恋人ごっこ
砂浜。
穏やかに打ち寄せる波の音を聞きながら、俺とクリスは対面している。
濡れても良いようにか、シャツとハーフパンツ姿になった彼女は、俺よりも歳上の筈なのだが可愛らしい少女のようにしか視えない。
「クリス」
潮風を浴びながら、彼女はなびく髪を押さえつける。
「まず、俺は、あんたに信じてもらわないといけない」
「なにを?」
「勝利、そして、俺自身を」
ふざけるなと言わんばかりに、錬金術師の称号を持つ少女は、肩を竦めて見せる。
「勝利はまだ良い。私の人生を彩ってきた良き友だからな。
だが、三条燈色、私はお前に『友』の一文字を与えてやるつもりはない。お前に授けてやれる一文字があるとしたら『敵』だ」
「おいおい、誰が仲睦まじく、お友達の絆を結びましょうなんて言った?
ただ、俺を信じれば良いだけだ。信頼関係、ビジネスライク、感情的な繋がりは一切もたない仮初の関係性だよ。得意だろ」
「で、その、仮初の関係性に『恋人繋ぎ』なんて戯言が出てくる理由は?」
水飛沫がかかって、俺は、頬を拭う。
「クリス、怪我はどうした?」
「なに?」
「怪我だよ。
初日、俺もお前も、解熱剤と痛み止めを飲んだ筈だ」
俺は、しゅるりと頭の包帯を解き、綺麗に消え去った傷口を見せる。
「解熱剤と痛み止めの錠剤、それにミネラルウォーター、アレはいつも持ち歩いてるものだろ?」
「……あぁ」
「着替えた時、錠剤とミネラルウォーターは手元にあったか?」
「…………」
「俺たちは、この世界に取り込まれつつある。だから、現実の肉体が負っている傷も消え去って、携帯物も消えている。
いずれ、自分がなにを持っていたどころか、自分が何者かすらもわからなくなる」
立ち尽くすクリスの前で、俺は苦笑を浮かべる。
「ただ、コレでハッキリしたのは、フェアレディの精神世界は完全無欠じゃないってことだ。解熱剤も痛み止めも、その存在を知っていたのはクリス、お前だけの筈で……ソレを取り出せたってことは、この世界に、お前の意思も反映出来るってことだよ」
「つまり、私たちがその気になれば、魔導触媒器も想像して取り出すことが出来る……?」
「それどころか、本来の俺たちが持ち合わせないような実力も発揮出来るようになる筈だ。
だからこそ、ココでなら、フェアレディを倒せる」
数秒の沈黙。
その後、クリスはゆっくりと口を開く。
「……無理だ。
この精神世界の基盤はフェアレディで、彼女の思うがままにこの世界を組み替えられる。我々に許されていることは、飽くまでも、己に紐付けられた事物を具象化することだけだ。
実際、フェアレディに攻撃は当てられなかった」
「いや、当たる」
「なにを証拠に?」
原作ゲーム。
とは言えないので、俺は、誤魔化すように口端を曲げる。
「フェアレディの精神基盤は、あまりにも強大すぎる。魔人には道理が通用しない。だから、アイツの精神性を理解出来ない人間には、攻撃を当てることすら敵わない。解せないものは夢幻と同じだからな。
だから、俺たちは、アイツを理解する必要がある」
「つまり?」
「俺たちは」
一際、波が高く打ち上がって。
眼前に落ちる水滴を透かして、俺は、クリスに微笑みかけた。
「これから、フェアレディを愛する」
「バカな、このまま、家族ごっこを続けるつもりか……!?」
「接近戦だよ。食うか食われるか。俺とお前の精神性が、ヤツの異常性に打ち勝つか。
勝負と行こうぜ」
足元の土を蹴り上げて、クリスは唸り声を上げる。
「喰われるぞ、間違いなく……あの狂気に勝てる道理があるか……!!」
「勝てる道理はひとつある。
魔人を解して、魔人には解せないものを創り上げることだ」
「なに?」
「言ったろ、夢と幻を投げつけるって」
怪訝な顔つきの彼女に、俺は正解を放り投げる。
「愛だよ」
「愛……」
ようやく、理解したのか、クリスは苦笑混じりにささやく。
「なるほど、ようやく、理解った。それで恋人繋ぎか。家族ごっこに恋人ごっこまで追加するつもりか。
どこまでおままごとが好きなんだ、お前は? 次は、砂遊びでもするつもりで、外に誘ったのか?」
クリスは、俺の胸ぐらを掴み上げる。
「ふざけるなよ、この戯けが……ッ!! 私がそんなもの解せると思ったか……!? それもお前相手に……ッ!! 私はお前のことを縊り殺してやりたいくらいには嫌っている……恋愛どころか、家族愛も受け付けるわけがない……ッ!!」
「出来るさ」
無抵抗の俺は、ニヤリと笑う。
「同じくらい、憎んでた妹を愛せたんだからな」
力が緩んで、クリスの顔が、見る見る間に赤く染まっていく。
「ち、違う……私は、ミュールを救うことに幸福なんて感じていなかった……!! ただ、借りを返しに来ただけだ……ッ!!」
