聖なる覚醒
隙はなかった。
不用意に飛び出さないように、フーリィが俺を押さえつけていた理由もわかる――この五人は強い。
初撃。
俺が投擲した長剣型魔導触媒器が、ミュールを捕らえていた女に直撃したのも、奴らがクリスを痛めつけるのに夢中になって、気を緩め始めていたからだ。
あのタイミングまで待っていなければ、不意を突くことは難しかっただろう。
だから、突っ込んだ俺を迎え撃つ奴らの動きは――不意を突かれたとは思えないくらいに、洗練されており、苛烈だった。
「三条燈色ォ!!」
鬼気迫る表情で、三条家の剣士は叫ぶ。
彼女は、思い切り長椅子を蹴り飛ばし、猛烈な勢いでその椅子がスライドしてくる。
トッ。
俺は、椅子の背もたれに足をかけて飛ぶ。
引き金、十二の生成、不可視の矢――経路眼前構築ッ!!
眼が――閻く。
コンマ秒、視界に張り巡らされた経路線、その緋色の軌跡に沿って不可視の矢を連射する。
蒼白い火花を散らしながら、不可視の魔力矢は経路を滑り落ち、その出口から十二の矢が噴出した。
地を揺るがすような破砕音。
教会の壁と天井が吹き飛び、同時に五人の敵対者も掻き消――対魔障壁――否、異常なまでの耐久性と体捌きで、不可視の矢を耐えきった五人は、それぞれが異なる方向から向かってくる。
「……マズイな」
嫌な予感がする。
存在しない筈の教会、異常な耐久力、そしてクリス・エッセ・アイズベルトにたったの六人で勝てると思い込んでいるということ……頭の片隅が警戒色で焼付き、俺は、飛来してきた剣刃を避ける。
「三条家の名折れ、出来損ないがァ!!」
「良いね」
俺は、笑う。
「出来損ないかどうか、確かめてみろよ」
半身になりながら導体を付け替えて、俺は、光剣を回転させながら背の後ろに回す。
キィン。
硬質な音を響かせながら、刀剣を受ける。
同時に多方向から、五人分の刃が飛んできて――連続的に金属音が鳴り響き、俺は、手元で刀を回しながらその全てを受ける。
「こ、コイツ……!?」
俺の緋色の眼を視て、三条家の連中は息を呑む。
「払暁叙事!? ば、バカな、その歳で開放したのか!?」
「いや、カラコン」
眼を開いた覚えはない。
というか、俺は、魔眼を自然開放したわけではないので、クリスのように己の意思で開いたり閉じたりすることは出来ない。
アルスハリヤが強制的に開いたというわけでもなく、前回の後遺症によって、古傷が開いたように勝手に眼が開いていた。
強烈な激痛が、脳髄から吹き出て全身を切り裂き、思わず呻きながら蹲る。
あ、やべ。
乱刃が俺に迫り――飛来した矢が、余すことなく、それらを撃ち落とした。
「ヒイロに触れるな」
突風が吹く。
階上で弓を構えたラピスは、五本の矢を弓に番えて、脳天から指先までを一本の線として――撃った。
「チィッ!?」
魔神教と三条家は、後方に飛び退く。
彼女らは、矢を躱したと思い込み、眼前で急カーブした矢に愕然とする。
三人が追尾してきた矢を避けて、二人の肩に突き刺さった。
「クソがッ!! エルフの魔弦の矢かッ!!」
ふわりと、ラピスは飛び降りる。
撃ち返してきた敵対者には目もくれず、スカートをはためかせた彼女は指を振った。
ギュワン!!
蒼白い光線を描いた魔弦の矢は、忠犬みたいに彼女の下へと舞い戻り、己の主人に噛み付こうとした矢を蹴散らした。
ゆるやかな風が吹き、勢いを殺したラピスは、右手の人差し指と中指と薬指……その三本指に左手の三本指を重ねて――引いた。
三本の長矢が、彼女の指の間に挟まって、引かれる度に太さと長さを増していく。
ギ……ギ……ギギ……!!
