烙禮のフェアレディ
第五柱、烙禮のフェアレディ。
ミュール・ルートで登場する彼女は、己と言う神を信仰する信徒である。
要するに、超弩級のナルシストだ。
フェアレディは、自己を完璧だと捉え、他者を『欠けている』と表現する。
彼女は魔人なので、当然、彼女が言うところの『欠けている』人間を基にしているわけだが……フェアレディは、自身こそがオリジナルだと信じて疑わない。
自己矛盾の塊である魔人は、自身が最も尊い存在だと自分で証明しようとしていた。
己の一派である眷属たちを用いて、事件を起こし、その事件をフェアレディ自身が解決する。
プレイヤーから『マッチポンプの魔人』と呼ばれる程に、彼女は、ありとあらゆる残虐行為を他人の手で引き起こし、ありとあらゆる穢れを知らない己が手で救おうとする。
作中で、フェアレディが、人間を殺したことはない。
ただ、彼女のせいで不幸になった人間は数え切れず、その不幸を生む過程で死んだ人間は枚挙に暇がない。
烙禮のフェアレディは、神である己が愛されるのは当然だと思い込み、自分を愛する全人類が不幸になるのは幸福なことだと考えている。
言うなれば。
フェアレディは、主人公になりたいのだ。
彼女にとっての主人公とは、完全無欠のメアリー・スー、そして弱者を救済する救世主なのである。
だから、彼女は、誰かの不幸を作り出す。
今日も今日とて、救世主であるために、彼女は不幸と幸福を秤にかけて、己の人差し指で好き勝手に傾ける。
こう言うと、彼女自身には、まるで戦闘能力がないように思えるが。
そんなことはなく、例に漏れず、魔人の彼女は膨大な魔力を持ち、条件付きで無敵に至る肉体を持っている。
ミュール・ルートで敵対する彼女は、最後の最後まで己の悪行を恥じることも悔いることもなかった。
見事なまでの被害者面で、可愛そうなヒロインを気取って消えていき、その清々しさにはプレイヤーたちも称賛を惜しまなかった。
ミュール・ルートの中盤で、アイズベルト家を蠱毒の壺として、家族同士で殺し合いをさせた挙げ句、うず高く積もった死骸の前で泣きながら「救えなかった」と宣うようなクソ女である。
当然、フェアレディは百合の敵、引いては俺の敵だ。
ただ、現在の俺には、どう足掻いても勝てない相手だった。
だから、俺は、咄嗟に跪く。
わざとらしく両手を組み、涙まで流してみせた。
「あぁ、美しき我が宵闇の星よ!! フェアレディ様、ついに降臨なされたのですね!!」
このアホみたいな耽美的賛美は、修道女・フェアレディが最も好む口調だ。
エスコ・プレイヤーたちの間で、このおかしな口調が、一時期流行ったことがある。
フェアレディのアイコンで『おはようございます』とつぶやいただけで、同様にアイコンをフェアレディにした信者どもが押し寄せ『降臨なされた!』とマッチポンプを仕掛けてきたりした。
所謂、フェアレディ構文は、涙を流しながらとか、笑いながらとか、震えながらとか、情感たっぷりに言うことを求められるせいなのか。
文章の後ろに大量の顔文字が付くことが多く、まるで、おじさん構文のようなので、ネット上のフェアレディ派は『耽美おじさん』と呼ばれ、フェアレディのアイコンを付けたおじさんがインターネット上に大量生産されることになった。
「…………」
内心。
死んだなと思いながら、俺は、寄ってくるフェアレディを見上げる。
確かに、彼女は、あまりにも美しかった。
世界中の有名画家が『美』を題として書き上げた成功作のようで。
絵画の枠を踏み越えてきた美少女は、両手を組んだままにっこりと笑った。
「おぉ、我が信徒よ! いと高き我が足の下に跪く、価値なき哀れ子よ! その薄汚い口で、歓待の息を吐くことを無碍にはしない!」
オッシャァ!! フィッシュフィーッシュッ!!
