白と赤の決闘
トーキョー、中央区――ギンザ。
洒落たレストランの並ぶ通りに、一台のリムジンが止まる。
長身の運転手は、恭しく扉を開き、リムジン内でスパークリングジュースを飲んでいた俺は外に出た。
アイズベルト・グループが運営している会員制高級レストラン。
俺は、薄暗い店内へと足を踏み入れる。
暗中。
目が慣れてくると、調度品の数々が視えてくる。
スタインウェイのグランドピアノ、古美術品の蝋燭台、幾何学模様を描いているオブジェクト、純白のテーブルクロスがかけられた木製の円机……その中央で、灯りが立っていた。
ひとつのテーブルに、人影が宿っている。
闇夜を徊う奇怪な妖精。
深紅のドレスを着たクリス・エッセ・アイズベルトは、人ならざる魅力を背負い、闇の中から俺を覗いていた。
仄かな灯りに照らされて。
捻じくれた両眼が、俺を視ている。
俺は、一歩、踏み込む。
踏んだ瞬間――足元から導線が伸びて――レストランの床は、蒼色に光り輝き、俺の股をくぐるようにして金魚たちが通り過ぎる。
敷設型魔導触媒器による映像投影だ。
ほんのりと、輝いている蒼色の水面。
俺がそれを踏む度に、波紋が広がって、どこからか押し寄せてくる波とぶつかり消える。
ワキン、リュウキン、プリストル・シュプンキン、ピンポンパール、テツオナガ、キンランシ……様々な種類の金魚たちが、俺を誘うかのように、一筋の光の元へと向かっていった。
俺は、金色の魚たちに導かれてゆく。
どこからか。
純黒の礼服を着た女性が現れて、美しい所作で椅子を引いた。
俺は、座って――足を組む。
クリスは、微笑を浮かべ、彼女のワイングラスに赤色の液体が注がれる。
「不躾者が」
「失礼、淑女もどきの前で足を組むのは趣味が悪かったな」
怪しげな美貌を司る彼女は、運ばれてきた前菜を視て苦笑する。
「質が悪い。ギンザの一等地、かつて英国の王侯貴族の前で腕を振るっていた料理人でも、こんな質の悪いものしか揃えられない。
例え、この後、一流のメインディッシュが運ばれてきてもコレでは台無しね」
魔眼を開放しているクリスは、その眼で俺を睨めつける。
「正餐で供される料理と言うのは、その順序も、その質も、その供され方も統一されていなければならない。
どれか一皿でも、出来損ないであれば」
勢いよく、クリスは、フォークを前菜に突き立て――音もなく、皿ごと割れて、彼女は微笑んだ。
「除いた方が良い」
クリスは、目線で皿を下げるように命令し、ウェイターはその指示に従おうとする。
俺は、その手を阻み、彼女の皿から前菜を取って自分の口に運んだ。
「でも、中には必要とする人間もいる。
俺は、もう、夕飯は喰ってきたからな。前菜だけで十分だ」
「……合わないな」
彼女の口端が曲がる。
「お前とは合わない」
「そんなことが言いたくて呼び出したのか」
俺は、苦笑する。
「悪いが、俺には、性悪腐れ女と夕食を嗜めるような器量はなくてな。口悪メイド女の家庭料理の方が性に合う」
「大した男だ」
ワイングラスをくゆらせながら、彼女は笑う。
「私にそんな口を利いて、まだ生きている」
「相手の心が読めなくて良かったな。もし、お相手の心が読めてたら、お前は今頃大量殺人鬼だよ。
俺は、全人類を代表して、お前にデカイ口叩いてるからな」
殺――不可視の矢――気。
立ち上がったクリスの額に、人差し指と中指、その間に番えた不可視の矢を突きつける。
「おいおい、人を呼び出しといて、先にキレてたら世話ないだろ。
知らなかったかもしれないが、水のお代わりなら、ウェイターが運んでくれるぜ?」
「…………」
微笑んだクリスは、俺の前に幾つも並んだフォークの位置を整える。
俺は、微笑を浮かべたまま、彼女が座り直すのを見守った。
「本題に入れよ。俺とお前が、仲良しこよしで談笑しながら、フルコースに舌鼓を打つなんて不気味過ぎる」
ひらりと。
俺の前の皿に、純白の手袋が落ちる。
演劇役者のように、華麗な手付きで手袋を投げたクリスは微笑む。
「決闘だ」
「デッキ、持ってきてねぇよ」
「私はお前が気に食わない、お前も私が気に食わない。
殺し合うための条件は整っている」
足を組んだまま、俺は両手を広げる。
「あんた、決闘罪って知ってる?
そんなに他人様と殺し合いたかったら、腰に刀ぶら下げてた時代にタイムスリップして黒船とでも戦ってな」
「お前は男で、私は女。
ただの男女の私的なお付き合いに、日本政府が法を適用すると思う?」
俺の前にスープが運ばれてきて、俺は、たくさん並んでいるスプーンを眺める。
「コレ、どれ使えば良いの?」
「受けたら教える」
俺は、画面を呼び出して電話をかける。
「もしもし、スノウ?
