愚才と天才
「敗けるぞ」
深夜。
屋根裏部屋の丸窓から、月を眺めていた俺は振り向く。
月明かりの下、紫煙で彩られる魔人……アルスハリヤは、かつての姿を取り戻し、椅子の端に腰掛け微笑んでいた。
「……なんで、元の姿に戻ってんだ?」
「君の殺意が和らいだからな。
大方、意中の女性に恋い焦がれ、同じ身体に同棲している恋人のことは、頭から消えているんだろう?」
「…………」
「ほらな」
苦笑して、アルスハリヤは肩を竦める。
丸窓に映り込む魔人は、俺の後ろで、ギィギィと椅子を揺らしながら煙を吐く。
「言ったろ、『僕の知る君なら、殺り合うことになる気がする』って」
「名推理だな。
鹿撃ち帽でもかぶって、虫眼鏡でも携帯したら?」
「開くのか?」
俺は、こくりと頷く。
「それしか、クリス・エッセ・アイズベルトに勝てる方法はない」
クリス・エッセ・アイズベルトは、全ての点において、三条燈色を上回っている。
原作観点で言えば、運用次第では、ヒイロも終盤戦まで通用する。
だが、それは、飽くまでも鍛えれば、の話だ。
元々の能力値からして、三条燈色とか言うクソ野郎が、クリス・エッセ・アイズベルトに勝っている点はひとつもない。
特に魔力の能力値の差は、ダブルスコアどころではなかった。
能力も技倆も経験も力量も地位も。
なにもかもが、三条燈色を上回り、彼女に勝ち得る可能性は万にひとつもない。
100回戦えば100回敗けて、そのうちの100回、なにも出来ずに殺されるだろう。
本来であれば、同じ土俵に上がることも出来なかっただろうが……現在の俺には、魔人の能力が備わっていた。
付け入る隙があるとすれば、そこしかない。
魔眼――払暁叙事。
三条家の魔眼を開ければ、そこに勝機が備わる。
「現在の君では、払暁叙事の力を使いこなせない。まず、固有魔法は発動出来ないだろう。
君に扱えるのは、玩具に付いてるおまけ菓子程度の部分だ」
「空腹で死にかけてれば、おまけ菓子の方が有り難いだろ」
「おいおい、主題を捉えろよ。
君は、君の言うところの『死亡フラグ』の只中にいるんだ。鼻の下まで浸かってて、誰かがそっと押せば、あっという間に地獄行き。死は眼前に迫り、真っ暗な絶望へと、息も出来ずに沈んでいくところだ。
君が縋ろうとしている藁は、あまりにも心もとない」
「だからって、ココで戦わない選択肢はねぇんだよ」
俺は、暗中で、烟る魔人を見つめる。
「たったの一度でも、自分がブレたら……俺は、そこで終わりだ。
一度、言葉にしたなら、俺は必ずそれを遂行して落とし前をつける。それが出来なくなった時、俺は、三条燈色に成り果てる」
「……君の裡には、よくわからないものがたくさんある」
ふーっと。
アルスハリヤが吐いた煙が、宵闇へと薄れてゆく。
「君は、本当に三条燈色か?」
「…………」
「まぁ、どうでも良い。現在は、な」
ニタリと嗤って、アルスハリヤは両手を広げる。
「踊ろうじゃないか、我が友よ。
その酔狂に酔い痴れ、踊り狂うのもまた一狂。月明かりの熱に身を預け、華麗なる一幕に己が生涯を懸け、民衆どもから阿呆と罵られようじゃないか」
両手で顔を隠した魔人は――ニタァと、半月に口腔を裂いた。
「生きるか死ぬか、その未来に矜持を賭けよう。
そういう無知蒙昧が世に蔓延ってこそ――」
嬉しそうに、アルスハリヤはささやいた。
「人間だ」
「15秒」
俺は、命を分かち合う魔人に手を差し伸べて。
「15秒で片をつける」
「良いね」
アルスハリヤは、恭しくも手を取った。
「素敵な殺し文句だ」
新入生歓迎会当日。
「15秒で片をつける」
夕に焼けた両目で、俺は、彼女を見つめ――光が閃いた。
開眼。
閻いた両眼が、敵を捉える。
開眼限度数――15――音もなく、俺は、消える。
引き金の名の下に、顕現した光の刃はクリスの喉元を狙い、研ぎ澄ました剣刃が彼女の肩口を切り裂いた。
「…………ッ!?」
魔眼――払暁叙事。
その眼に宿る魔法は、『無限に連なる最善手を視る』こと。
己と相手、互いに選び得る無限の可能性を跪かせ、魔眼の所有者にとって最も善い結果を視て選び取ること。
この眼で視られている対象は、俺にとっての最善手のみを選ぶようになる。
喉を斬った可能性を視れば、どのような回避動作を取っても喉が斬れる。
矢が当たった可能性を視れば、どの位置にいようとも矢は命中する。
烏が白い可能性を視れば、それがどんなに有り得なくても、白い烏がこの世界に発生する。
俺の眼には、無限の可能性が連なって視える。
その中から、緋色の最善手を選び取り、ただそれに従えば良い。
ただ、現在の俺の払暁叙事は未完成で、その効力を十全に発揮することは出来ていなかった。
開眼限度数――14。
ひゅっ。
俺は、彼女の足を狙い――膨大な数の斬撃の可能性が表示され――彼女の脇腹が斬れる。
血飛沫を上げながら、クリスは顔を怒りで染める。
「このゴミがぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
生成、生成、生成ッ!!