俺は、片手で口を押さえ、感激で震える信者を装う。
「感激で震える胸が、貴女の美を口ずさむことは出来ません! その白魚のような指先が、我が視界の中で揺れる度、心の臓が止まる錯覚に世界が震える!! どうか、哀れ子に慈悲を!! 慈悲を!!」
微笑んだフェアレディは、俺に手を差し伸――ぴたりと止まった。
「……アルスハリヤの臭いがする」
笑っていた俺は、硬直し、フェアレディは両眼で微笑む。
「臭い」
「…………」
首を曲げたフェアレディは、俺の首筋に鼻を近づけてすんすんと嗅いだ。
「我が哀れ子よ、貴方は、アルスハリヤ派の人間ですか?」
ヤバい。
フェアレディとアルスハリヤの関係値は、そこまで悪くはない筈だが、協力関係にあるかと言えば『NO』だ。
しかも、その『悪くはない』は、『殺し合いには至ってない』レベルの『悪くはない』で、フェアレディはアルスハリヤを好んでいるどころか嫌っており、隙あれば殺してやろうくらいに思っている筈だ。
アルスハリヤが、頑なに、姿を現さなかった理由がわかった。
アイツが、出てきていたら、俺は既に死んでいた。
「あ、アルスハリヤ……?」
問われた俺は、アルスハリヤのことを思い浮かべる。
――命を懸けて、好感度を急上昇させた美少女を胸に抱く気分はどうだい?
その瞬間、現在まで押さえつけていた憤怒と殺意が息を吹き返し、煮えたぎるような怒りに任せて頭を抱えながら叫ぶ。
「アルスハリヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!! ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!! 殺してやる殺してやる殺してやるぅううううううううううううううううううううううううううう!!」
泣きじゃくりながら、俺は、地面に拳を叩きつける。
さっきまで、俺にくっついていたラピスを思い浮かべ、なぜか、頬を染めていたミュールを思い浮かべる。
「アイツさぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!! アイツさえいなければぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!! クソがァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
何度も、何度も、何度も。
俺は、手の甲の皮が破けるほどに、拳を床に打ち付け絶叫する。
「アイツさえいなければァ……!! 俺は……俺は、今頃……今頃ぉ……!!」
力なく頭を垂れて、涙を零し続ける俺を見下げていたフェアレディは、満面の笑みを浮かべる。
「聖水で身を清めなさい。貴方は、悪魔に取り憑かれている」
フェアレディは、俺の肩に手を置いた。
「貴方の敬虔さは、よくわかりました。貴方の身に巣食う悪魔の痕跡は、徐々に消していけば良いでしょう」
魔人が、人間に優しい。
コレは、通常、有り得ないことで……当然、フェアレディは、俺と言うゴミ虫に思いやりの言葉をかけているわけではない。
ただ、彼女は、不幸な人間に優しくしたいだけだ。
俺は、この世界の最底辺である男、その上、百合を奪われて絶望の淵に沈み、百合の間に男を挟むのが大好きなサンドウィッチ魔人に取り憑かれている。
俺は、魔人に憐憫の情を抱かれることに長けた人間だった。
「あはぁ……!」
うっとりとしたフェアレディは、自分の首を自分の両手で締める。
「な、なんて、わたしは慈悲深い……我が神よ……その腕には、どこまで大きな愛を抱けるのですか……あ、あぁ……せ、世界の中心を胎内に感じる……!!」
あ、フェアレディだ!!
ゲーム内で、主人公に『自分で自分を抱ける女』と評される彼女は、自身を自分の両手で掻き抱いて呼吸を荒げていた。
「わ、我が神よ、我が神よ、お聞きください……!! わ、わたしは、世界を救いたい……人間を……すべてを救いたい……!!」
この救世願望は、破滅願望でもある。
とんだ自己矛盾だ。
結局のところ、誰かを救いたいと言う願望はエゴの一種で、それを突き詰めるとこう言うタイプのやべーヤツになるのかなと思いました(感想)。
英雄視している己を見つめて、陶酔しているフェアレディを観察し、俺はどうにかやり過ごせそうだと安堵する。
このまま、適当に、信者を装ってればどうにかな――
「ふぇ、フェアレディ様ッ!!」
叫び声。
息も絶え絶えに、立ち上がった眷属は、俺を指差した。
「そ、ソイツは!! 三条燈色は、アルスハリヤ派の人間で!! 我らの敵です!! 騙されてはなりませんっ!!」
「なにをバカなことを」
頬を染めたフェアレディは、花開くように笑う。
「美しいわたしに、嘘を吐くような人間はいません。
