回想式修行パート
新入生歓迎会、一週間前。
なぜか、俺は、師匠と一緒にテントを視ていた。
そこは、カインズとかビバとか頭について、ホームで終わるタイプの店だった。
所謂、ホームセンター……月檻がかける“魔法”の仕込みに夢中だった俺は、久方ぶりの金曜日、銀髪エルフの師匠と並び立っている。
アウトドアグッズ・コーナーで、前かがみになった師匠は、編み込んだ長髪を揺らしながら「うーん……」と唸っている。
彼女の視線の先には、1人用のテントがあった。
「ヒイロ」
「なに?」
「1人用でも大丈夫ですか?」
「……いや、まず、説明を求めても良い?」
灰色のアウターとプリーツスカートを履いた師匠は、愛らしい出で立ちで、そっと俺を抱き締める。
健全な男の子を堕落させるには、十分過ぎる香りと柔らかさ。
吐息が俺の耳朶をくすぐり、思わず、びくりと反応してしまった。
「なんか、いけそうですね」
そっと、俺から離れて、ニッコリと師匠は笑う。
「いや、あの、本当に、プリーズ・エクスプラネーション。要説明。人と人は、語らい合うことで理解し合える生き物ですよ」
「鍛錬ですよ、鍛錬。
現在から、金・土・日と、3日かけて泊まり込みで鍛錬するので。テントとか調理器具とか、諸々、必要になりそうだなと思いまして」
「なんだって?」
「テント……ヨシッ!!」
「ヨシじゃないヨシじゃない。人を置いてけぼりにして、指呼確認するな。ダブルチェックは基本だろうが」
「ヨシ、ヨォシッ!!」
「気合入れて、二回連続確認しろなんて誰も言ってない」
「…………」
「不満気に俺を視るな」
俺は、師匠の人差し指を握り込む。
「なに、金・土・日の鍛錬って。初耳だよ。そして、さっきのハグは、そういう意味か。1人用のテントでも、ふたりで抱き締め合えば、ギリギリでINしてヨシッ!! ってか。人を舐めるのも良い加減にしとけや」
「いや、三人ですよ」
「は?」
ひょっこりと。
ベージュのニットとレザーショートパンツを履いたレイが、笑顔でぱたぱたと駆けてくる。
「お兄様と聞いて、我慢できずに駆けつけた三条黎です」
「そ、そういう冗談はいいから……(震え声)」
レイは、珍しく足を出して、女子高校生っぽいファッションをしていた。恥ずかしそうに前髪を弄りながら、上目遣いで俺を見つめてくる。
「隣席の方に服を選んでもらいました。
こういう服は、如何でしょうか……?」
新雪のように綺麗な純白。
蛍光灯に照らされ、陰影をつける太ももを見つめて――俺は、近くにあった手鍋で、己の頭を殴りつける。
「お、お兄様……!?」
「良い鍋だ、一発で凹んで、悪しき心が吹き飛んだ。まるで、俺の心を表しているかのようだ。
この状態で、『我が心』との題を付けて美術館に飾りたい」
俺は、ベコベコに凹んだ手鍋をお買い上げしてから師匠たちの元に戻る。
「帰って良い……?(満身創痍)」
「なんで、レジに行くまでの間、自分の頭を殴り続けてたんですか? 我が愛弟子ながら、その思考が読めない」
俺が戻ってくるなり、そっと、レイが寄り添ってくる。
俺は、ゆっくりと、彼女から距離を取った。
すすすと、レイが寄ってきて、俺はわなわなと口を震わせる。
つ、追尾型百合挟男破壊ミサイル……百合に挟まる男を精神的に破壊しようと、自動で付いてきてるのか……神が俺に罰を……どこまで、苦しめと言うんだ……俺がなにをした……俺がなにを……っ!
顔を覗き込まれて、俺は、ハッと我に返る。
微笑みを浮かべたまま、レイは俺を見つめており、その眼差しには隠しきれない好意があふれていて……ビクンビクンと、ひとりでに俺の全身が震える。
「し、師匠……な、なんで、レイがココに……?」
「暇そうだったので、誘いました(ドヤァン)」
「お前も俺の敵か(真顔)」
胸を張る師匠の脇腹に、ドシュドシュと手刀を入れる。
笑いながら、師匠も反撃してきて、アウトドアコーナーでじゃれあっていると。
ぽすっと、音がして。
おずおずと、レイが俺の脇腹に拳を入れていた。
俯いていたレイは、ちらっと、不安そうに俺を見上げる。
「おら」
笑って、俺は、彼女の頭に優しく手を置いた。
彼女は、嬉しそうに微笑を浮かべて、憧憬に満ちた目で俺を視る。
たぶん、こういう家族との触れ合いは、レイにとって未知の領域で……だからこそ、彼女のルートでは、月檻桜と三条黎が家族になるまでが描かれる。
さすがに、ココで無視するなんて鬼畜なことを出来るわけもなく、俺は、ぽんぽんと頭を叩いて彼女の不器用な甘え方をいなした。
「で、師匠、いつの間にレイと知り合ってたんですか」
「ラピスと仲良くしてもらってますからね。良くチャットもしますよ。この間、スタンプも1000個くらい送ってあげました」
「無差別スタンプ爆撃はやめろ」
ため息を吐いて、俺は、一人用のテントを見つめる。
「まさか、あんた、三人でひとつのテントに泊まろうなんて考えたわけじゃないよな……?」
「前か後ろかは、じゃんけんで決めれば良いじゃないですか」
「誰も前後の心配してねぇわ!! なんで、俺が真ん中で挟まる形に決定してんだオラァ!! 次の日の朝には、舌噛み切って、冷たくなってるわ!!」
首をかしげた師匠は、前から俺を抱き締める。
