魔人教のターゲット
「とりあえず、侵入だな」
聖女なのか女神なのか知らないが。
俺は、ミントブルーとライトグリーンのガラスで、女性が描かれているステンドグラスを指した。
一階から、運送屋よろしく『こんちはー!!』なんて、挨拶しながら入っていくわけにもいかず。
俺たちは、秘密裏に、二階からの侵入を果たそうとしていた。
遙か頭上のステンドグラス。
それを見上げてから、ラピスは不安そうにこちらに向き直る。
「足掛かりもないし、さすがに跳躍だけであそこから入るのは無理じゃない?」
「任せろ、完璧な策がある」
俺は、真顔でささやいた。
「肩車だ」
「真顔でフザけるのやめてくれます?」
無表情で糾弾された俺は、やれやれと肩を竦める。
「委員長、俺は真面目も真面目、大真面目だ。真剣さ増量キャンペーン実施中、ちゃんと、脳みそは巡らせてるぜ?」
「貴方の自己採点は当てになりません。
答案用紙の内容を聞きましょうか」
俺は、壁に手をつく。
そして、ニヤリと笑った。
「来いッ!!」
「0点」
「ドンと来いッ!!」
「言い方で減点されているのではなく、発想の原点から減点のためあしからず」
「まぁ、冗談は、コレくらいにし――」
柔らかい感触が、俺の後頭部と頬を包み込む。
はらりと、布切れが俺の視界に落ちてきて、急に目の前が真っ暗になった。
「…………」
ラーメン屋の暖簾をくぐるみたいにして、その前掛けを手の甲で払った俺は、ゆっくりと視線を上に向ける。
両手で真っ赤な顔を覆ったエルフのお姫様は、蚊の鳴くような声でささやいた。
「は、恥ずかしがってる場合じゃないけど……い、いいんちょ、は、はやくして……三人で乗らないと届かないからぁ……!」
俺の頭を直に太ももで挟み込み、羞恥で染まるラピスは、首筋まで赤くして震えている。
甘い香りに包まれながら、俺は勢い良く口を開いた。
「委員長、なにしてる!? 可及的速やかに乗れッ!!」
「偏差値が下がるので嫌です」
緊張は、時に、取り返しのつかない事態を招く。
『ヒイロ、誰かと組む場合、まずは相手を落ち着かせてください。
溺れる者は藁をも掴む……溺れている人間を救助する際、パニックになった要救助者に引っ張り込まれて、一緒に溺れ死ぬケースは非常に多い。戦闘の場合も同じだ。
戦闘前は、小粋なジョークを飛ばすくらいで丁度良いんですよ』
俺は、勤勉な弟子として、師の教えに従っただけだったのだが。
結果として、俺はその柔らかな感触に心労がMAX、『冗談だ』と聞かされたラピスは悶絶しながら『ころして……』とささやくだけの機械になってしまった。
唯一、まともな委員長は、周囲の足跡や壁の擦れ痕、人の出入りが多いことを示す葦の倒れ具合から裏口を見つけ出してくる。
「裏から入りましょう」
「……はい」
「ころして……ころして……」
委員長は、きゅぽんと小瓶を開けて周辺に散らばせた。
きらきらと輝きながら、それは舞い散り、俺たちの間に留まった。
『妖精の金粉』……原作ゲームでは、敵とのエンカウント率を下げるアイテムだ。
この世界では、『周辺の外因性魔術演算子を増幅させて、内因性魔術演算子との境界を曖昧にする』作用を持っており、要するに、相手の魔力探知を妨害する強力なジャミングとなる。
それに合わせて、この金粉は強力な吸音作用もある。
俺たちの周辺に浮き続けるこの金粉は、空気中に振動が伝わる度に膨張し、一種の多孔質材料となって音エネルギーを摩擦熱に変える。金粉を展開した内側から音が伝わる度に、真っ赤に発熱して一瞬だけ傘状に広がるのだ。
