魔人の誘惑
「もちろんだよ、母さん」
表情を凍らせたクリスの横で、俺は、魔人に笑いかける。
芝居がかった動きで、感謝を伝えてくるフェアレディは、俺の前までやって来て……ぽんっと、クリスの肩に両手を置いた。
「ヒイロ、家族という関係性に素晴らしさを感じませんか?」
彼女の白金の髪に指を通して、フェアレディは言の葉を吐いた。
「決して、互いを裏切らない……いえ、裏切れない絆がある。生まれ落ちた瞬間に、血縁と言う名の呪いを受けて、生涯を辿ることになる。親兄弟の縛りから逃れられる者はいません。
あぁ、なんて、深き愛と情でしょうか」
「驚いたな、母さんが愛と情なんて言葉を口にするなんて」
笑いながら、俺は、微動だにしないクリスを見つめる。
「そういうのは、人間の専売特許だと思ってたよ」
「ヒイロ、なにを言い出すんですか」
両手を組んだフェアレディは、真っ黒な目で俺を捉える。
「我々は、人間でしょう?」
硬直したクリスは、自分の腰の辺りを凝視していた。
そこに、なにが居るのか。
震える手で、彼女が、なにかを撫でつけようとして――俺は、フェアレディの右腕を思い切り握り込んだ。
「どうしましたか、ヒイロ?」
「ただの嫉妬だよ、母さん。姉さんばかり構うから」
「遊んで欲しいの?」
下から覗き込んでくるフェアレディに、俺は満面の笑みで答える。
「いや、遊んであげるよ」
瞬間。
海水が引いていき、空の青色が抜けて、フェアレディ・ハウスが折り畳まれてから虚空へと吸い込まれる。
代わりに、観覧車、メリーゴーランド、空中ブランコにコーヒーカップが吐き出され、空は真っ黒に染まって、歓声が聞こえてくる。
色鮮やかな光彩が揺れ、宵闇に飛び去っていく風船が視えた。
誰ひとりいない遊園地で、ユリウス・フチークの『剣闘士の入場』が垂れ流され、半透明の人影が園内へと入場していく。
フェアレディは、クリスから手を離し、気がついた彼女は周囲を見回した。
「……みゅ、ミュールは?」
やっぱり、幻覚を見せられてたか。
俺は、彼女に寄り添って、そっと耳元にささやく。
「しっかりしろ、クリス。ミュールはココに居ない。俺たちは、フェアレディの精神世界にお邪魔してる最中だ。
わかるか?」
「あ、あぁ、そうだったな」
彼女は、ニッコリと笑う。
「私たちは、母さんと一緒に遊園地に遊びに来たんだったな」
思わず、フェアレディの方を振り向く。
彼女は、人差し指を唇に当てて、嬉しそうに小首を傾げていた。
「違う。お前は、クリス・エッセ・アイズベルトだろ。ようやく、ミュールと仲良くできそうなのに、こんなところで魔人如きに惑わさ――」
ドンッと、腰を殴りつけられる。
下に目線を向けると、長い白金の髪をもつ小さな女の子が、俺のことを睨みつけていた。
「おねえさまをいじめるな!!」
刹那、理解する。
このクソ魔人、整合性捨てて、登場人物増やしやがったな……クリスの記憶から、過去のミュールを創り上げやがった……!
「ミュール、良いんだよ。ヒイロは、私の弟なんだから」
ちっちゃなミュールを抱え上げて、クリスは、今まで視たこともなかったような笑顔を浮かべる。
なるほど、人様の弱点はお見通しってか。
どうして、フェアレディが家族と言う設定を選んだのか理解った。それこそが、クリス・エッセ・アイズベルトの望んでいた願いで、ココを突けば、彼女は簡単に籠絡出来ると思ったからだろう。
「家族……家族、そうだ……私とミュールは、元から仲の良い姉妹だった……アイズベルト家……違う……私たちは、最初から、仲が良かったんだ……どうして、近づいたらダメなの……一緒に遊んだら怒るの……出来損ないってなに……なんで、ミュールには玩具をあげないの……」
虚ろな目で、クリスは、ぼそぼそとささやく。
ミュールの姿をした幻はほくそ笑み、縋るようにクリスの手を握った。
「おねえさま、こんな男はほうっておいて、いっしょにあそび――」
俺は、幼女の腹に前蹴りをブチ込み――呼吸が止まった彼女と目が合う。
「壱の型――」
間髪入れず、俺は、二撃目を脇腹に叩き込んだ。
「老若男女無差別拳ッ!!」
思い切り、吹き飛んだ小さな身体に追いついて、浮き上がった彼女の背中に組んだ両手を叩きつける。
「弐の型、寝取られ防止措置!!」
地面に叩きつけられたミュールは、わんわんと泣き始めて、ポケットに両手を突っ込んだ俺は彼女に唾を吐きかける。