つまり、貴女は、わたしに嘘を吐いたと言うことですか……あぁ! なんて、嘆かわしい!!」
「……は?」
とんでもない矛盾豪速球を投げられた眷属は固まり、俺は不幸ゲージを高めるために、アルスハリヤを思い浮かべる。
「ぁあ……ち、ちくしょう、アルスハリヤァ……ぁあ、ゆ、百合が……百合が壊れる……せ、世界が歪むぅ……!!」
「ち、違います!! 嘘を吐いているのは、そこのソイツで!!」
フェアレディの視えないところで、ニヤニヤと笑いながら眷属を見つめる。
素人が。フェアレディが、合理的な判断を下すわけないだろ。このナルシスト・レディは、自分が救いたい方を救うんだよ。
つまり、不幸勝負で勝った方が勝利し、幸福勝負で勝った方が敗北する。
そして、俺は、不幸自慢に敗ける気がしない。
「ら、ラピスが……ラピスが、身体をくっつけてくるよォ……!! いひひ、お、俺のこと好きなのかなァ……違う違う違ァう!! 原作では!! 原作では、主人公と結ばれるんだァ!! 俺のことを好きなわけがない俺のことを好きなわけがない俺のことを好きなわけがない!! 嫌だァ!! 嫌だ嫌だ嫌だァ!!」
俺は、泣き、叫び、絶望した。
「女の子はァ……女の子と付き合えば良いんだァ……ァ……ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
ふわりと、良い香りがして。
フェアレディは、俺を胸に抱き込み、恍惚とした表情で目を閉じる。
「あぁ、哀れ子よ……なんて、痛ましい……このようなか弱き愚物が、虚偽を抱くわけもない……あぁ、可哀想に……わたしが、愛で包んであげましょう……!!」
俺は、既に、フェアレディの取り扱い説明書を読み終わっている。
勝てないと、判断したのだろう。
怯えきった眷属は、その場から逃げ出そうとして――ばったりと、委員長と出くわした。
「あっ……」
逃げ損ねていたのか。
委員長は、Uターンして逃げ出そうとし、眷属に捕まって刃を喉元に突き付けられる。
「な、なんて酷いことを!!」
俺を抱いたフェアレディは、頬を赤らめて両手を組む。
「そ、その哀れ子を殺しな……離しなさい……い、いえ、もっと、酷いことを……わ、我が神よ、一体、どうすれば……救いを求める声が、こんなにも聞こえてきます……あぁ、苛まれるわたしも美しい……!!」
フェアレディに抱き締められ、動きを封じられた俺は、舌打ちをして――視界の端に、紫色が過る。
「おい、そのうす汚い男から手を離せ」
生成した長椅子を八角錐の形で組み合わせ、頂点に立ったクリスは微笑を浮かべる。
「1秒待った。
死ね、ゴミ」
ゴポゴポゴポゴポゴポッ!!
生成された正方形状の木材が、波打ちながら、フェアレディへと襲いかかり――彼女は、自分を狙った攻撃にも関わらず、まるで俺を庇ったかのような動きで、その一撃を背で受ける。
「う、美しい自己犠牲……!!」
その背から、風切り音と共に鋼線が吐き出される。
それは、魔力を伴わないもので。
視力が殆どないクリスの弱みを完璧に突き、俺ですら見えづらい細い鋼線に絡み取られたクリスは血飛沫を上げながら落ちる。
傷を負った自分は役に立たず、捨て駒に徹しようとでも思ったのか。
囮役として、わざと注目を集めたクリスは、落下しながら委員長を拘束していた眷属を弾き飛ばし――己の全身を床に叩きつけた。
「クリスッ!!」
「あぁ、や、やめなさい! 大勢で一人を攻撃するなんて!!」
わらわらと。
地面から湧いてきた魔物たちは、一斉に、クリスへと襲いかかる。
引き金――俺は、フェアレディの拘束を跳ね除け、クリスへと覆いかぶさる。
牙やら爪やら拳やらにもみくちゃにされ、血だるまになった俺は、ほぼ動かなくなった右腕で抜刀した。
と同時に、攻撃が止んで、凍りついた魔物の群れが視界に飛び込む。
「ヒーくん」
外側から、大扉が吹き飛んだ。
「頭、下げなさい」
逆巻く氷刃に包まれたフーリィは、蒼白く輝きながら、無限に湧き続ける魔物たちを肉塊へと変えてゆく。
氷嵐は止んで。
立ち上がった俺は、魔力線で右腕を包み込み、全力で九鬼政宗を投擲し――ドッ――フェアレディの胸の中心に突き刺さる。
「預かっとけ」
ふらつきながら、俺は、魔人を指差す。
「必ず……取りに来る……!!」
「あはァ!!」
爛々と、フェアレディは目を輝かせ――吹雪が、空間を満たした。
フェアレディは俺たちを見失い、ゆっくりと俺は後方に倒れて……委員長が、抱き止めてくれる。
「三条さん、三条さんっ!!」
「大丈夫、呼吸してるから。一旦、引くわよ」
ぼやける視界に、魔人の姿が映る。
わざと、俺たちを見逃すつもりらしい彼女は、救いの担い手になったつもりで祈りを捧げていた。
「貴方の死路に加護があらんことを」
俺は、震える右手を持ち上げ――中指を立てて――意識を失った。