地面から生み出された土槍を避けながら、俺は後ろに下がる。
彼女の両眼が、捻じ曲がる。
魔眼――螺旋宴杖。
その眼に宿る魔法は、『現象と化した魔力を視る』こと。
それは、魔導触媒器による引き金を引いた後の生成、操作、変化を終えた魔力を視て確定させる因果律の魔眼。
即ち、それは、魔法の即時発動を意味する。
魔眼の使用者によって、視て、確定させられる想像は異なる。
ある人間は、一本の槍の生成を視るのが限界だ。
だが、クリス・エッセ・アイズベルトならば、幾千もの槍の生成を視届ける。
それこそが、天才の所以、錬金術師の証。
クリス・エッセ・アイズベルトは、口だけではなく。
まさしく、天から才を賜った寵児だった。
開眼限度数――13、12。
「下がるな、ヒーロッ!! 15秒を無駄にするなッ!! それ以上は開けられない!! 都合の良い創作品みたいに、15秒後は絶対に訪れないッ!! 踊れッ!! 生死の境目を駆け抜けろッ!!」
アルスハリヤの怒号。
緋色の眼から、激痛が駆け回り、俺は呻きながら――前に出る。
開眼限度数、11。
魔力線を足元にまで伸ばし――魔力線補強、導線接続、魔力流入――発動、強化投影ッ!!
「ぉ、ォ、ォォオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
地面をえぐりながら、蒼色の粒子を迸らせ、宵闇の中に突っ込む。
高速生成された剣、槍、鉤、棍、斧、鉾、矢、弾――ありとあらゆる殺意が、凶器と化して、俺の道程に叩きつけられる。
それらに肌を斬り裂かれ、体躯を貫かれる。
「……ッ!?」
視界が、点滅する。
眼が。眼が痛い。
閉じそうになる。脳が悲鳴を上げて、視界が真っ赤に染まる。
眼が閉じ――『わたしは……最初から最後までひとりだ』――ミュールの寂しそうなささやきを思い出し、俺は、激痛の最中で開眼する。
――今更、あの出来損ないと仲良く出来るとでも思った?
開け。
アイツを許せないなら。
俺は、息を吸う。
眼を――開け。
開眼限度数、10、9――払暁叙事――緋色の可能性に従って、俺は剣を振るい、襲いかかる全てを弾き飛ばす。
駆け走りながら、その全身を削りながら――開眼限度数、8――ただ、許せないヤツの下へと到達する道を視る。
「お前は」
高速生成を続けながら、クリスはささやく。
「なんだ……?」
金属音。
己の耳朶に叩きつけられる甲高い音を聞きながら、生成、生成、生成、砕け散った光の刃を取り戻し続ける。
あまりにも、速すぎるクリスの生成。
進めなくなる。
立ち止まった俺は、血溜まりの中で、ひたすらに刀をふるい続ける。
狭まった視界の中で、クリス・エッセ・アイズベルトは嘲笑った。
「無駄だ!! バカが!! お前如きが私へと至れるわけがない!! お前も、妹も!! 出来損ないのゴミだッ!! 最初から決まっている!! 決まっているんだよッ!! 天は才を与える者を選んでいるッ!!
いい加減に理解しろ、このゴミどもがァア!!」
開眼限度数、7、6、5。
俺は、不可視の矢を撃ち放ち――激痛のあまりに眼を背け――それは、クリスの眼前でブレて、その背後へと消えてゆく。
「不意打ちに備えるのは、高位の魔法士の基本だ。
良い機会だから、冥土の土産に憶えて逝け」
開眼限度数、4。
俺は、息を荒げながら、痛みの只中で可能性を視続ける。
頭が破裂しそうだ。
呼吸が苦しい。死にそうだ。
まぁ、でも。
俺は――笑った。
「ココで敗けてやるほど、俺は人間出来てねぇからなァア!!
アルスハリヤッ!!」
防御を捨てて、致命傷のみを魔眼で避ける。
ありとあらゆる方向から貫かれながら、俺は、真っ直ぐに人差し指と中指を伸ばした。
その腕に、魔人は、そっと己の手を添える。
人間と魔人は重なり、血に塗れながら、同時に笑い合った。
「知っているだろうが」
魔人は、嗤う。
「機会は一度だ。
命を懸ける準備は出来てるか?」
「今更、聞くなよ」
開眼限度数、3。
「とうの昔に」
開眼限度数、2。
「覚悟は――決まってる」
開眼限度数――1。
ドッ――――!!
暗闇に浮かび上がる緋色。
四方八方、上下左右、四荒八極、有象無象!!
