平穏学園生活
どうやら、お嬢は、俺が復学したことを知らなかったらしい。
と言うか、あの船で死んだと思い込んでいたらしく。わざわざ、豪華客船まで供花を供えに行っていたとのことだ(月檻情報)。
「月檻から聞いてなかったの?」
「ふんっ、庶民とのふれあいサロンに通うつもりはありませんわ。わたくし、一定の格以上の淑女としかお付き合いしませんの」
「クラスのグループチャットとかで、情報、回ってたりしなかった?」
「……中流階級と交わるつもりもありませんわ」
つまり、グループチャットからハブられているらしい。
昼休みの保健室。
不在の保険医に代わり、ベッドに寝せていたお嬢は、目を覚ましてこちらを睨みつけていた。
「生きているなら生きていると連絡なさい!!」
「いや、だって、別にお嬢は俺のことなんぞ憶えてないかなって……その方が有り難いなって……」
はぁっと、お嬢はため息を吐いた。
「貴方は、もっと、自分に自信を持ちなさい。
人間国宝、いえ、世界遺産、このオフィーリア・フォン・マージラインの命を救ったのだから。
その貢献、推し量れないものがありますわよ」
いつの間に、世界遺産登録されたんすか、お嬢……。
胸に片手を当てて、お嬢は縦ロールをぶわぁっと掻き上げる。
「マージライン家は、恩を忘れませんわ。例え、それが、ドブネズミと謳われるような男であっても。
私は、貴方に褒美を授けます」
「え、なに、牛丼でも奢ってくれるの?」
「ぎゅ? え? ぎゅどん? なにそれ?」
画面に画像を映して見せてあげると「あら、美味しそう……」と、興味津々だった。
近くの牛丼屋を教えてあげていると、彼女は急に咳払いをする。
「ご、ごほん、話がズレましたわね。
ギュドンは知りませんが、わたくしから貴方に素晴らしい提案がありますわ。来る夏季休暇、我がマージライン家へ貴方を招待してさしあげます」
ココで、その流れ!?
予想外の提案に、俺は、思わず黙り込む。
夏休み前までに、一定以上、お嬢の好感度を上げておくと発生する夏休みイベント……『マージライン家の夏休み』は、エスコ・ファン、特にお嬢ファンにとっては垂涎ものの人気イベントだ。
なにせ、お嬢を含めて濃すぎるマージライン家の面々を、心ゆくまで堪能出来るのだから面白くないわけがない。
なにからなにまで、マージラインで染まる楽しい夏休みは、取る行動によって隠しパラメーターが変動しあらゆるイベントが分岐する。
分岐数は膨大で、ひとつひとつのイベントの分量も多い。
『マージライン家の夏休み』の直前にセーブしておいて、何度も繰り返し楽しむプレイヤーが多発するくらいで……あまりの人気ぶりに、アップデートでミニゲームが追加されたくらいである。
ただ、『マージライン家の夏休み』は、選択肢を全問正解すればお嬢の好感度が鰻登り、オフィーリア・ルートが確定してしまうと言う罠がある。
それに、そのイベントひとつで、貴重な夏休み期間がまるまる潰れてしまう。
キャラクター強化やダンジョン探索、仲間キャラクター探しに各ヒロインの好感度上げ……それらを全て放り投げる覚悟が必要になる。
正直、百合を目指す俺としては、あまり参加するメリットがない。
まだ先の話ではあるが、上手いこと断る必要があるのだが……。
「オーホッホッホ! 光栄の至りで、言葉も出ないようですわね! このわたくしが男を家に招くとは、世も末とお考えかもしれませんが、命の恩人ともなればプライドを捨てられるのがオフィーリア・フォン・マージライン! 格の違いを見せつけられて、この男、硬直状態から抜け出せませんわぁ!」
頬を上気させて、嬉しそうにぺらぺらと捲し立てるお嬢。
た、楽しそうだ……俺が断るとは、思いもしないのだろう……たぶん、頭の中では、楽しい夏休みの思い出が、絵日記風で描かれ始めているに違いない……で、でも、お嬢は人気者だから、俺ひとり断っても大丈夫だよな……?
「あ、あの、それって他に誰か参加したりするの?」
「オフィーリア・フォン・マージライン!!」
いかん!! 良いお返事で、ソロでのご出陣が確定なされた!!
