精神世界の討伐戦
風呂から上がった俺は、クリスと別れて精神世界を見て回る。
そこには、海があった。
家から出てみれば、潮の満ち引きを繰り返す大海原が広がっており、俺は水平線の彼方を見つめる。
真っ赤な赤色が、青色に差して、渾然一体と化していた。
俺は、ひたすら、波打ち際を歩き続ける。
どこまでもどこまでもどこまでも、同じような景色が続いていき……気がつけば、俺は、反対側からフェアレディ・ハウスを見つめていた。
A->B->A->B->A……。
こんな感じで、同じ風景が連続していて、空間と空間の繋ぎ目を認知することは出来ない。
海原と砂浜しか存在していなかった視界に、唐突にフェアレディ・ハウスが出現している筈なのだが、『おかしい』と思える瞬間が根こそぎ消失している。
コレは、フェアレディの精神干渉による短期記憶障害の影響を示していた。
魔法と言えば、炎を生み出したり、対象を凍りつかせたりとするようなことを想像したりするかもしれないが。
それは、飽くまでも一例であり、魔法によって起こる事象は多岐に渡る。
例えば、炎を生み出す魔法は、粒子(魔術演算子)操作によって燃焼と言うオーソドックスな酸化反応を満たしているに過ぎない。
空気中に幾らでも存在する水素(H2)を燃焼物、静止した荷電粒子の静電気を点火源とし、空気中の酸素を操作して酸素供給を続ける。
魔導触媒器を用いれば、そんな面倒なことを考えなくても、燃焼の3要素を満たしてくれる。
魔導触媒器は、魔力と通称されるエネルギーを用いて、化学反応の途中経過をSKIPしたり、その場に足りないものを補ったり、使用者の想像を発動事象に落とし込んだりしてくれているわけだ。
そう言う見た目的に派手な魔法とは別に、人間の体内に存在する内因性魔術演算子を操作することで、アセチルコリンと言った神経伝達物質の減少を引き起こし、海馬機能を低下させることで短期記憶障害を起こす魔法も存在しているわけで。
まさに、俺が存在しているこの精神世界も、そういった細やかな魔法の連続で形作られている。
エスコ設定担当のブログを参照して、脳内で説明付けてみたが、実際にこの精神世界が魔法の領域に収まるのかは不明だ。
思考に耽っていた俺は、再び、歩き始める。
次に、俺は、フェアレディ・ハウスの横にある倉庫から、エンジン付きボートを引っ張り出してきて水平線に向かってみることにした。
見様見真似で、スロットルグリップを握ってエンジンをかける。
軽妙な音を立てて、ボートは発進し、波を切って切って切って……気がつけば、俺は、陸に辿り着いており、目の前にはフェアレディ・ハウスがあった。
「…………」
俺は、フェアレディ・ハウスに戻る。
「あら、おかえりなさい」
皿洗いをしていたフェアレディに笑みを向けられて、気さくな息子を装っている俺は片手を上げて答える。
引き出しを開けて、ライターを調達してから家の外に出る。
倉庫から、ボート用のガソリンを引っ張り出し、フェアレディ・ハウスを囲むようにしてたっぷりとかける。
ガソリンで導火線を描き、俺は、安全な場所から火を点けた。
あっという間に、火炎が家屋を包み込んでいき……ガチャリと、音を立てて、炎の中から魔人が笑顔を見せる。
「火遊びしてないで、おやつにするからいらっしゃい」
業火の只中で、何事もないかのように扉を開けるフェアレディに、笑いながら頷きを返した。
彼女は、満足そうに頷いて、扉が閉まって――次の瞬間には鎮火して、フェアレディ・ハウスは、元通りの姿を取り戻していた。
なるほど、大体、原作と同じだな。
「おい」
声をかけられて、振り向くと、渋面のクリスが立っていた。
「それは、もうさっきやったぞ」
「魔人のムカつく笑顔は、何度燃やしてもプライスレスだから」
俺とクリスは、並んで家に入って、仲の良い姉弟のように肩を並べた。
ハチミツがかかったパンケーキが、ホカホカと湯気を立てて、満面の笑みでフェアレディはささやく。
「さぁ、おやつの前にお祈りを! 我が神に祈りを捧げましょう!」
そう言って、彼女は両手を組んで、自分で自分に祈りを捧げ始める。
