蒼い寮にこんにちは
青色の一角獣。
蒼の寮の象徴は、大門の両脇で前足を高々と上げて、鈍色の光を放っていた。
蒼の寮の基本的な施設は、黄の寮と共通していたが、そのスポンサーはアイズベルト家ではなくフリギエンス家である。
とは言え、ところどころ、異なるところもある。
例えば、四季折々、常に存在している巨大なプールの存在だ。
広大な寮の四方に建てられた尖塔の先端、そこに備わる導体から大量の水が放たれ、循環しており、宙空に縦25m×幅16m×高さ1.2mの25mプールを形成していた。
このプールを生成し続けるのには、どれだけの魔力と水と金が必要なのか。
まさに、力と水と金が溜まった水槽。
このプールもまた、蒼の寮の象徴とも言える。
各寮の基本観点はそれぞれ異なるので、施設に限らなければ、様々な差異が存在している。
それは追加能力値であったり、寮スコアの加算による特典であったり、寮の内装であったり……多種多様だ。
原作観点で言えば、蒼の寮は、周回プレイに最も向いている寮である。
ただし、入寮は非常に難しいので、三条燈色のような元祖ド底辺には縁がない。
本来であれば、足を踏み入れることも出来ない高貴なる寮の前で、俺は一時入寮申請を終えて、門が開くのを待っており――水音を立てながら、水の通路が出来上がり、サーフボードに腹ばいになったひとりの少女が流れてくる。
「オーホッホッホッ!!」
頬に手の甲を当てて、笑い声を響かせながら。
くるくると回転しつつ、ちっちゃな波に乗ってきた金髪の少女は、すたっと立ち上がる。
「あら、黄の寮所属の底辺学生が、選ばれし生徒のみが属すことを許される蒼の寮になんの御用かしら?
ごめんあそばせ、お手洗いなら、駅前にまで駆けて行ってくださいます?」
「…………誰?」
「ハァ!?」
ピンク色の水着を着た彼女は、あたふたと、俺の前で角度を変える。
「わ、わたくしですわよ!? あ、貴方、頭でも打ったの、専属奴隷!? お、オフィーリア・フォン・マージラインですわ!!」
俺は、驚愕で仰け反る。
「お、お嬢!?
だ、だって、髪が縦にロールしてないから!!」
「貴方、わたくしが髪を下ろした姿も視たことあるでしょう!? 金髪縦ロールで、人様を識別するのやめてくださる!?」
「いや、だって……お嬢、髪、下ろしたら普通の美人なんだもん」
「…………」
腕を組んだお嬢は、ひくひくと、嬉しそうに頬をひくつかせる。
「お、オホホ……そんな美人だなんて、言われなれてますわ……底辺の男ごときの言葉で、このオフィーリア・フォン・マージラインの心が揺れるとは思わないことですわ……で、でも、もっと言いなさい……」
「で、お嬢、なにしてんの? 敷地内への不法侵入に設備の無断使用のコンボまで決めて、学園退学になっても知らないよ?」
プロポーションだけは、噛ませとは思えないお嬢は、ぷいっとそっぽを向く。
「なにをバカげたことを。
わたくしは、蒼の寮の学生ですから、不法侵入も無断使用もかましてませんわ」
余程、大事に思っているのか。
プールに入ってる間も、身に着けていたらしい『耽溺のオフィーリア』は、彼女の首元で輝いていた。
しゃらぁんと。
髪を掻き上げたお嬢は、チラチラと、俺の反応を窺いながら声を張る。
「わたくし、かのマージライン家のご令嬢ですから? 蒼の寮に入れて当然と言うか? むしろ、アレですわ、あのフーリィ・フロマ・フリギエンスから、逆オファーがあったかも?」
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! マジか、お嬢、すげぇええええええええええええええええええ!!(ただのお嬢ファン)」
「オーホッホッホッ!! そんなこともあり寄りのありですわぁ~!!」
門を挟んで、高笑いするお嬢と、そのお嬢を褒め称える俺。
悪目立ちしているのは間違いなく、普段であれば『しっしっ』と追い払われているところだったが、三条燈色太鼓持ちエディションがお気に召したのか、水着姿の鑑賞さえもお許しになられていた。
さて、原作では、お嬢はどこの寮に入るのかと言えば。
完全にランダムで、どの寮に入っても、自分の寮が一番だと言い張る『自寮大好き厄介勢』と化すことになる。
お嬢がどの寮に入っても、彼女との遭遇イベントには共通性がある。
散々にイキり散らした後に、主人公の方が上だと言うことを見せつけられ、泣きながら自分の部屋まで逃げて出てこなくなる……噛ませのお手本のようなイベントで、プレイヤーに癒やしと笑顔をプレゼントしてくれるのだ。
「お嬢、飴! 飴、あげる!」
「ふん、貧民から施しは受けませんわ……あら、意外に美味しい……」
門の隙間から、俺の餌付けを受けるその可憐な姿は、檻の中に囚われる『噛ませお嬢』と言う名の動物が存在するかのように錯覚させた。
所詮、俺ら人間も、動物の一種だからな。
「…………」
「な、なんですの、その哲学的な表情は……?」
お嬢哲学に浸っていると、門が開いて、意外な迎えがやって来る。
「さ、三条くん、入寮してもらっても大丈夫ですよ」
「あれ、マリーナ先生? なんで、こんなところにいんの?」
我らがAクラスの担任、マリーナ・ツー・ベイサンズは、キョロキョロとしながら微笑む。
「あ、あの、ちょっと、ママ……じゃない、お母さんと喧嘩しちゃいまして……家出……ではなく、戦略的撤退生活を営んでまして……」
そういや、マリーナ先生は、ベイサンズ伯爵家の家長と仲が良すぎる故に、頻繁に仲違いを起こしては、蒼の寮に逃げ込んでたな……時期によっては、マリーナ先生との遭遇イベントも発生してた気がする。
「でも、意外ですね、オフィーリアさんと三条くんは仲が良いんですか」
「仲が良いわけがありま――」
「いえ、仲良くありません」
自分でも言っておいて、お嬢は、傷ついたような顔で俺のことを見つめていた。
徐々に、両眼が潤んできたので、俺は慌てて口を開く。
「い、いえ、俺は、オフィーリアさんのことを友人だと思ってます……い、一方的な想いなのですが……」
「さ、最近、付き纏われて迷惑しているところですわ! ふんっ、誰が男なんかと!
