壱つ動けば、全て動じる
「……民間の陰陽師?」
洗い桶の水で、顔を拭った星はこくりと頷く。
「この京に、六柱の魔人が集まってることは陽様から聞いて知ってるっしょ? アレ、どうも、民間の仕業だったみたいで」
「民間と陰陽寮との間で、抗争が起きているぅ……陰陽寮に属しておらず官人ではない民間が私的に貴族と縁を結び、祭祓を行い、ついには天子様を誑かし魔人を呼んでいるとしてぇ……殺し合いの真っ只中だぁ……」
「どうも、藻女の首級を挙げたことでパワーバランスが崩れたみたい。藻女に怯えて声を上げられなかった連中が、コレ幸いと言わんばかりに民間と魔人の排斥を口にして行動に出してる。陰陽寮を統制していた安倍晴明が、最近、『ぼんくら』になったこともソレを加速させてるっぽい」
ちらりと、セイは陽に目を向ける。
その意味ありげな視線を確認し、俺は、レイと目配せし確信する。
藻女……七椿の首級を挙げたのは陽だ。
なぜ、急に、カバネたちが氏を賜ることになったのか疑問だったが、陽が七椿の首をとった功績をカバネたちに譲ったと考えれば納得がいく。
そして、既に、カバネたちはそのことに勘付いている。
――お土産ではありませぬ。犬の首ですよ。なにか、犬神にでも使おうかと
アレだ、アレが七椿の首だったと考えれば辻褄が合う。俺が陽に同行していなかったあの日、陽は平安宮に赴いて七椿と会いその首をとった。
だが、あの時の陽は……あまりにも綺麗過ぎた。
手傷ひとつ、どころか、返り血ひとつ浴びずに七椿を仕留めた? いや、有り得ない。
七椿が、自ら陽に首を差し出したと考えたほうが自然だ。
あのクズが、陽のためを想って首を差し出すなんてことは有り得ない。だとすれば、なにか目的がある筈だ。
目的……七椿の存在証明は『饗宴』……この状況になることを見越して、七椿が首を差し出したとすれば、つまりそれは――
「天子様を誑かし、魔人を平安京に集めたと? 誑かすと言っても、民間では謁見することすら叶わぬだろう?」
俺の思考を遮る形で、屍は疑問を口にする。
「藤原」
どかりと腰を下ろし、セイはため息混じりに答えた。
「藤原光栄」
「……鼠殿か」
かつて、藤原道長からの勅令の仲介役として、カバネたちと陽を引き合わせ、今は民間の陰陽師をしているとして『鼠』と名乗っていた男……藤原光栄。
俺の視線の先で、陽はぴくりと反応する。
「『ふじわら』は捨てたと仰っておりましたが……確かに、光栄殿であれば天子様との謁見も叶いましょう」
「その血は?」
カバネは、血に塗れたセイと夭を睨めつける。
「どちらのものだ?」
「……民間ぃ」
赤黒く染まった布切れを放り捨て、ヨウは答える。
「民間だぁ……陰陽寮と敵対するつもりはなぃい……」
「おれが望んだ答えではないな。お前たちは『どちらの血でもない。野犬に襲われた際、切り捨てた返り血である』と答えるべきだった。次からはそう答えろ」
「あたしは」
セイは、口角を上げてつぶやく。
「徳大寺……あたしは徳大寺だ……三条に文句をつけられる謂れはない」
「セイ、ヨウ、貴様ら」
カバネは、目を細める。
「平安宮にいたのか?」
無言で。
ふたりは、沈黙により答えを示す。
「おれの知らぬ沙汰など、昨今の平安宮にしか存在しない。おれは、数日前、平安宮にまで上ったばかりだ。つまり、頃来、貴様らが平安宮に上り沙汰を仕入れたとしか考えられぬ」
情の宿らない視線が、セイとヨウを突き刺す。
「だれに呼ばれ、なにを言われた……我らは三条ぞ?」
「どこでだれに見られているかもわからぬゆえ、『三条』、『徳大寺』、『西園寺』として振る舞えと指示を出したのはオマエだろぉ……?」
「適当な戯言で、煙に巻くつも――」
「ま、まーまー!!」