「わたくしとて、本当は、貴方とふたりなんて嫌ですわよ。上流階級の淑女の方々も、お誘いしたのですが、どうしても用事があると言いますから。仕方なく、本当に仕方なく、貴方を褒美としてお誘いしているのですわ。
嬉しいでしょう?」
「トゥァイム!!(タイムの流暢な発音)」
俺は、お嬢から離れて、画面を開く。
チャットアプリを呼び出し、月檻たちが参加しているグループにお誘いを投げ込んだ。
『夏休み、お嬢の家に行く人~^^』
『ヒイロくんが行くなら行く』
『お兄様と一緒に行きます』
『ヒイロが参加するなら参加するけど』
『ごめん、俺、参加できそうにないわ(笑)
三人、参加でOK?』
即座に既読が付いて、数分が経過しても返信は返ってこなかった。
俺は、泣きながら、お嬢の元に戻る。
「おじょお、ごめぇん……おれ、おれぇ……!!」
「そんなに泣くほど、嬉しかったのですわね。オホホ、構いませんことよ」
断ろうとした俺は、お嬢の嬉しそうな顔を視て覚悟を決める。
ココで、断れるほど、俺は人間を捨てちゃいねぇ!! お嬢は護る、百合も護る!! 夏休みイベントで、俺はお嬢を楽しませる!! その上で、好感度なんて一目盛りも上昇させたりしねぇ!!
百合道と云ふは死ぬ事と見つけたり(至言)。
「はい、泣くほど嬉しいので参加します。
月檻たちに知らせたら、感激でむせび泣いており、喜んで自分たちも参加させて頂きたいと伏して頼んでおりました」
「オーホッホッホ!! 当然ですわぁ!! そこまで媚びるようであれば、月檻桜たちの参加も許してさしあげましょう!!」
ホッとしているお嬢を視て、俺は涙を流しながら頷いた。
コレで良い……コレで良かった……お嬢、あんたのプライドを護るためなら、俺は何もかも犠牲にするよ……ただ、その上で、百合は咲かせる(強い意思)。
話は終わったら、もう用済みらしい。
シッシッと追い出された俺は、喜んでその場を後にして、次の授業へと向かっていった。
鳳嬢魔法学園は、単位制である。
規定の単位数さえ取れていれば、進級と卒業が可能なわけで、ある程度、好きなように授業を履修していてもどうにかなる。
恐らく、コレは、原作ゲームの特徴を受け継いだものだ。
原作では、各属性魔法特化の主人公を作り上げるために『属性魔法教育(初級から上級まで)』を6限まで取るようなプレイをしたり、その間に『魔導触媒器基礎応用』を挟んで使い勝手の良い火力特化を目指したりも出来る。
さすがに、この世界では、そこまでの好き勝手は許されていない。
担当教員は月曜から金曜、1限から6限まで、授業を実施し続けてはくれない。
鳳嬢魔法学園の教員ともなれば、政府からの呼び出しを喰らって、授業自体に穴が出来たりもする。
そのため、各時間ごとに実施される授業は決まっており、生徒たちはそこから受講する授業を選ぶようになっている。
俺は、師匠との修行で演習は十分に積んでいるので、演習系の授業は外すことにしていた。
どちらかと言えば、座学をメインに組んでおり、『ダンジョン探索入門』とか『異界実地調査』とか、週末限定の三コマ使うような面白そうなものも取っておいた。
鳳嬢魔法学園は、各種設備も充実しており、魔法/導体の研究棟(別棟)で授業を実施したりもする。
と言うわけで、本日の俺は、レイと同じ授業を取っていて、黒いカーテンが引かれた研究棟内の教室にいた。
『導体入門』の教鞭を取っているのは、Dクラスの担任『ジョディ・カムニバル・フットバック』先生である。
彼女は、穴の空いた紙袋をかぶっており、真っ赤な目玉がその穴から覗いている。血まみれの肉切り包丁(魔導触媒器)を持ち、愛らしいクマのアップリケを着けたエプロンを身に着けていた。
「はぁい、みんな、教科書はもったかなぁ?」
エスコ・ファンからは『世界一可愛い殺人鬼』と呼ばれている彼女は、めちゃくちゃ可愛い声でしゃべり始める。
「きょうは、前の授業の続きから……あらぁ、きみぃ?」
ズンズンズンズン。
肉切り包丁を持った先生は、俺に近づいてきて。
綺麗に90度、首を曲げてから、耳元にささやきかけてくる。
「前の授業、いなかったねぇ……!?」
右隣に座っていたレイが、魔導触媒器を構えて、後ろの席の女子生徒が「ひぃ!!」と叫び声を上げる。