では、ごめんあそばせ」
画面を呼び出したお嬢は、サーフボードの上で腹ばいになり、呼び出した水流に乗ってプールへと戻っていった(何回か失敗して、泣きそうになってた)。
マリーナ先生は、ちらりと、俺を見上げる。
「…………」
「…………」
え、なんか、気まずい。
「じゃ、じゃあ、い、行き――げほっ、ごほっ、おええっ!!」
「む、無理にしゃべらなくていいですよ……案内してくれればいいんで……」
思わず、くの字になった先生の背を撫でると、彼女は顔を真っ赤にして飛び退く。
「ひゃあっ!!」
「あ、すいません、男に触れられたくなかったですよね」
「い、いえ……異性間の肉体的接触に馴染みがなくて……お、お気になさらず……」
なんで、なんか、卑猥な言い方するの? 同性間の肉体的接触は、どんどん、していけ?
マリーナ先生に連れられて、俺は、蒼の寮の寮内へと入ってゆく。
黄の寮と比べて、蒼の寮の寮内は、粛然とした雰囲気が漂っていた。
廊下に置かれている美術品、壁に飾られている絵画、ひとつ取ってみても趣がある。
雑然としている黄の寮とは違って、蒼の寮にはフーリィの卓越なる才覚が光っており、しんと冷え切った広間には、空間そのものが芸術品のように思える優美さがあった。
「御機嫌よう」
すれ違う度、目礼をして去ってゆく寮生たちには、選良者の風格が備わっている。
「ご、ご機嫌!!」
それに対して、我らがAクラスの担任は『I’m fine』みたいな英語的日本語の挨拶を返して、格の違いを見せつけていた。
果たして、この寮で、お嬢は大丈夫なんだろうか。
思わず、不安になってしまったが、この親心はさすがに過保護だ。お嬢も、もう良い歳なんだから、自分でどうにかするだろう。
「…………」
後で、フーリィに、お嬢が大丈夫か聞いておくか(過保護)。
距離を取って歩くマリーナ先生は、こちらを振り向いて笑みを浮かべる。
「い、良い寮……げほっ……でしょう……? 朝も昼も夜も静かだし、部屋にゴミを溜めても勝手に回収してくれるし、なんだか美味しいドリンク飲み放題だし……しょ、正直、実家よりも実家で……皆、私にお辞儀もしてくれるし……すごく、心地良いんですよね……」
「先生、休日も、部屋に引き籠もってそうだもんね」
「最近、VRヘッドセットを買ったので、そうでもありませんよ?」
なにからなにまで、偽りで満ちてるな、この担任(辛辣)。
エレベーターに乗って、最上階へ。
アンティーク調のデザインのエレベーターは、ボタンまで格調高く、豪邸に迷い込んだような錯覚の下で上へと上がる。
「こ、ココです……」
「先生、ありがとうございました。お大事に」
「なにを……?」
心も身体も、外界と繋がれる唯一の手段も。
不摂生生活を送っているであろう担任教師は、首を傾げながら去っていき、俺はノックをしてから寮長室の扉を開く。
「はぁい、ヒーくん、さっきぶり」
当然のように生きている蒼の寮長は、全面ガラス張りになった壁の前で、ティーカップを掲げる。
「…………」
「あら、もしかして、心配してた?」
「そりゃあ、心配するでしょ。委員長を送り届けてから、一回、戻ったんですからね」
「ふふ、生意気」
苦笑して、フーリィは、ちょいちょいと俺を指で招く。
招かれて、俺は、差し出されたティーカップを受け取った。
「マリアージュ・フレールのブレンドティーよ。大して高くもないけど」
「飲めりゃあ、なんでも良いですよ。
で、壁に向かって突っ込んでる電車の中に居残りして、どんな課題を紐解いてたんですか?」
フーリィは、目を閉じて、紅茶の香りを嗅ぐ。
「女心、とか?」
「それは、秋の空と同じで移ろいやすくて解けやしませんよ」
湯気の向こう側で、蒼色の彼女は苦笑する。
「魔神教が狙ってる、次の標的と襲撃日時」
「…………」
「ダメよ、可愛いおねだり顔しても。貴方は、まだ、直接的には参加させません。せっかく、予言が外れたのに、また、死ぬような目に遭ったらどうするの」
「……アステミル・クルエ・ラ・キルリシア、ではないですよね?」
フーリィは、微笑んで――ノックの音。
仕組まれたかのように、話の流れが途絶える。
フーリィの手のひらに促され、俺は扉へと視線を注いだ。
「言ったでしょ、良い子を紹介するって」
導かれるままに、俺は、扉を開けて――その良い子を見つめる。
「……ふざけんなよ」
そして、大きくため息を吐いた。