無限にも思える経路線の中から、緋に輝いた経路線を選び取り、魔力線で補強した指先から一撃が解き放たれる。
すべてが、一筋の奔流へと導かれる。
それは、真っ直ぐに、クリスへと到達し――
「ぐ、ぉ、ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
上方へと、弾かれた。
クリス・エッセ・アイズベルトは笑う。
「15秒が、お前の限界だ!!
私の勝――」
その顔が、驚愕で彩られる。
魔眼を閉じた俺は、既に踏み込み、クリスは生――斬。
「…………」
刃は、月へと向いている。
月光。
物言わず、その斬撃は瞬いた。
「…………」
クリスは、己の胸に手を当てる。
真っ赤に右手が染まり、あっという間に、彼女の足元は赤色に沈んでいった。
「15秒で限界を迎えるのは魔眼だ」
俺は、ささやいて、刀から血を払った。
「俺じゃねぇよ」
ガクガクと震えながら、クリスは倒れ伏した。
彼女は、地面に赤い線を引きながら這いずり、俺はその後を追いかける。
「こ、このゴミがァ……ま、敗けるわけが……敗けるわけがない……こ、この私が……クリス・エッセ・アイズベルトがァ……こんなゴミにぃ……出来損ないにぃ……ま、敗けるわけが……敗けるわけがなぃい……!!」
「だから、敗けたんだよ」
俺は、刃を見せつけながら、ゆっくりと彼女を追う。
「俺は、限界まで、お前の対策を行った。唯一、お前に隙が生まれるのは、生成による攻撃と防御を切り替える狭間だということも知っていた。
俺を見くびったお前はなにをした? 魔眼に頼り切ったお前は、15秒をしのいで勝ったとでも思ったのか? あんなもん、ただの一要素にしか過ぎないのに、生まれ持った才能なんぞに頼るからそうなるんだよ」
彼女の眼前に、俺は、刃を突き立てる。
「本来なら、お前に俺が勝てる見込みなんてなかった。お前は、底辺の俺を見くびって、本領を発揮しなかったから敗けたんだ」
俺は、彼女を見下ろす。
「結局、最後まで、お前には視えなかったんだよ……魔眼では視えない大切なモノがな」
「クソが……嫌だ……こ、こんなところで……こんなゴミに……し、死にたくない……いやだぁ……お、お母様ぁ……!!」
「敗北者の弁を聞いてやる気はない。
じゃあな、来世で会おうぜ」
俺は、刀を振りかぶり――手を止める。
「…………」
ひとりの女の子が、両手を広げて、俺とクリスの間に立ち塞がっていた。
ミュール・エッセ・アイズベルトは、涙を流しながら、全身を震わせ、真っ直ぐに俺を見据え……一心に姉を庇っていた。
呆然と。
凡愚に庇われて、非凡は眼を見開く。
「お、お姉様が悪いことはわかる……さ、三条燈色……お、お前が正しいことも……でも……でも……」
泣きながら、ミュールはささやく。
「か、家族なんだ……ゆるしてくれ……わ、わたしが謝るから……わたしなら斬ってもいいから……お、お姉様はゆるしてくれ……たのむ、ひいろ……たのむ……」
「…………」
「わ、わたしは……わたしは……出来損ないだが……それでも……」
次から次へと涙を流しながら、ミュールは顔を歪めて笑う。
「この女性の……妹なんだ……」
「ぐっ……」
クリスは、顔を伏せて、右手で地面を殴りつける。
「ぐっ……ぉお……ぉおおおおおお……!!」
何度も何度も、殴りつける。
ぽろぽろと涙を零しながら、地面を殴り続けるクリス・エッセ・アイズベルトは……それでも、妹に護られることを拒絶しなかった。
俺は、刀を鞘に仕舞う。
「……良かったな」
そして、姉妹に背を向けた。
「出来の良い妹がいて」
俺は、歩き出し、誰にも視えなくなったところで限界を迎える。
前のめりに倒れ――抱き止められて――月檻桜が微笑んでいた。
「何時も、悪者のフリをするんだね」
「……してねぇよ」
「最初から、クリスのことを殺す気なんてなかった癖に」
抱かれたまま、俺は苦笑する。
「ミュールとクリスの仲を取り持ってあげたの? 命を懸けて?」
「……姉妹百合が好きだからな」
浴びた血を分かち合うかのように。
月の光に照らされた月檻は、俺のことをゆっくりと抱き締める。
「頑張ったね」
「……頑張ってねぇよ」
眠気が訪れる。
柔らかな彼女の身体と温かさに包まれて。
俺は、静かに眼を閉じる。
「……月檻」
「なに?」
「……俺じゃなくて、女の子を抱いてくれ」
「ばか」
俺を抱きしめたまま、彼女は微笑む。
「ホントに……ばか……」
夜が更けてゆく。
どこからか、新入生と侍女たちの歓声が聞こえてくる。
それは、新入生歓迎会が成功した証で。
俺は、その楽しげな声を耳にしながら……眠りへと落ちていった。
この話にて、第五章は終了となります。
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