うん、フルコースの食器、スープ用ってどれ使うの? うん、うん、えー、そんなん知らんわ、良いから教えてよ、帰り、アイス買ってくから……いや、ハーゲンは無理だろ、そんな金、家にねぇから……はいはい、わかったわかった。はーい」
ニヤリと笑って、俺は、一番小さなスプーンを手に取る。
「それは、デザート用だ」
「あのクソメイドがァッ!!(スプーンを叩きつける)」
ウェイターさんの前で、恥をかいた俺は、赤くなった顔を両手で隠す。
「ち、ちっちゃいなって思ったもん……ちっちゃすぎるなって、ちゃんと、思いはしたもぉん……!!」
「誘いを受けろ、三条家の出来損ない」
挑発するかのように、クリスは嘲笑う。
「良いのか、あの末妹は、私からの誘いに胸を高鳴らせていたようだけど……苦楽どちらに傾くかは、お前の回答次第だ」
ぴたりと、俺は、動きを止める。
「……どういう意味だ?」
「急に勘を鈍らせるな、この愚鈍が。
お前なら理解るでしょ。その素敵に腐った脳みそで、少しはシナプスを発火させてみたら。このクリス・エッセ・アイズベルトが、あの小さな出来損ないで、お人形遊びをするような歳に視えるの」
静かに。
俺は、彼女を見つめる。
「良い面。多少は、お上品になった」
「お前がミュールをお泊り会に誘ったのは」
ぼそりと、俺は、ささやく。
「俺を決闘の場に引き出すためで……そのためだけに……あの子を誘ったのか……?」
クリス・エッセ・アイズベルトは吹き出す。
「あは、あは、あははっ!! 傑作!! 傑作だ!! ば、バカじゃないの!! お、お前!! こ、この私が!! この私が、あの出来損ないを!! それ以外の理由で、誘ったとでも思ったの!? ば、バカだ、この男は!! の、脳の中で花が咲いている!! あは、あははははっ!! は、腹が痛い!!」
「…………」
ひとしきり笑った後、涙を滲ませたクリスは笑顔を歪ませる。
「今更、あの出来損ないと仲良く出来るとでも思った? お前みたいな男と同じように、この世界に必要のない存在と? ゴミはゴミ箱に、って、お前は育ての親に習わなかったの?」
クリスは、俺を睨めつける。
「私は、慈善事業をしようとしてるの。わかる。
使えない侍女、出来損ないの妹、そしてクソみたいな男……それらをまとめて、処分するために、貴重な時間を割いてやってる。
それをお前は……新入生歓迎会の警備だと……このクリス・エッセ・アイズベルトに……足を引っ張るだけの出来損ないの妹のお守りを……ふざけるのも、大概にしろよ、このゴミがァアアアアアアッ!!」
ドッ――ゴッ!!
クリスの手の下で、テーブルが真っ二つに折れる。
微動だにしなかった俺は、半分になって、彼女の下に傅いた木製の円机を見下ろす。
息を荒げながら、螺旋を畫いたクリスは、片手で顔を覆い込む。
「お前は……あの出来損ないの妹の前で殺す……いつまでもいつまでもいつまでも……どれだけのことをしても……あの出来損ないは……まるで、自分はクリス・エッセ・アイズベルトの妹だと言わんばかりに懐いてくる……ふざけるな……私は……私は、あんな出来損ないの姉じゃない……ウザいんだよ……なんで、嫌われているとわかっているのに……付いて回る……あの出来損ないが……ッ!!」
原作通りに。
螺旋を描くように、歪みへと収束したクリスは、その両眼を俺に向けた。
「受けろ、三条燈色ッ!! お前を!! お前を殺すッ!! あの出来損ないの前で!! さもなければ、あの出来損ないを先に壊す!!」
俺は、そんな彼女の醜態を見学しながらスープを啜る。
飲み終えてから……席を立った。
「逃げるのか?」
「帰るんだよ。
デートってのは、相手に呆れられたらそこで終わりだ」
振り向いて、俺は、微笑を浮かべる。
「お前じゃ、相手にならねぇよ」
「ふざけ――」
ひゅっ。
彼女の頬を切り裂いた不可視の矢は、真っ直ぐに飛んでいき――凄まじい破裂音を立てて、彼女の前のテーブルを含めた一列を吹き飛ばし、天高く舞い上がったソレは――破砕音と共に墜落した。
呆然と。
目を見開いたクリスの頬から、血が滴り落ちて……俺は、微笑を浮かべたまま、彼女に問いかける。
「視えたか?」
「…………」
「視えないだろうな、お前如きには。たったひとりの妹の想いも視えないお前如きには。一生、俺の矢は視えねぇよお前如きには。
たったひとりの妹とも、向き合えないお前が、誰に勝てるって言うんだ?」
毎日毎日毎日。
嬉しそうに楽しそうに、姉のことを話して、彼女のことを自慢していたミュールの姿が浮かぶ。お泊りに誘われたのは初めてだと、そわそわしながら、リリィさんに語っていた小さな彼女のことを思い浮かべる。
彼女の笑顔は、純粋で、そこには姉妹の間で咲き誇る絆があった。
その美しい花を。
眼の前で、踏みにじるヤツがいる。
大事に大事に抱えていた想いを……彼女が育てきた想いを……祈り続けてきた願いを……汚らしい笑顔で、壊そうとするヤツがいる。
許せるか?
俺は、俺に問いかけて――叫んだ。
「許せるわけねぇだろ、テメェみたいなクソ女ァ!!」
俺は、魔力を迸らせる。
「人様の花壇に踏み入って、散々に踏みにじったテメェを!! 俺が許せるとでも思ったか!? あぁ!? そんなにブチのめされてぇなら、ブチのめしてやるよ!!」
笑いながら、俺は、叫び続ける。
「お前の言う男がッ!! お前の言う出来損ないがッ!! お前の言う無価値な底辺がッ!!」
俺の叫声が、その場に響き渡る。
「天才を凌駕するところを見せてやるよッ!!
今更、逃げ出すんじゃねぇぞ、クリス・エッセ・アイズベルトォオッ!!」
ひらひらと。
宙を舞っていた純白の手袋が、クリスの手元に落ちる。
彼女の頬から滴った血が、真っ白な手袋に落ちて、その白は赤に染まってゆく。
クリス・エッセ・アイズベルトは――遙か高みから――嘲笑った。
「上等だ、踏み台が」




