっ!!
きらりと、月明かりに照らされて、致死の鋼線が迫る。
息だ。
その死を見つめながら、俺は、己に叫ぶ。
息をしろッ!!
「がはっ!!」
寸前、俺は呼吸と同時に回転し、鋼線を弾き飛ばす。
鞘を身体の下に敷いて、張られた鋼線を滑り落ち、回るゴンドラのうちのひとつに落ちる。
「げほっ……がはっ……はっ……はっはっはっ……!!」
揺れるゴンドラの上で、俺は血反吐を吐いて、血溜まりの中に突っ伏す。
笑い声。
愉しそうに嘲笑いながら、フェアレディはこちらを見下ろしていた。
「あぁ、あぁ、なんたる無残! 生ゴミの中で、藻掻き続ける蛆の一生! 己の勝利を信じた蛮勇の勇者よ! 理想を追いかけた盲者よ! 赤色の夢を視ながら、己の死を俯瞰する夢遊者よ!
どうか、その悲劇に浸らずに! 敗北を認めることも勇気と呼んで! 慈悲を求めて、頭を垂れてみせて!」
「うるっ……せぇよ……」
ふらつきながら、立ち上がり、俺は笑った。
「三流役者が……自分の脚本しか読めねぇ無能が……これから、アドリブが効くか、じっくり審査してやるから……」
血にまみれた両手で、俺は、九鬼正宗を構える。
「立ち位置を変えるなよ……その幻の中に、一生、立ってろ……」
嬉しそうにフェアレディは、顔を歪めて――ダンッ!
ゴンドラを勢いよく揺らしながら、踏み込んだ俺は、回り続けるゴンドラを足がかりにフェアレディへと迫る。
その瞬間、視界が傾いて、フェアレディは両手を交差させていた。
「あぁ、美しい……悪と正義の対立構図……無垢なる光の哀憐細工……我が肢体を求める怪人……頭から潰れて、真っ赤な花を咲かせて……」
音もなく斬り刻まれた観覧車が、崩れ落ちてゆく。
空中に投げ出された俺は、導体を付け替える。
導体、接続――『操作:重力』、『変化:重力』――発動、重力制御。
落下。
落下、落下、落下!!
払暁叙事で捉えた最善の想像、俺は両手指を動かして、同様に墜落する観覧車の素材とゴンドラの重力を操作し、同様に俺の自重も軽くする。
あたかも、パズルを組み立てるように。
右手の小指を失くしたから、全部で九指、フェアレディの手練手管を参考に、緋色の可能性をそのまま構成してゆく。
重力変化を起こした素材が、俺の右足へと落ちてきてからふわりと浮き上がり、それを足がかりに――俺は、勢いよく跳ね上がる。
両足から蒼白い閃光が迸り、墜落する数多の素材とゴンドラを足場にして、真っ直ぐにフェアレディへと突っ込む。
「こ、コイツ……!?」
驚愕。
フェアレディは目を見開いて、十指を振るった。
飛翔するゴンドラ、勢いよく俺へと叩きつけられ――斬――真っ二つになったゴンドラの中へと飛び込み、内部の座席を蹴りつけて――外へと飛び出した俺は、白刃を腰の位置で構える。
「言ったろ」
俺は、魔眼で、魔人を捉える。
「幻で立ってろ」
フェアレディは、腕を振――右で振り抜くと同時に、左の甲で刃を跳ね上げ――魔人の両腕が吹き飛ぶ。
ゆっくりと、フェアレディの表情が変化していく。
刃を返す。
俺は、そのまま、フェアレディの脳天へと刀刃を叩きつ――フェアレディは、嘲笑いながら、大きく口を開いた。
真っ赤な口腔。
その内部で、複雑怪奇な機構を描いて、罠の糸が張り巡らされている。
口の中に隠された鋼線で形作られた矢の発射装置、艶かしく舌を動かした魔人は、その引き金を引いて――俺の右胸に、矢が突き刺さった。
息が止まって、力が緩んだ。
「O Hero, Hero! Wherefore art thou Hero?」
口を開けながら、しゃべった魔人の両腕が再生し……一撃。
二撃、三撃、四撃、五撃、六撃。
いつの間にか、右腕と左腕に鋼線が食い込み、滅多打ちにされた俺は血反吐を吐き――ぐるんっと、視界が、勢いよく回転する。
「Bye, Hero!」
そして、飛んだ。
ぎゅるんっと、回転しながら、俺はミラーハウスへと叩き込まれる。
外壁を突き破り、内装をめちゃくちゃに。
半ば意識を失っていた俺は、上下左右の鏡に映るズタボロになった自分を見せつけられ、何枚もの鏡を自分の身体で叩き割りながら振り回されて――ポイ捨てされる。
頭、肩、背中、腕、腕、足、足、腹、腹、頭。
全身を地面に打ち付けながら、転がっていって、ようやく止まる。
「…………」
ゆっくりと呼吸しながら、俺は、どろりと流れる赤色を見つめる。
やっぱ、つえーわ、魔人……どこもかしこもいてぇ……もう少し、俺が強ければ、勝機もあったんだろうけど……さすがに、お釈迦様の手のひらの上で、お釈迦様相手に勝とうってのが無理な話か……。