「おととい来やがりしくされ、三流がァ……おれの女に手ェ出しおって、覚悟出来とんじゃろうなわれェ……!!」
血相を変えたクリスが、俺と彼女の間に割り込んでくる。
「ひ、ヒイロ、お前、正気か!? なにをする!?」
「正気じゃねぇのはお前だろ」
両手を広げるクリスに、俺はささやきかける。
「お前が護りたかったのは、そこでわんわん泣いてるクソガキか? あ? 捉え間違えてんじゃねぇぞ、クリス・エッセ・アイズベルト。全身に矢を浴びてでも、護りたかったのは、お前の大事な妹なんじゃねぇのか。
こんなところで、捏造された思い出護ってどうすんだ?」
「ね、捏造……な、なにを言って……」
混濁する意識。
フェアレディの魔法で混乱しているクリスは、この世界に幼き日のミュールが居ることを疑問にも思っていない。つまるところ、彼女の思考はかき乱されており、どんな捏造でも受け入れる下地が出来ているということだった。
だから――
「お前は、俺の恋人だろ?」
俺は、笑顔で、嘘を吹き込んだ。
「こ、恋人……?」
フェアレディの笑顔の仮面に、ひびが入って、彼女はすうっと笑みを消した。
ニヤニヤと笑いながら、俺は、クリスの肩を掴んで抱き寄せる。
「…………」
戸惑ったように、赤い顔のクリスはソレを受け入れる。俺は、渾身のニヤけ面を魔人へと向けた。
「お、おねえさま、そんな男の言葉を信じたらダメです!!」
「おいおい、キャンキャン吠えるなよ負け犬。クリスは、俺を選んだんだ。とっとと、お家に帰って、泣きながらアンパン○ンの再放送でも視てな」
魔人を見つめたまま、俺は、舌を出してクリスの頬を舐めるマネをする。
完璧な三条燈色ムーブを見せつけた俺は、笑いながら、魔人に視線をぶつけた。
「勝てると思ったか?」
俺は、笑う。
「俺とお前じゃ、役者が違うんだよ。
悪いが、こっちは」
クリスを抱き寄せたまま、俺は、真正面から魔人に挑戦状を送りつける。
「百合ゲー史上、最悪最低のクソ野郎だ」
鋼線が飛ぶ。
ソレは、俺の首に巻き付いて、鋭利な刃が赤い線を描いた。
闇夜に浮かぶ死線。
回る観覧車を背景に、七色の光を浴びた鋼線がきらめき、立ち尽くす魔人の影が地に落ちる。
逆十字。
まばゆい光を浴びて、両手を真横に広げた魔人の影は、逆さになった十字架を描いていた。
彼女は、ゆっくりと、顔を上げる。
「…………」
幾重にも張り巡らされた光刃の向こう側に、闇夜よりも濃い黒点がふたつあった。
こちらを睨めつける魔人の前で、俺は、微笑を浮かべる。
「お願いだから、殺さないでよ、母さん。母さんは素晴らしい女性で、選ばれし存在で、誰にも劣ることがない主役なんだから。
俺如きを脅威だと思って、こんなところで殺したりしないよね?」
「…………」
「わかるよ、ココで俺を消すのは簡単だって。俺は、母さんを理解してるんだから。でも、こんな中途半端なところで、俺を精神世界から消し去ったりしたら、ドラマ性なんて欠片もない。母さんに相応しくないよ」
「…………」
「なぁ、主人公」
深く食い込まれていく鋼線、一周している赤黒い液体を垂れ流しながら、俺は魔人に笑いかける。
「ドラマティックに殺し合おうぜ」
ひゅんっ。
風切り音と共に鋼線が引っ込んで、笑顔を取り戻したフェアレディは、両手を組んだままこちらを見つめる。
「息子の反抗を許すのも、慈母の役目。
でも、ヒイロ、貴方が私を理解しているように、私も貴方を理解していることを忘れてはいけませんよ。戸棚からチーズを盗み食いするネズミは、ゆだった熱湯に入れて、どろどろに溶けるまで煮込んでしまいますからね」
「そのネズミが捕まればね、母さん」
クリスの肩をぽんぽんと叩いて、彼女は、ようやく正気を取り戻す。
「三条……燈色……ココは……お前、どうした、その傷……?」
「猫に説教喰らってたんだよ。
行こうぜ、家族みんなで遊園地だ」
「あ、あぁ……」
ミュールの幻はかき消えて、クリスは何度も目を瞬かせる。
奇妙な魔人と人間の家族は、遊園地で家族ごっこに精を出し、疲れ果ててから家へと戻った。
その次の日。
稽古を付けてもらうために、クリスを呼び出した俺は――
「無理に決まってるだろうがっ!! ふざけるな、クソが、ボケが、死ねッ!! 死ね死ね死ね死ね死ねッ!! 二度と、私に話しかけるなッ!! なにが稽古だ、このケダモノがッ!!」
稽古内容を話した途端、ボロクソに罵倒されていた。