百合ゲー世界に、混浴露天風呂は存在しない
「鍛錬の疲れは、温泉で取りましょう!」
とのことで、俺は、山奥の温泉に浸かっているわけだが。
なにがどうなってか、全裸のレイが、俺の背後で身じろぎしていた。
「…………」
「…………」
なぜ、男の俺が、百合ゲー世界で、全裸のヒロインと一緒に温泉に入ってるんだ?
「…………(自害中)」
どうやら、俺の顔の表面に空気の層を作って、アルスハリヤが延命を図っているらしい。
魔人は、全身が魔術演算子で構築されている。
そして、その全身を自由自在に操ることで、魔導触媒器なしで簡易的な魔法発動くらいはやってのける。
魔人戦の厄介なところは、そういった簡易魔法の発動にもあるのだが……まぁ、現在、言えることは、俺はアルスハリヤのせいで死ねないということだ。
仕方なく、俺は顔を上げる。
朧気に、灯籠の裡で灯が揺れていた。
たぶん、師匠か御影弓手が灯したものだろう……濁った湯の表面で、朧月夜と灯が映えている。
ちゃぷりと、音が立った。
俺の背後で、一糸まとわぬ姿の美少女が身じろぎしている。
目線の下で、波紋が腕に当たった。
視界の隅にきめ細やかな肌が映り、肩と肩がかすかにぶつかって体温が伝わってくる。
「はぁ……はぁ……はぁ……!!」
目を見開いた俺は、大量の汗を流しながら、横目でレイの様子を窺う。
へ、変なこと考えてないよな……みょ、妙なことになったりしないよな……こ、コレは、百合ゲーだよな……い、いざとなったら、アルスハリヤが反応出来ない速度で心臓を止めるしかないが……出来るのか、そんな芸当が……い、一か八か、殺るしかない……!!
「お、お兄様」
声をかけられて、俺は、びくりと反応する。
「お、オレ、アニ!! お、オマエ、イモウト!!
キョウダイッ!!」
「あの……三条家の都合で、そういう形式にはなっていますが……ほぼ、血が繋がっていない遠縁ですし……民法734条で結婚が禁じられているのは『直系血族又は三親等内の傍系血族』で……男女同士の結婚は、色々と壁もありますが……わ、私とお兄様は、問題なく婚姻を結べます……」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁっ!!(過呼吸)」
うっすらと、俺の眼尻に涙が浮かぶ。
こ、コイツ、調べやがった……そ、そんなこと、調べる必要ないのに……し、調べやがった……み、民法の勉強……こ、公務員でも目指してるのかな……?(現実逃避による延命処置)
「あ、あの、別に変な意味ではなくて……本当に、お兄様がいるとは思わなかったんです……アステミルさんも『ヒイロなら、もう出たんじゃないですか?』と言っていたので……ゆ、湯けむりで見えなくて……す、すみません……」
あのクソエルフがァッ!!
俺は、冷静さを保つために呼吸を整える。
本来であれば、レイが一緒に温泉に入るのは女の子でなければならない。
なぜなら、コレは百合ゲーであって、エロゲーでもなければギャルゲーでもないからだ。
ヒロインが百合の間に挟まる男と一緒に温泉に浸かってるCGとか、表示された瞬間に画面ブチ割って心停止、物凄い勢いで病院に担ぎ込まれる。
「あの……でも、こうして、お兄様と一緒にお風呂に入れて嬉しいです……」
真顔の俺は、スッと、九鬼正宗の刃先を心臓の上に当てる。
「家族風呂とか……そういうのに憧れてたので……」
笑顔の俺は、スッと、九鬼正宗を置き直す。
そっと、甘えるように、レイの後頭部が俺の肩に置かれた。
少し濡れて、外気で冷たくなった黒い髪が俺の肩をくすぐる。水分を吸って重たくなった髪は、恐ろしいくらいの艶めきを保っていて、波立った湯の表面で白魚のような指先が踊る。
安心しきったかのように、レイは目を閉じた。
戸惑うように俺の肩に触れている指先が、俺の存在を確かめるように、ゆっくりとその輪郭をなぞってゆく。
「私の家族は、スノウとお兄様だけです……いつか、一緒に三人でお風呂に入りましょうね……」
「絶対にやだ(NOと言える日本人)」
ギリギリで、家族愛の範疇に入っている。そう判断した俺の呼吸は、正常さを取り戻し、ゆったりとリラックスしてきた。
「レイ」
「はい」
「三条家の魔眼……『払暁叙事』について知りたいんだが……」
バシャリと、水音を立て、レイが完全にこちらに向き直る。
「な、なぜ、お兄様が三条家の魔眼のことを?」
「やだぁ……こっち、視ないでよぉ……!!」
「も、申し訳ありません」
にごり湯でなければ、全部、視られてしまっていただろう。
顔を赤くしたレイは、胸元を両手で覆って、くるりと向きを変える。
「師匠に教えてもらったんだよ。あの女性、基本的になんでも知ってるから。
俺、もっと強くなりたいからさ。現在、『払暁叙事』の開眼に向けて努力してるところ」
「そうでしたか……三条家の人間がお兄様に魔眼のことを教えるわけがありませんし、関連資料は本邸の大金庫に仕舞われていて……私ですら、正式に家名を継ぐまで開けてはいけないと言われていたので……」
まぁ、実際は、ゲーム内知識で知っていたわけだが。