この金粉があるお陰で、俺たちも、こんなバカ騒ぎが出来ているわけだが。
当然、視覚的には、逆に目立つようになる。
だからこそ、なるべく、宿主を追尾してくるこの妖精の金粉たちを隠すように、身を縮めながら進むことは忘れてはならない。
「次に効果が切れたら、もう補充出来ないのでそのつもりで」
「了解」
俺たちは、ギシギシと鳴る階段を上って、階上へと上がっていく。
教会の二階。
吹き抜けとなっている屋内で、落下防止用の欄干が設置されている階上、一階が見下ろせるその場所で俺たちは身を潜める。
丸見えの階下。
本日の主賓だと言わんばかりに、大仰な椅子にミュールは縛り付けられ、十字架の下に据え付けられていた。顔を真っ青にしたミュールの横で、元・黄の寮の先輩が、ぐったりと顔を下に向けている。
「…………」
恐らく、先輩の方は、薬か何かで眠らされているのだろう。外傷はない。
本来であれば、敬虔な信徒が腰掛けている筈の長椅子には、六人の無作法者たちが思い思いに座り込んでいる。
荘厳なミサ曲を鳴らす筈のパイプオルガンは、静粛の海底に沈んでおり、貞淑な沈黙に打ちのめされている。床下を柔らかく包む焦げ茶色の長絨毯は、その沈思に倣い、神々しき暗闇には教壇だけが浮かび上がっていた。
教壇の頭上を覆うステンドグラスも、光が差さなければソレはただの色付きガラスで、ビー玉を平べったくしたくらいの感傷しか持ち合わせていなかった。
装飾過多なこの舞台は、神の不在を演出しているかのようだ。
その舞台上で、魔神教と三条家としてキャスティングされている脇役たちは、不遜を顔に浮かばせている。
「チッ……なにが悲しくて、魔人教なんぞと手を組まないといけない……」
「おい、口を閉じろ。聞かれたら面倒だろ」
「もう手遅れ、聞こえてるよ。この教会、吹き抜けで響くんだから」
三と三。
綺麗に分かれている六人は、長椅子六個分も離して座っていた。
「三条家のゴミが」
「まぁ、利用するだけ利用すれば良いでしょう。後でどうせ消せる」
「下衆に構うのはやめなさい。
三条燈色が骨になって野良犬にしゃぶられようと、我々には関係がない話……それよりも、命を賭してでも達成しなければならない使命があるのですから」
彼女らの声を拾って、俺たちの周囲が赤色に染まる。
声を潜める必要はないのだが。
身を寄せてきたラピスは、そっと、ささやきかけてくる。
「手を組んでるって言っても、協力し合うつもりはなさそうだね」
「あぁ。
敵の敵は友、人類みな兄弟、ウィー・アー・ザ・ワールドって言うし……俺たちにとっては有り難い」
「当然と言えば当然でしょう。
即席で上手くいくチームの方が珍しい」
愚痴くらいしか、言うことはないのか。
口を噤んでいる六人の様子を窺いながら、俺は、縛られているミュールに目をやった。
「ラピス、委員長、俺たちの目的は飽くまでも寮長たちの救出だ。魔人教やら三条家とやり合う必要はない。
俺が合図を出したら、ふたりは、寮長たちを教会から連れ出して、一気に『暗がり森のダンジョン』から脱出してくれ」
「ヒイロは?」
俺は、九鬼正宗の鞘を叩きながらニヤリと笑う。
「ヘイト役の役目を果たす」
「やだ」
「は?」
ラピスは、真正面から俺を見つめて手を握ってくる。
「やだ。絶対にやだ」
「いや、あの、ラピスさん……そ、それはワガママと言う類のもので……その美しい手で、穢らわしい俺の手なんぞ握って欲しくないんですが……」
「大丈夫。ヒイロの手は、汚くなんかないから。
ね、大丈夫だから」