彼女の手元で、弦が、鳴りながら張り詰める。
強大な魔力が立ち昇り、五人の敵対者は眼を見開き、黄金の長髪が宙空を踊って――音もなく、矢が放たれる。
滑る。
低空を滑空した矢は、物理法則を超越した曲線を描き、受け止めた三人の不埒者を天井にまで打ち上げる。
ドゴォッ!!
三人分の体躯が天井に叩きつけられ、ぱらぱらと砂埃が降ってくる。
「ヒイロッ!!」
ラピスが駆け寄ってきて、痛みを押し殺しながら俺は立ち上がる。
背後からラピスを断ち切ろうとした眷属を蹴り飛ばし、俺は彼女を抱き寄せて腕の中に隠した。
「あ、あぶねぇ……ギリギリセーフ……お前、無理するなよ……」
「……うん、こわかった」
「あの、怖いからって、人に抱き着いて良い理由にはならな――オッケー、ナイスゥ!!」
斬りかかってきた三条家に笑みを向けて、俺はラピスを突き離し、笑いながら鍔迫り合いに持ち込む。
「ナイスゥ……!!」
「うぉお、なんだコイツ、急に力がァ……!!」
ズキズキと、頭が痛む。
目眩で視界が揺れて、想像以上に、強制開眼した後遺症が回ってきていることを知った。
力が弱まってきて、押され始めた俺に、三条家の剣士はニヤつき始める。
「所詮、男だな……あのアイズベルト家の腐れ姉妹……出来損ないの欠陥品どもと同じだ……とっとと、諦めて死ねスコア0……お前を殺した後、出来損ないの妹の前で、欠陥品の姉を解体してやる……」
「……アルスハリヤ」
俯いたまま、俺は、ささやく。
「閻け」
0.5秒の開眼。
勢いよく、俺は顔を上げる。
単純な魔力の出力で、受けていた刀を打ち上げ、俺は緋色の目で眼前の敵を見つめた。
あたかも、敵は、緋色の管の集合体のように視えた。
目の前の敵は、夕に染まって――ヒュッ、刀を振るった途端、眼前の刀が根本から消し飛び、二の太刀で彼女の脇腹をトンッと叩いた。
ドッ――ゴォッ!!
その瞬間、彼女は猛烈に勢いをつけて吹っ飛ぶ。六個分の長椅子を道連れにして、壁に衝突し沈黙した。
「二度と、俺の前で、そのクセェ口開くな」
取り残された一人は、くるりと背を向けて、教会の大扉へと走っていき――その扉が、瞬時に凍りつく。
「あらあら」
崩壊した教会の中心。
床に突き刺さった長椅子のてっぺんに腰掛けるフーリィは、かぶったベールを輝かせながら微笑む。
「招待客を残して、どこに行くつもり? お手洗いは、そっちにないわよ?」
「ふ」
言えたのは、一文字だけだった。
外に逃げ出そうとしていた眷属は、睫毛に霜をびっしりと貼り付け冷凍されていた。
その肌の表面には、うっすらと薄い氷が張り付き、傍目から視れば少し顔色が悪い程度に視えるが……その実、内外共に、完全に凍りついている。
「三条さん」
囚われていたミュールと先輩を救い出していた委員長は、細めた目で腕時計を見下ろしてささやいた。
「宴もたけなわ、名残惜しいところですがお暇しましょう」
「そうだな」
別に支えてもらう必要はないのだが。
俺に寄り添っているラピスは、正当な介助行為だと思いこんでおり、どうやって彼女を突き離すか考えながら俺は笑った。
「もう十分楽しませてもらったし、とっとと帰ろうぜ」
「いぇーい、カーリングー!!」
「…………やめろ、フリギエンス家のゴミが」
凍らせた床を滑らされているクリスが、半死の状態で眼前を通過していく。見た目はアホっぽいが、合理的な運び方をされており、フーリィの手で応急処置を施された彼女は、苦情を言うくらいの元気を取り戻していた。
「さ、三条燈色、お前の忠義には感謝してやってもいいぞ!」
とてとてと、俺の前にやって来た寮長が、偉そうに腕を組み――それから、ゆっくりと、その腕を下ろした。