カバネ、ヨウとセイの間に陽が滑り込む。
「まーまー!! まーまー!! まーまー!!」
「「「…………」」」
「まーまー!! まーまー!! まーまー!!」
「「「…………」」」
「…………」
ごほんと咳払いをして。
赤面した陽は、居住まいを正してから口を開く。
「い、今は、仲間うちで争っている場合ではありませぬ。セイ様とヨウ様は、面倒事をお持ちになったのでしょう? 本題に入りませぬか?」
「……民間を間引けって、道長様からの勅令だよ」
ちらりと、セイは陽に目を向ける。
「陽様に」
その瞬間。
さっと、陽の顔に『哀しみ』が過ぎり――次の瞬間には、その表情は機械じみた無表情へと変化している。
「……承知」
あたかも、その場に道長がいるかのように。
深く、陽は頭を下げる。
「仕りました」
「…………」
視線で。
カバネは、セイとヨウを外へと連れ出す。
ぽつぽつと雨が降る中、掘っ立て小屋に陽を残したカバネは、烟る霧雨に紛れて天を見上げる。
「……おれたちで間引く」
「言うと思った」
苦笑して、セイは肩を竦める。
「どうせ、そういうと思ったからぁ……先に間引いておいただけの話だぁ……」
「……あいすまなかった」
カバネは軽く頭を下げて、セイとヨウは目を丸くする。
「素直に謝るなんて平安京が滅びるのも近いね~。さっきまで、えっらそうに『だれに呼ばれ、なにを言われた』なんて詰問してた男の口とは思えないわ」
笑っていたセイは――一瞬で真顔になる。
「陽様のため?」
「…………」
「あの子じゃないよ」
「……わかってる」
「わかってるなら」
落雷が――鳴る。
真っ白になった世界の中で、セイの整った形相がくっきりと照らされる。
「陽様は、もう要らないでしょ?」
「…………」
「あたしは」
薄く。
赤く。
儚く。
色づいた雨粒が指先を垂れ落ちて、水たまりに落ちて消えるのを眺めながら、セイはぼそぼそとつぶやく。
「あたしは……道具にはならない……あの子のようには……ならない……なにも得られないまま……『星』なんて物の名前のまま死んでたまるか……」
その見開かれた目。
まぶたの上で溜まった水が、瞬きと同時に弾けて霧散する。
「あたしは……あたしは生きてやる……他の奴らが味わった幸福を啜るため、他の奴らに不幸を味わわせてやる……あたしは……あたしは、たったひとり……たったひとり救えればソレで良い……それで帳尻が合う……カバネ……」
霧と雨の中。
徳大寺は、満面の笑みで言った。
「わかってるよね?」
「…………」
「もし、本当に、カバネが陽様を想ってるなら……なんで、何時までも、『なぜ、我々に藻女の首級を挙げた功績を下さったのですか?』って聞かないの? 陽様の仕業だって、それしかないって見当はついてるでしょぉ? それって、陽様を利用して上り詰めるためじゃないの? 確認して首肯されたら、こっちの立つ瀬がないもんねぇ? このまま黙ってた方が都合が良いからでしょ? だったら」
「……セイ」
やんわりと、ヨウは間に入る。
「その話は、後にしよぉ……民間が先だぁ……」
「…………」
くるりと。
カバネは、セイへと振り返り――言った。
「民間を間引く、陽様ではなく我々で」
「…………」
「わかったぁ……」
三人は、輪になってぼそぼそと策を練り始める。
「お兄様、頃合いです」
その様子を眺めていた俺は、陽の下へと向かおうとし――
「少し、『眼』についてお話ししましょう」
レイに声をかけられた。
明日(10/25)、書籍版 百合ゲー世界(男子禁制ゲーム世界)第6巻が発売となります。
三寮戦、かなり加筆しており面白くなっていると思うので、もしよろしければ読んでやってください。
よろしくお願いいたします。