「心配しなくてもだいじょうぶよぉ。わからないところがあったら、何時でも先生が教えてあげるし、じっくり丁寧にぃ。まるで、筋肉の繊維を一本一本、引き裂くみたいにしてぇ。遅れた部分も懇切丁寧に指導してあげるぅ」
ハァハァと息を荒げながら、俺を見つめる赤色の目玉。
俺は、ニッコリと笑って頷いた。
「ありがとうございます。わからないところがあったら聞きますね」
「あらあら、良い子ねぇ。
料理して食べちゃいたぁい」
「あはは、先生、それってセクハラですよ」
「あらやだぁ」
先生は、教卓へと戻っていき、レイは安堵の息を吐いた。
「だ、大丈夫ですか、お兄様。よく正気を保てましたね」
「いや、あの女性、ああ視えて聖人だから……」
ジョディ先生は、毎週末、欠かさずにボランティアに参加している。
保護施設から捨て犬を引き取って育てており、募金は欠かさず、質素な生活を旨として、授業についていけなくなった生徒を勤務時間外に世話をしている。
彼女のルートを進めていくと、最後の最後に紙袋の中身を視ることが出来るのだが……その一枚絵は、一部界隈からは、担当イラストレーターの最高傑作とまで謳われていたりする。
鳳嬢魔法学園の先生の中でも、彼女は、群を抜いて優しい。
見た目は殺人鬼なのだが、ファンからは『殺人鬼』の愛称で親しまれているくらいだ。
「はぁい、じゃあ、皆の前に導体があるわねぇ」
フシュフシュと、息を吐きながら。
ジョディ先生は、小さな導体を摘む。
「全ての導体は、基本の四種に分類されているの。
誰か、わかる子はいるかしら?」
ちらちらと、俺を視て『視ててください』アピールをした後に、レイは手を挙げてから立ち上がる。
「属性、生成、操作、変化の四種です」
「素晴らしいわ、三条黎さん! 満点、満点、拍手喝采!!」
ドンドンと、肉切り包丁を教卓に叩きつけて、前列の生徒たちが悲鳴を上げる。
「あらやだ、興奮しちゃった」
飛び散った木屑を魔法で戻しながら、先生はフシュフシュと笑う。
「魔法は、基本的に、生成(属性)->操作->変化の流れで発動するわ。その流れは変わることはないけれど、高位の魔法士は周囲の事物や現象を操作したり変化させることで、生成の手順を省いて魔法行使を行ったりもするの。
生成から変化まで、どれが優れていて、どれが劣っているわけでもないのよ。
冒険者協会の手で、ダンジョンから出土している導体はその珍しさからランク分けされているけれど、どのレアリティの導体でも、使い所はあると言っても過言ではないわ」
先生は、黒板に肉切り包丁(チョークを生成)で図を描いていく。丁寧にじっくりと、導体の基礎を教えてくれた。
最後に簡単なレポートの宿題が出て、授業はつつがなく終了する。
俺とレイは、教室から退室して並んで歩いた。
「恐怖で、あまり、頭に入ってきませんでした……さすが、お兄様は、どんな状況でも物怖じしないのですね。
あの状況下で、真剣に授業を聞かれていて、尊敬の念を覚えてました」
両手を組んで、レイは、キラキラとした目を俺に向ける。
今なら、う○こ漏らしても『さすが、お兄様』とか言いそうだな……試して、本当にそうなったら終わりだからやらないけど……。
他の女の子たちと仲良くして欲しいのに、レイは俺の横に断固として座るので、百合が育まれる土壌が汚染されきっていた。
どうにかせねばと思いながらも、妙案を思いつくことはなく……別棟の外に出たところで、レイと別れる。
俺は黄の寮、レイは朱の寮へと向かっていく。
色々と思うところはあったらしいが、レイは朱の寮、ラピスは蒼の寮への入寮を果たした。
レイは三条家の問題があって本邸に居づらかったし、ラピスも神殿光都からの使者(帰って来いの催促)にうんざりしており、鳳嬢魔法学園の寮に入寮した方が都合が良いらしかった。
ふたりとも、黄の寮に入るとか言っていたが、寮長たちの熱心な説得のお陰で、どうにか、最悪の事態は免れた形になる。
さて、今日は、帰ったらなにをするか。
ふふ、最近、落ち着いてきたし、スノウが買い物行ってる間にFLO○ERSの再プレイでもしちゃおっかな。
そんなことを考えつつ、黄の寮の中に入ると、リリィさんがこちらを振り向き――
「三条様……」
真っ青な顔で、ささやいた。
「たすけてください……」
強化投影――俺は、一気に階段を駆け上った。