三条家の連中が、魔眼のことを押し隠そうとしているのも無理はない。ヒイロのように、三条家に敵対的で支配下に置けない人間に、魔眼と言う絶対的な力を手に入れられたら困るからだ。
ヒイロは、直系で、魔眼を開眼する条件は揃っている。
邪魔者の代名詞みたいな男が『払暁叙事』を開いてしまったら、奴らとしては気が気ではなくなるだろう。
それに、魔眼の開眼は、身内同士の骨肉の争いにも関わってくる。
「魔眼は、血統を基にした相伝に拠るものだとされています。もし、お兄様が魔眼を開眼したら、現在まで、お兄様の血筋を認めていなかった『三条黎派』の立場が一気に悪くなる。
お兄様が『払暁叙事』を閻いたことが周知されれば、水面下で動いていた『三条燈色派』が台頭してくるのは当然とも言えます。きっと、お兄様を正統後継者として持ち上げて、三条家内の権力を握ろうとするでしょう。
だからこそ、万が一にも、お兄様に魔眼を開眼してもらったら困るんです」
祖父母及び父母が既に死亡しており、配偶者を持たない三条燈色は、唯一無二の直系として存在している。
それは、つまるところ、唯一の直系として味方がいないことを示している。
三条燈色は直系の血筋ではないと言い張っている傍系(分家)の連中は、俺が直系であることを示すありとあらゆる証拠を処分したつもりで……俺に『払暁叙事』と言う直系の証を立てられたら困るのだ。
三条家は、一枚岩ではない。
全員が全員、三条黎を立てているように見えているが、その裏では、隙あらば彼女を落として己を立てようとしている人間もいる。
中には、血筋と伝統を重視する変わり者もいて、三条燈色を直系として証明し、三条の旗印にしようと画策していたりもするのだ。
要するに、俺が魔眼を開眼すれば、三条家周辺で面倒事が巻き起こる。
まぁ、現在は『払暁叙事』を開くつもりはないし、開いたとしても、上手くバレないように立ち回るつもりだ。
俺を中心にして、妙な方向にレイ・ルートが進んだら困るしな……。
「安心しろ。魔眼を開眼しても、バレないようにはするよ」
「はい、私もお力添えします」
「で、払暁叙事についてなんだが」
レイに背を向けたまま、俺はささやく。
「開いた時に、脳と目に負荷がかかると思うが……例えば、無理矢理、開いたような場合……人体は、何秒まで耐えられる?」
少し間があってから、レイは口を開いた。
「聞き及んだ話ではありますが……16秒……いえ、15秒が限度とされています……かつて、邪法によって魔眼を強制的に開いた人間が、『十と六の刻を経て、人ではなくなった』と……どういう意味かはわかりませんが、無事では済まないと思います」
ゲーム内では、魔眼の開放限度時間はターン数で表されていた。
次の使用には、ゲーム内ターンでのクールタイムが存在し、無理矢理、魔眼を開けるような仕様は存在しなかった筈だ。
だからこそ、無理にでも開き続けたらどうなるのか、限度時間はどれくらいなのか、それらを知りたかった。
「15秒……」
「お兄様、魔眼には格があるとされています。
そして、その格が高ければ高いほどにかかる負荷も比例的に高くなり、故に、開放限度時間も短くなる……払暁叙事は、最上格のひとつ下、『璞視』の格をもっており、開放することによる影響は計り知れません」
「あぁ、わかってる。無理をするつもりも、強制的に開くつもりもない。
ただ、聞いてみただけだ」
「そうでしたか」
ホッと、レイは安堵の息を吐く。
15秒……開けるとしても、たったのそれだけか……いや、それでも十分過ぎるのかもしれないが……まぁ、興味本位で聞いてみただけだ……アルスハリヤの誘いに乗るつもりはないし、クリス・エッセ・アイズベルトと殺り合うつもりもない……。
ふと。
考え込む俺の視界に、目を細めている師匠の姿が映り込む。
「ふたりでお風呂……そういう関係ですか……?」
「お前のせいだろうがっ!! オラァッ!!(ぴゅっぴゅっ)」
「熱いッ!! 弟子からのヴァイオレンスッ!!」
俺の水鉄砲で、師匠は退散していき、あわあわとレイが立ち上がる。
「す、すみません、出ます!!」
「今、立ったらアカン!!
全部、視え――死ね、クソがァッ!!(自分の目を潰す)」
「きゃっ……ぁ……ご、ごめんなさぃ……」
レイの身体の半分くらいは視えていて、脳裏に刻まれてしまったが、ギリギリのところで目を潰すことは出来た。
俺の目潰しシーンは、レイの目には入らなかったらしい。衣擦れの音の後に足音が聞こえてきて、弁明するためか、師匠を必死に追いかけていったようだ。
「良かった……穢された百合はなかったんですね……」
「きゅ、急に自分の目を潰そうとするな……ぎ、ギリギリのところで、防御が間に合ったが……僕がいなかったら、本当に失明してたぞ、あの勢いは……」
視力が回復してから、俺は湯から上がる。
その瞬間、俺に纏わりついていた湯けむりが肌に沿って線状となり、置かれていた九鬼正宗の鞘を視て――ふと、気づいた。
「……解けた」
「なに?」
「霧の謎が」
俺は、ニヤリと笑う。
「解けた」