「まぁ……でも……」
両手足に力を籠める。
全身に突き刺さったガラス片から血が滴り落ちて、俺は、笑いながら立ち上がる。
「お前には……絶対……敗けてやん――」
また、視界が回転する。
次は、メリーゴーラウンドへと叩きつけられ、すべての木馬を破壊してから地面を転がされる。
「…………」
真っ赤に染まった、自分の両手を見つめる。
赤黒く染まった両手は、小刻みに震えていて、俺は立ち上がろうとして――転ぶ。
何度か、顔を打ち付けながら、ようやく立ち上がる。
視界まで、赤色に染まっていた。
ふらふらとしながら、俺は、狭まった視界に魔人を入れ続ける。
「あぁ、なんと愚かな!」
両手を組んだフェアレディは、泣きながら訴えかける。
「なぜ、立つのですか! 貴方は、この世界の脇役! 私と言う主役の影に潜む卑しい下僕であるにも関わらず!」
嘲笑いながら、フェアレディは、俺にささやきかける。
「この世界では、誰も、貴方を求めていない……お邪魔者だと言う理解はお有りですか?」
「今更の……話だろ……」
血溜まりでぬかるむ両足、俺は、必死に立ち続ける。
「もう、楽になりなさい。立たないで良いのですよ。この先、貴方が報われることはない。ただひたすらに、ゴミのように扱われてなにを得られると言うのですか?
現に」
嬉しそうに、フェアレディは微笑む。
「クリス・エッセ・アイズベルトは貴方を見捨てた。
そうでしょう?」
「…………」
「かわいそうに。貴方に必要なのは、慈愛の精神、この素晴らしき私の誠意。
さぁ、おいでなさい。貴方を愛で包んであげましょう。さすらば、貴方は救いの道へと至り、世界は輝きで満ちることになる。
さぁ、さぁ、さぁ! 私の胸に抱かれて、幸福になりなさ――」
「くっ……ふはっ……」
思わず、俺は吹き出して、フェアレディは怪訝そうに小首を傾げる。
「……なにがおかしいのですか?」
「そりゃあ、おかしいだろ……人間の複製品如きが、愛を語るなよ……なんで、俺が立つのかも理解らずに……下卑たセリフを並べ立てる大根役者が……才能ねーんだよ……脚本を書く才能も……主人公を演じる才能もな……」
脇腹に突き刺さった木片、そこから大量の血を零しながら、傷口を押さえた俺は彼女を嘲笑う。
激痛に苛まれながらも、ただ、信じ続ける。
魔人が解せない愛を。
「良いか、教えてやるよ……よく聞け、魔人……今回の物語の主人公は、お前でも……もちろん、路傍の石みたいな俺でもない……自分の弱さに立ち向かって……ただ、ひたすらに、暗闇の中を邁進する……何度も……何度でも立ち上がって……諦めない……そこに筋書きなんてない……闇の中を進み続ける強さを持っている……舗装された道を進むお前みたいな雑魚じゃあ、とても理解出来ないもんなんだよ……だから、教えてやる……魔人……主人公ってのは……」
「もう良い」
俺は、魔人を人差し指で指す。
「死ね」
「主人公ってのは……」
魔人は、片腕を振って――俺は、笑った。
「遅れてやって来る」
俺とフェアレディの間に、杖が突き刺さった。
地面に亀裂が走り、鋼線が千切れ飛び、余波で魔人の両腕が上がる。
意表を突かれて、フェアレディの顔が歪んだ。
満月の夜。
ふわりと、人影が下りてくる。
紫色のマントが揺れて、月光を浴びた白金の髪が輝いた。
『至高』の位を戴く魔法士、錬金術師、弱冠19歳で魔法結社『概念構造』に属した天才児。
その肩書をすべて捨て去り、たったひとりのクリス・エッセ・アイズベルトとして……彼女は、己の意思で、舞台へと下り立った。
「悪いな」
闇夜に着地して、今宵の主役は、そっとささやいた。
「折角のデートなのに遅れた」
俺は、苦笑して応える。
「ホントにおせぇよ……主役が遅れてどうすんだ……」
「なにをホザイてる?
主役は、最初からお前だろうが」
髪を掻き上げて、美しい笑みを浮かべた彼女は――俺へと、手を差し伸べる。
「行けるか、私の彼氏?」
俺は、彼女の手を握り、笑いかけた。
「そっちこそ大丈夫だろうな、俺の彼女?」
「誰に物を言ってる」
彼女は、満面の笑みで答えた。
「私は、クリス・エッセ・アイズベルトだぞ」
「さすが、俺が愛した女」
夢幻の恋人同士は、笑い合って、手をつなぎ――
「じゃあ、そろそろ、この夢幻ごとあのクソ魔人を――ぶちのめしてやろうぜ!!」
「あぁ!!」
ふたりで、並び立った。