おずおずと、レイは俺の背中にぴったりと貼り付いて頬をつけた。
「大丈夫ですよ、ほらこんな感じで」
「ギィャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!(断末魔)」
そこから、俺の記憶は途切れている。
気がついた時には、俺はテントやらのアウトドアグッズを背負い、鬱蒼とした森の中を歩いていた。
鳥居だ。
頭上には、苔むして傾いた赤鳥居があって、遥々、遠路までその門戸は続いている。樹と樹の間は注連縄で結ばれており、地面に付く程に長い紙垂が俺の足元にまで伸び、絨毯のようになっていた。
どこからか、鈴の音が聞こえてくる。
しゃん、しゃん、しゃんっ。
幾重にも重なって聞こえる鈴の音。空気中を伝搬して、俺の耳の中で這いずり回っている。
いつの間にか、霧が出ていた。
ねっとりとした、乳白色の霧が全身にのしかかっている。
重い、そして、苦しい。
この感じ……魔力切れの感覚に似ている……霧に魔力を吸われてるのか……どこかで、この霧、視たことがあるような……そうだ、御影弓手が使っていた……。
「はぁ……はぁ、はぁ、はぁ……」
じっとりとした汗をかきながら、俺は、ひたすらに歩き続ける。
俺の右隣を歩く師匠は、ひょいひょいと、足場が悪い山道を登っている。
左隣のレイは、いつの間に着替えたのか、登山に相応しい服装になっており、ひとりシャツとジーパンで歩く俺がバカみたいだった。
先行する師匠は、ニコニコしながら俺を見つめている。
このニコニコ笑顔、『私の愛弟子なら、このくらいは自分でどうにかしますね』のパターン……つまり、手助けは望めず、ぶっ倒れるまでお前を鍛えるからな? の合図だ。
マズイな。このままだと失神する。
登れば登るほど、魔力を吸われる量が増えている。いや、減っているのか。
とりあえず、霧を遮断しないとマズイな……十中八九、この霧が原因だ……対魔障壁で、どうにか……。
引き金。
俺は、レイを対魔障壁で包み込む。
が、彼女の症状は改善せず、俺はぜいぜいと息を荒げながら汗を流す。
ダメだ。呼吸か。対魔障壁の密度が薄いせいか、霧が通り抜けて、肺に吸い込んでしまっている。こんなもん、幾ら、張ったところで無意味だ。ちくしょう、苦しそうなヒロインを眺め続ける趣味なんて俺にはねぇぞ。
大量の汗を流しながら、俺は、妹の後ろに回る。
「……レイ」
真っ青な顔で、現在にも倒れそうな彼女の背に手を当てる。
「お前の魔導触媒器……陽炎と俺の九鬼正宗を同期させろ……俺の魔力をお前に流し込む……多少はそれで楽になる……」
「で、でも、お兄様が……」
「良いから、早くしろ……こういうのは兄の役目だ……」
ぼんやりとした表情で、レイは、槍袋に入れた陽炎を取り出す。
白い霧中で、輝く銀の槍。
美しい穂先を流れるように伸ばしたレイは、目を閉じて同期を始め――俺は、彼女に魔力を流し込む。
「うっ」
レイは、呻き、汗だくの俺は必死で魔力を制御する。
魔力を制御――あれ? できてる?
スムーズに魔力が流れ込み、徐々に、レイの顔色が良くなってくる。
なんで、急に制御できるようになってるんだ……アルスハリヤの持つ魔力は、膨大すぎて手に負えなかったのに……。
ふと、気がつく。
この霧か。
俺の魔力に感応するかのように霧が晴れていき、正解だと言わんばかりに師匠が微笑んでいた。
「霧が……俺の制御しきれなかった魔力を吸ってるのか……俺の意図通りに魔力が流れて……霧が俺の魔力の流れを整えてる……整流してるのか……?」
「それは、補助輪ですよ」
大木の横。
白い霧で、顔を隠した師匠はささやく。
「ヒイロ、この霧は、貴方にとっての導き手だ。魔力を押さえつけてくれる師でもある。この霧の正体を掴むことこそが、私からの貴方への問いかけです。
貴方は、3日を費やして、この問いに答えを出さなければならない」
「いや、霧の正体を掴めって……たったの3日で……現在にも倒れそうなのに……?」
「ひとりではめげそうだから、可愛い妹さんも連れてきてあげたんですよ。
更に、ドォン!! 貴方には、ひとりの仮想敵を設定します」
「仮想敵?」
霧の向こう側で、師匠が笑ったのがわかった。
「クリス・エッセ・アイズベルト」
「いや、嘘だろ……あの化け物に、たった3日で勝てるようになれって……? それこそ、魔眼でも開眼できなきゃ無理だろ……?」
「誰も勝てるようになれとは言ってませんよ。
それと、魔眼を無理矢理開くなんて絶対に許しません。アレは長期的なアプローチをかけて、自然と開くものですからね。現在のヒイロが、払暁叙事を開眼したら廃人になってもおかしくない」
「なら、どうしろって言うの?」
「クリス・エッセ・アイズベルトに敗けないようになれば良い。
それは、ヒイロ、貴方の得意分野の筈だ」
ゆっくりと、霧が晴れて――俺の前に、断崖絶壁が広がる。
大木の横に佇む師匠の横には、抜けるような青空と切り立つ崖、そこにしがみつく赤と金の天宮が在った。
あたかも、龍が空を上るかのように。
細く白い雲が、青い空を蛇行していて、その下で銀色の師が微笑んでいた。
「始めましょうか、天才への第一歩を」
彼女は、俺に手を差し伸べる。
蒼穹の下で、俺は、口端を曲げて――その一歩を踏み出した。