「あ、あの……ヒイロ……」
「なんすか?」
「あ、あのね……」
「はい」
何度か、腕を組んだり下ろしたり、胸を張ったり張らなかったり、白金の髪を撫で付けたり撫で付けなかったり……ひたすら、そわそわしてから、彼女はか細い声でささやいた。
「……………あ、ありがと」
顔を真っ赤にして、俯いた彼女は、モゴモゴとなにかを口ずさむ。
「え? なに?」
「……な、なんでもない」
ミュールは、ちらっと、俺のことを見上げた。
「ひ、ヒイロは……しゅ、趣味とか……あるのか……?」
「百合(即答)」
「こ、こんどっ!!」
急に大きな声を出したミュールは、またモゴモゴと口ずさみ、救いを求めるかのように横を視る。
だが、そこに、忠実な従者が居ないことに気づくと顔を伏せる。
「あ、遊んでやるぞ……うっ……あ、遊び……遊びたい……かも……」
「え、り、リリィさんと……ゆ、百合を見せてくれるってこと……ご相伴に預かってよろしいの……!?」
「う……うん……」
俺は、満面の笑みを浮かべる。
「お願いしまぁす!!(健全な青少年)」
「あっ……」
頬を染めたミュールは、顔を上げて潤む瞳で微笑む。
「やくそくだからな」
「喜んでぇ!!」
ミュールは、ぴゅーっと逃げるように姉の元へと向かって行った。
ニヤニヤしながら、その後姿を見守っていた俺は、肩に鈍い痛みを覚える。
俺の肩にグーパンを当てたお姫様は、ニコリと微笑した。
「なにか?」
「い、いや、痛いんで――」
「なにか?」
「あ、いえ、あのぉ……なんでもありませぇん……(敗北者)」
その後、何回か、絶妙に痛くない肩パンを繰り返されて。
俺たちは、教会の裏口から外に出ようとして――笑い声を聞いた。
「ひっ……ひひっ……ひひひっ……!!」
床上で拘束されている眷属は、仰向けの状態で含み笑いをして、けたたましく笑い始める。
その瞬間――俺は、ラピスを突き飛ばす。
「えっ、ヒイ――」
裏口から外に出たラピスの姿が、掻き消えて、その出入り口は真っ黒に染まった。
いつの間にか。
教会内は、暗黒に包まれており、なにもかもが闇に染まっていた。
「…………」
俺は、闇を仰いだ。
芯から痺れるような魔力が、暗闇の奥底から這い上がってくる。
肌が粟立ち、脳髄が痺れ、両手足がひりついた。
予感があった。
果てしなく、嫌な予感が。
死んだ筈のパイプオルガンが、粘ついた暗黒の中で息を吹き返し、音ズレしたミサ曲を奏で始める。
天のいと高きところには神に栄光あれ。
ズレた音律が空間を満たしていき、調子の外れた幼児の声音で聖歌が歌われ始めて、ギュイーンギュイーンと、チューニング合わせの音が響いた。
深淵。
深淵の奥底で、火が灯った。
その聖なる灯火は、逆十字を示しており、煌々と燃え上がりながらあたたかな導きを示した。
臭いが立つ。
燃えているのは、腕を水平に伸ばした人間の軀だった。
大量に浮かび上がる逆十字の形をした人間の死骸……橙色と赤色と黒色、その中間色、陰影入り交じる赤黒い臓腑の色合い……両手を広げた美しい少女が、ゆっくりと、舞い降りてくる。
天使か、堕天使か。
長い袖を備えながらも、白く艶やかな肩は露出している。
特徴的な純黒の修道服を着た美少女は、純白のウィンプルで美しい尊顔を彩り、泣きながら胸の前で祈りを捧げた。
糸の切れた人形のように。
かくりと、首を傾けた少女の右の目から、純赤の涙滴が落ちていった。
「あぁ、どうか」
俺は、彼女が何者なのか知っている。
「どうか、魔の神よ」
彼女の名は――いや、その魔人の名は――
「死にゆく哀れ子に、そしてなによりも、このわたしに祈りをお捧げください」
第五柱、烙禮のフェアレディ。