俺がニチャァと笑うと、赤い顔の彼女は、ガクガクと揺さぶってくる。
「その気色悪い顔をやめろ、カスが!! ボケ!! お前みたいな気持ちの悪い男と恋人ごっこなんて絶対に嫌だ!! 恋人繋ぎなんて、想像しただけで、吐き気を催す!!」
クリスの想いを受け取った俺は、感情が一気に昂ぶって、思わず彼女の胸ぐらを掴み返していた。
「俺だって嫌だよ!! でもなァ、俺は、お前を信じてる!! お前がミュールを助けた時に『幸福』を感じていたと言う結論に至った時、お前なら、ごっこ遊びを続けても妙な雰囲気になることはないって!! そう信じたから、俺は、こんな戯言を口に出してるんだよ!! 俺は、俺はァ!!」
泣きながら、俺は、膝をつく。
ズボンが海水を吸い取って、その冷たさに凍えた俺は己を抱いた。
「あ、あんたとミュールの……未来を……咲き誇る白い百合の花を……護りたいんだよ……そ、そのためなら、この苦しみも甘んじて受け入れる……夢と幻だ……飽くまでも、ごっこ遊びの延長なんだよ……悪い……夢なんだ、コレは……」
あまりの辛さに、俺は、蹲って嗚咽を上げる。
「クリス……俺たちは、フェアレディに気に入られてる……つまり、ヤツの考える『不幸な人間』に当てはまっていて……フェアレディは、ヤツの思い描く家族物語通りに、俺たちを『幸福な家族』に作り変えることを望んでいる筈だ……コレが、どういうことかわかるか……わかるかァ……!?」
「お、落ち着け。わ、わかったから、そんなに泣くな」
「フェアレディは、自分のことを家族物語の主人公だと思っていて……自らの手で、俺たちのことを救おうとしてる……だったら、別方向から、その物語をぶち壊してやれば良い……ヤツの手は介さずに、俺とお前で勝手に幸せになるんだ……そうすれば、ヤツの精神世界は、その物語ごと崩壊する……」
「お、おい、待て……それは、つまり……?」
赤々と色づいた顔で、クリスは、ゆっくりと後退る。
「ほ、本当に、お前のことを恋人だと思い込んで、幸せになれと言うことか……!?」
クリスは、恐れるように己の身体を掻き抱く。
「け、ケダモノがァ……!! お、お前、わ、私に、な、なにを……こ、こんな、い、命が懸かってる場面で、そ、そう言う目で、お、お前、わ、私を、み、視てたのか、お、お前ぇ……!?」
「俺だって、同じ条件だわクソがァ!!」
思い切り、砂浜に拳を叩きつけてから、俺は勢いよく海に飛び込む。
荒波に揉まれながら、俺は、どうにか正気を保とうと海中で暴れ回った。自然の暴虐性に身を任せながら、両手で顔を覆った俺は絶叫し、狂いそうになる自身をどうにかバタフライで鎮める。
力尽きて、俺は、砂浜に打ち上げられる。
「…………」
倒れ伏した俺は、光を失った目で、クリスを見上げた。
「……俺たち、恋人になろうよ」
「こ、こんなに、嬉しくない告白は初めてだ……」
しゃがみ込んだクリスは、恐る恐る、問いかけてくる。
「他の方法は……ないのか……?」
「……あったら、こんなことしてねぇよ」
俺は、指で、砂浜に相合い傘を書いた。
線で描かれた傘の下に『三条燈色』と記載して、一本線を挟んだ向こう側に『クリス・エッセ・アイズベルト』と書き込――
「うわぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
顔を赤くしたクリスは、足先で相合い傘を消し去る。
「ひ、人の同意もなしに、急に甘酸っぱいことをするなカスがァ!!」
「…………(呼吸停止)」
意識を失っていた俺は、クリスに蹴りつけられて目覚め、ダッシュで逃げていく彼女に目線を向けた。
「し、死んでたのか、俺……?」
「ほ、本当に、呼吸が止まってたぞ……お、おい、やめておけ……お互いのために、これ以上は無理だ……おいッ!!」
笑いながら、俺は、両腕に力を籠めて立ち上が――転んで、顔から、砂浜に突っ伏した。
「む、無理だ、他の方法を考えるべきだ……さ、三条燈色……意味がわからんが、お前の身体がもたない……!!」
「でも、やるしかねぇ……やるしかねぇんだよ……!」
俺は、ふらつきながら立ち上がり――笑いながら、クリスへと手を差し伸べた。
「クリス、俺を信じろ。コレは、夢と幻で、そう思い込むだけの話だ。
ココで、俺たちは――フェアレディを倒す」
顔を背けていたクリスは、ちらりと、俺が差し出した手を見つめる。
組んでいた両腕が、徐々に緩んでいった。
上気した頬で、彼女は、真正面から俺を睨みつける。
唸り声を上げて、足元の砂浜を蹴りつけ、目線を彷徨わせ、俺のことを視たり視なかったりを繰り返し……ようやく、組んでいた腕を解いた。
羞恥で赤く染まる彼女は、下唇を噛み、そっぽを向いて――俺の手を握る。
「………………死ね」
俺は、無言で、その手を握り返した。