「あの、あのですね、違くてですね……そう言う『俺の手は、敵の血で穢れてるんだよ』的なハードボイルドよそおってるわけではなくて……お、女の子は女の子と手を繋いで、笑ってハッピーエンドと言う鉄則を――」
「…………」
「ひ、ひぃい……ほ、微笑みながら、励ますみたいに握り直さないでぇ……いいんちょぉ……!!」
「はい、時間です」
アイドルの握手会の剥がしみたいに、至って冷静な委員長はラピスから俺を引き離してくれる。
泣きながら、俺は委員長の後ろに回り込んだ。
「うへぇ……おほほぉ……あぼぉ……おぉおん……!!(号泣)」
「泣きながら訴えられても、獣の鳴き声は解せませんので。
ラピスさん、敵地ですのでご自重を」
「あ、ご、ごめ……ごめんなさい……ひ、ヒイロの顔視てると、視界が狭まると言うか……ご、ごめんなさい……」
「いえ、謝罪は不要です。
敵に動きはありませんし、三条さんもフザケているようで、周囲の警戒は怠っておりませんので」
「えへへぇ……おぼぉん……ぁああぼぉ……!!」
「……恐らく」
俺は、すすり泣きを続――目の端に赤色。
左手で委員長を引き寄せながら、半身になって彼女の盾となる。
肌に感じた殺気に目を細めながら、膝立ちの状態から抜刀して――引き金――相手の喉元に剣先を突き付け、同時に、俺の喉を氷刃が指していた。
「さ、三条さん……?」
「委員長、ゆっくり、俺の後ろに回れ」
全身をローブで覆った謎の人物に、ラピスは生成した矢を向けた。
「…………」
「名乗れよ。
もしくは、出会って間もなく、悲恋に涙散らして心中でもするか?」
ゆっくりと、急に眼前に現れた人物はフードを取り払う。
「さすが、ヒーくん。
そうやって、無意識の行動で女の子のハートを落としちゃうのね」
見知った顔と声、俺は刀を収めながらため息を吐いた。
「遅いですよ……遅刻ですか……?」
微笑を浮かべているフーリィ・フロマ・フリギエンスは、俺の横に腰を下ろして身を寄せてくる。
「待ち合わせもしてない男の子に、遅刻の責を問われる覚えはないわね。
貴方、どうやって、この場所を突き止めたの?」
呆れ顔のフーリィに尋ねられ、俺の腕の中にいた委員長が離れる。
「偶然」
「ウソおっしゃい」
「ところがどっこい、コレが本当の話でして」
俺は、白皙の美人に、正面からツンツンと鼻を突かれる。
「ヒーくん、魔人教の次の標的知ってたわけ?」
「まさか、ノーヒントでわかるわけないでしょ。
でも、神がかった通じ合わせがありまして、俺も居合わせちゃうことになりました」
「なら、あの扉を開けて現れるヒーローのことは知ってるんだ?」
「当然。
顔見知りどころか」
ゆっくりと、大扉は開いていき――俺は、笑った。
「殺し合った仲ですからね」
教会内に光が差して、白金の髪が踊った。
特徴的なステンドグラスのイヤリング。
教会内で死んだステンドグラスとは異なって、光を帯びて生きているソレは、橙色の蝋光を乱反射する。
生成した土塊の両手で、巨大な大扉を開けた天才は、傲岸不遜を肩に着て中央の正道を進む。
紫色のマントがたなびき、彼女の両眼が螺旋で渦巻く。
錬金術師の受勲を受けながら、『至高』の位を戴く最高峰の魔法士、魔神教の次の標的としてご指名を受けた天才は笑う。
傲慢な笑みを口端に浮かべながら。
クリス・エッセ・アイズベルトは、ご来賓の方々に嘲笑を投げかけた。
「この私が、わざわざ、ゴミ箱にまでご足労してやったんだ」
高速生成が繰り返され、彼女の周辺の空間が波立つ。
「六人分の死体袋は用意できてるんだろうな、ゴミども」
凄まじい魔力が迸り、六人の敵対者は静かに立ち上がった。