俺とクリスは、適当にソレにならってから、フォークをパンケーキに突き刺した。
「で」
フォークに断片を刺したまま、クリスは口を開く。
「どうだった?」
「どこまで行ってもフェアレディ」
「地獄の底を這いずり回る咎人になった気分だ」
うんざりと、首を振ってから、クリスはパンケーキにアイスクリームを載せてくれた母親に引きつった笑みを向ける。
「普通、こう言った精神掌握の魔法をかけられた場合の対処方法は3つ」
クリスは、ナイフとフォークで、パンケーキを3つの断片に分ける。
「ひとつ、精神世界内に潜んでいる魔法士を無力化する。
ふたつ、精神世界内の亀裂を見つけて広げる。
みっつ、諦める」
「よっつ」
俺は、フォークの先で、クリスの皿に載せられたアイスクリームを指す。
「精神世界を崩壊させる」
どろどろと溶けて、皿の上に引き伸ばされ、形を維持できなくなったアイスクリームを見つめたクリスは首を振る。
「お前の言う通り、考えてはみたが……出来たとしても、それは無理だ。
ココはフェアレディが掌握する精神世界で、彼女の世界が崩れればその上に立っている我々も崩れる。脱出方法を探らなければ心中するしかない」
「…………」
「おい、まさか」
俺は、切り分けたパンケーキを口に運ぶ。
「ココで、フェアレディを葬らないと、恩師に魔の手が及ぶかもしれない。ミュールも傷つけられるかも。
もし、俺とクリスがフェアレディへの信仰を獲得しないうちに、この世界から抜け出したら、ヤツは間違いなく俺たちの排除にかかる。その時に、犠牲になるのは俺とお前じゃない。フェアレディの性格から言って、まずは、周囲の人々から取り巻くように殺していく」
ハチミツの甘さを堪能しながら、俺はフォークを振る。
「夢畏施の魔眼を喰らった時点で、俺とお前の精神は掌握されて、その弱みは白日の下に晒されてるんだ。
なにが、一番、効き目があるかなんて、魔人様の掌の上だよ」
俺は、クリスを見つめる。
「悪いが、俺の天秤は、自分の命よりもあの子たちの未来に傾いてる。
なにがあろうとも、俺は、ココでフェアレディを消滅させる」
俺の視線を受け取って。
苦笑したクリスは、真っ白に溶け落ちたアイスクリームを見下ろす。
「……私は、お前が嫌いだ」
「そんな君が俺は好き」
「だが」
立ち上がったクリスは、アイスクリームを水で洗い流し――跡形もなくなったソレを見せつけ笑った。
「ソレ以上に、ソコで笑ってるソイツが嫌いだ」
「率先して、わたしのために、お皿洗いまでしてくれるなんて! クリス、貴女は、なんて良い子なんでしょうか! そして、そんな良い子を育ててきた偉大なるわたしは、どこまで素晴らしいの!」
フェアレディは、窓から差し込む日光を受けて、跪いて神様に祈りを捧げ始める。
その様子を見つめて、苦笑した俺は、クリスに手を差し出した。
「一時停戦だな」
間髪入れず、クリスは、その手を払った。
「勘違いするな。次はお前だ」
俺の座っている椅子を蹴飛ばし、腕を組んだクリスはドカッと椅子に腰を下ろす。
「それでどうする?」
「笑顔笑顔」
ぴくぴくと、頬を痙攣させながらクリスは笑って、母親に「ありがとう」と心無い言葉をかけていた。
「この世界で、フェアレディの精神世界を崩壊させる方法はひとつ」
俺は、笑う。
「俺とお前で、この世界に存在しているフェアレディを倒す」
もう一度、俺は、彼女に手を差し伸べる。
「協力プレイだ。
出来るだろ、お姉ちゃん?」
「誰に物を言ってる」
笑いながら、再度、クリスは俺の手を払った。
「私は、クリス・エッセ・アイズベルトだぞ」
満足して、俺は頷く。
「じゃあ、まずは」
笑顔と笑顔を合わせて、俺は、もう一度、彼女に手を伸ばした。
「恋人繋ぎから始めよっか」
「……は?」
俺を見つめたクリスは、それが本気だと理解して――
「はぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ?????」
顔を赤くして、勢いよく椅子を倒しながら立ち上がった。